一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

金曜サロン・神田真由美女流二段⑦

2010-04-26 00:40:40 | LPSA金曜サロン
2月26日のLPSA金曜サロン、昼は神田真由美女流二段、夜は島井咲緒里女流初段の担当だった。前月と同じ、新旧アイドルの組み合わせである。
神田女流二段はベテランだがいつも若々しく、年齢不詳なところがある。金曜サロン編成担当の松尾香織女流初段に代わって着任し、LPSAの教室ブログにも、この日から金曜サロンの記事が定期的に載るようになった。ちなみに神田女流二段はその後も金曜サロンにたびたび訪れ、担当女流棋士に直接話を聞いたり、指導対局風景を撮ったりするなど、精力的に活動している。
さて、指導対局である。神田女流二段はどんな将棋も指す。過去7局ほど平手で教えていただいたが、(私から見て)四間飛車、横歩取り、四間飛車、横歩取り、対向かい飛車、三間飛車、対石田流と、いろいろな戦形になっている。昨日、女流棋士との横歩取りは珍しいと書いたが、神田女流二段とは2局も指している。だから神田女流二段に教えていただくときは、今度はどんな戦形になるのかと、いつも楽しみなのである。
本局も、神田女流四段が4手目に角道を止めたので振り飛車かと思いきや、ツノ銀にしたので大庭美樹流の右玉かと思いきや、△4一玉。では中飛車に振るかと思いきや、数手後に△5二金。その結果、上手は飛車先の歩を突かない、変則的な相居飛車戦となった。
その後私は▲2六角成と馬を作ったが、神田女流二段に飛車角交換から△2九飛成と桂を取りながら竜を作られては、私の苦戦となった。
しかし神田女流二段が決め手を逃したうえ疑問手を指し、私が数手後に神田女流二段の飛車を取ったところでは、わずかにこちらが指しやすくなった。
その後も優位に進めていたとは思うのだが、上手の攻めを丁寧に受ければよかったものを、攻め合いに行ったのがまずかったようだ。上手は△2三王と寄り、1四からの逃げを見せる。これで上手玉が一遍に寄せにくくなってしまった。
最後は△7六金と、玉の上部に重しを掛けられたところで、私は投了した(投了図)。

ここで▲7七金は△5八金と打たれて受けがないと判断した。下手は持駒が山ほどあるのだが、▲3六歩が邪魔をして、上手玉は詰まない。残念な一局だった。
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金曜サロン・大庭美夏女流1級③+掟破りの大盤解説

2010-04-25 20:00:36 | LPSA金曜サロン
2月19日のLPSA金曜サロン、昼は藤森奈津子女流三段(当時)、夜は大庭美夏女流1級の担当だった。
大庭女流1級はいつも穏やかで、指導を受けていてイヤな気持ちになったことが一度もない。LPSA一の癒し系女流棋士である。
大庭女流1級とは3ヶ月ぶりの指導対局。
「久しぶりですねえ」
と挨拶を交わして、対局開始。☗7六歩☖3四歩☗2六歩。ここで大庭女流1級が
「私分かりました。振り飛車は角道を止めちゃいけないんですネ」
と言う。☖4四歩を否定しているわけではなく、消極的に指してはいけない、ということだろう。
大庭女流1級はしばらく考え、
「公式戦じゃないんだものね」
と☖8四歩。これは指導対局を軽んじているわけではない。公式戦ではないのだから、もっと気楽にいろいろな将棋を指そう、ということだ。
以下☗2五歩☖8五歩…☗3四飛と、女流の指導対局では珍しい。横歩取りの将棋となった。
「(角交換から)☖4五角の将棋しか知らないしなあ」
と大庭女流1級。それも温故知新で面白そうだが、大庭女流1級は☖3三桂と跳ねた。これも面白い将棋になりそうである。
以下☗8七歩☖7六飛☗8四飛☖4五桂…と進行したが、前例のない将棋に進み、一手一手を自力で考える将棋は楽しかった。終局後、
「先生、いい将棋でしたよねえ」
「そうですねえ」
と、私たちはお互い満足したのだった。

