一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

九州旅行2011年5月2日(前編)・砂むし温泉に入る

2011-05-09 23:24:56 | 旅行記・G.W.編
明けて5月2日。朝食を摂りながら、このあとの予定を考える。昨晩の時点では指宿の一駅先の山川へ行き、そこの砂風呂に入るつもりだったが、いま泊まっている宿の目の前に砂風呂の施設があるのに、素通りしてしまうのもどうかと思う。きのうは不愉快な思いをしたが、こちらもいささか短気だった。私は気持ちを切り替え、やはり「砂むし温泉・砂楽」へ入ることにした。
圭屋ユースホステルをチェックアウトし、向かいの「砂楽」へ入る。900円を払い、脱衣場で浴衣に着替え、海岸へ向かう。5分ほど待って、指定された場所に寝っ転がり、砂をかけてもらった。
きょうは快晴。おばちゃんが、ミニ日傘を砂に挿してくれる。すぐに体がホンワカと温かくなり、全身からじわっと汗が出てきた。砂風呂に入るのはこれが5回目か6回目だが、最初に入った時は、指の先からもジュクジュクと汗が出て、本当に全身から毒が排出されたかのようだった。
柱には時計が掛けてある。時間は10分を越えた。まだ砂風呂を味わいたいが、あまり長時間粘るのも味がわるい。この辺でよかろうと、15分ほどで出る。
砂風呂から上がった客は一様に汗びっしょりとなる。むろん私もそうだ。
さすがの船戸陽子もグッショリである。
島井咲緒里もグッショリである。
中倉宏美もグッショリである。
山口恵梨子もグッショリグッショリである。
室谷由紀もグッショリグッショリグッショリである。
中井広恵もグッショリである。
石橋幸緒も――。すまん。
「砂楽」館内には温泉浴場があり、ここで全身の砂を落とすと同時に、温泉に浸かって気分をさっぱりさせるのだ。ああ、いい気持ちだった。
指宿駅前に戻る途次、郵便局があったので貯金。
駅前に戻るが、次の列車まで時間があったので、駅前の足湯に浸かり、10時55分、山川行きの列車に乗った。山川では42分の待ち合わせがあったが、とくに見るべきものはなかった。これなら指宿でもっと時間をつぶすのだった。
11時43分、最後のJRに乗る。日本最南端のJR駅、西大山で2分の待ち時間があり、ホームに降りる。これは乗客の撮影タイムのためだ。しかしホームにはライダーが先着し、列車と開聞岳をバックに、写真を撮っている。ふだんは列車を軽視している彼らがJRの施設に立ち入り、私たち乗客の邪魔までするとは、笑うしかない。
12時49分、枕崎着。切符の精算は車内で行う。数年前に駅舎が取り壊されてから、味気ないやりとりになってしまった。4日間使ったJR切符とも、これでお別れである。
「記念にこの切符をいただけませんか」
と車掌さんに聞くと、快諾してくれた。同じ要望はよくあるのかもしれない。
その足で「歩揺」に向かう。ここのブティックの女性経営者とは、数年前に駅前で話をしたときに親しくなり、その後は枕崎を訪れるたび、顔を出している。
昨年はおばさまの実家にまでお邪魔し、私の悩みを親身になって聞いてもらったうえ、昼食までご馳走になってしまった。
しかし今年は、「歩揺」は休みだった。残念だったが、妙なオッサンがゴールデンウイークのたびに訪ねてくるというのも、訪ねられるほうとしては、不気味だろう。私のほうもこれで一区切りがついた気がして、どこかホッとした気持ちがあった。
駅前のかつお料理屋に入って、昼食を摂る。かつお定食の「松」、1,500円。昔の私だったら、「竹」の1,000円にしていたところだ。否、スーパーで売っているお弁当で済ませていたかもしれない。
このあとは加世田まで行き、連絡バスで砂の祭典会場に行く手もあったが、ちょっと性急である。砂の祭典は翌日ゆっくり鑑賞したい。
そこで目がむいたのが、鹿児島県の最西端にある野間池(のまいけ)である。
紀行作家・宮脇俊三が「ローカルバスの終点へ」で訪れた港町で、時間が許せば私も訪れたいと、かねがね思っていた。今回がまさにその時である。
枕崎の観光案内所で聞くと、枕崎からの野間池行きバスはなく、加世田から出ているという。加世田は南さつまの拠点なのだ。宮脇俊三の紀行文では枕崎から出ていたような気がしたが、ともかく加世田まで行くことにする。
13時45分、枕崎発。しばらく走ると、バスは国道を逸れ、集落に入る。この小回りの良さがバスの利点だ。「干河」というバス停を通る。これで「ひご」と読む。日本の駅名には難読名が多いが、バス停はそれ以上である。なんじゃこれ、という停留所名によく出くわす。次は「大野」。その次は「西村」。難読名ではないが、棋士の名前が立て続けに出てきて、ニヤッとする。
14時28分、加世田バスターミナル着。加世田は1984年に廃止になった鹿児島交通(鉄道)南薩線の主要駅で、ロータリーには蒸気機関車が静態保存されている。しかし年々錆をまとい、いまやフロント部分は完全に赤茶けている。
案内所で野間池行きの時間を確認すると、陽のあるうちに往復できることが分かった。
野間池行きのバスが来る。運転手さんは白髪の初老の男性で、運転手歴ウン十年という雰囲気があった。
14時50分、3人の客を乗せたバスは定刻に発車した。野間池は港町だから平野を行くのかと思いきや、途中から坂道を登りだした。バスはさらに高地を行き、断崖になっている細い道をくねくね走る。これが野間池線の白眉なのだった。
対向車が来たらどうするのかと思いきや、いざそうなるとバスは絶妙の切り返しを見せ、対向車を通す。列車では味わえない、路線バスの醍醐味である。
このバスが転落したら私の命はない。いわば運転手さんに私の命を預けているわけだが、この運転手さんの腕は確かだった。
野間池着、16時00分。折り返しまで45分しかないから、観光の時間はない。海ぎわに「野間岬ウインドパーク展示館」がある。九州電力の施設である。入館すると、美しい女性が受付をしていた。ちゃんと制服を着用していて、鹿児島のド田舎(失礼)には場違いに思う。
館内でのウリを聞くと、風速15mを体験できるコーナーがいいらしい。大のオトナが人工の暴風を浴びてニヤニヤするのも気持ち悪い図だが、彼女の勧めに従って、私は15mの風を楽しんだ。
16時45分、野間池発。行きとは若干違うルートを通り、18時02分、バスは加世田に戻った。
ここからきょう最後のバスに乗るが、まだ41分の待ち時間がある。私にとって旅行とは、列車やバスの待ち時間といえるかもしれない。
地元のおばあさんが
「空が曇っている。あの空を雲と見るか、黄砂と見るか」
とひとりごちて、私を見る。
そういえば、九州には黄砂が飛来したとニュースで言っていた。道理で晴れていたのに、曇っていたわけだ。
「ああ、あの空は黄砂でしたか」
私が曖昧に答えると、おばあさんは
「じゃ、ごめんください」
と、バスターミナルを離れた。
18時43分の伊集院行きに乗る。定刻を5分遅れた19時29分、私は日置(ひおき)で下車した。あたりはすっかり暗くなっていた。
(つづく)
コメント (6)
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