午後5時半からの大盤解説は、王将戦七番勝負第4局・羽生善治王将対久保利明棋王の一戦を取り上げた。既報のとおり、解説は藤森女流三段と私が務めた。といっても、藤森女流三段は棋譜の読み上げに回る。実質私がひとりで「解説」するという、掟破りの企画だった。私が指名されたのは、すでに指導対局を2局終えていて、暇を持て余していたこともあると思う。
戦型は久保棋王のギキゲン中飛車。この3日前の2月16日、第3期マイナビ女子オープンの挑戦者決定戦があり、このときも戦型はゴキゲン中飛車だった。レポーターとして参加していた私は、「勝又講義」を拝聴していたので、序盤の解説?はごまかせたが、中盤になるともういけない。
「はああ…そうですか」
「なるほど」
と、棋譜を追うばかり。しかしだんだんエンジンがかかってきて、羽生王将が☗3三馬と桂を食いちぎり、久保棋王が☖8七桂と打ち返したあたりでは、
「ここで☗3三馬がスゴイ手でした。終盤は駒の損得よりスピードといいまして、相手の玉を目指さなければいけません。久保先生の☖8七桂もその意味で、☖3三同馬と取っている場合ではないんですね」
さらに私は続ける。
「この手が案外厳しかったです。しかしこの手は当然羽生先生も読んでいるわけで、むずかしい変化はありません。ここで羽生先生が長考しているのは明らかにおかしい。これは羽生先生、変調ですね」
「この将棋を見ていると、ちょっと第5局以降の将棋もアブナイです」
と、言いたい放題だった。何の実績もないアマ有段者が、トッププロのタイトル戦を斬りまくる。我ながら恐れ知らずの解説だった。
それはともかく、藤森女流三段をアシスタントにしての解説は、一生の思い出になった。ただ、大庭女流1級の仕事を横取りしてしまい、申し訳ないことをしたとも思う。ともあれLPSA関係者の粋な計らいに、改めて感謝する次第であった。
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4月23日のLPSA金曜サロン・Akiちゃんへのお詫び

2010-04-24 18:52:44 | LPSA金曜サロン
18日のエントリで、LPSA金曜サロン会員であるWパパ氏の娘さん・Akiちゃんが小学生と書いたが、Akiちゃんはこの4月から中学生とのこと。「児童」から「生徒」に変わったわけで、これは人生の重大ニュースである。Akiちゃんには深くお詫びして、訂正したい。
Akiちゃんとは一局将棋を指したことがあるが、全体的に指し手がキビキビしており、とくに中盤の構想が素晴らしいと思った。Akiちゃん、また指しましょう。

きのう23日のLPSA金曜サロンは、1部が藤森奈津子女流四段、2部が「夜のナカクラヒロミ」だった。今回は、NHK杯将棋トーナメントの司会コンビである。
午後3時半まで仕事をしたあと、駒込に向かう。この日の昼は10人くらいの会員がいただろうか。いつも温和なU氏と一局指した後、藤森女流四段との指導対局に入る。序盤は例によって雑談交じり。藤森女流四段は先ごろ現役を引退されたが、その影は全くない。厳しい戦いから解放されたからかスッキリした表情で、いつも以上の瑞々しい笑顔を見せてくれた。
夜のナカクラヒロミこと、中倉宏美女流二段との指導対局に入る。この日はピンクの「カットソー」(と、ご本人のコメントあり)に、グレー系のスカート。中倉女流二段はいつも地味な服装だが、これはヒットである。
「せ、先生、今日はちょっと、い、いいカンジですよねぇ」
「あ、そうですか? きょうはスカートを穿きたかったもので…」
あ、スカートなのか。私はピンクのカットソーのほうに惹かれた。ネックレスが洒落ている。
「先生の衣装を褒めたの、私だけですよね」
「いえ、Wさんが…」
チッ、またW氏か。W氏は女流棋士との指導対局では飛車落ちの手合い。中盤でいつも勝勢になるのだが、終盤になると不思議な手を連発して、いつも負けになる。指導女流棋士から見ればW氏ほどありがたい存在はなく、彼は癒し系会員として、みなから慕われている。
「でもWさんだって、私と同じようなことを言ってたんでしょ?」
「いえ、髪型が変わったねって言われました」
「あ、髪型…」
いつもと変わらないと思うが。
「ちょっと切りすぎちゃいました」
「あ、ああ…」
そう言われてみれば、サッパリしている。W氏が目ざといのはここで、女性は髪型を変えたとき誰かに気づいてほしいらしいのだが、W氏はそれを自然に口にして、女流棋士をニッコリさせるのだ。ここにW氏の人気の秘密がある。
ちなみに私は髪型の変化には疎く、以前船戸陽子女流二段が少しだけ髪を切ったことがあったのだが、それに気づいた(褒めた)のはW氏だけだった。
「一公さん、そこに気づかなきゃダメでしょ」
と笑われたが、私は船戸女流二段がファンクラブイベントで大胆な髪型をしてきても、「サザエさんが髪を下ろしたみたいだ」と思うくらいだから、どうしようもない。
もっと中倉女流二段と雑談をしていたいが、彼女があまりにも眩しくて、まともに見られない。そのあとは将棋に集中した。

将棋のあとは、いつものようにジョナサンで食事会。この日は8人の参加。
きのう記したとおり、4月23日はジョナサン30周年の記念日である。この前後10日間限定で「バースデースペシャル・ビーフシチューコース」が用意されており、何と8人全員がこのメニューをオーダーした。これはたいへん珍しいことである。
ちなみにメニューの内容は、ビーフシチュー、ミニグラタン、サラダ、プリン、パン(orライス)。これで1,048円はお得と言えよう。さらにドリンクバーも注文し、食事のあとは将棋の話になった。
第4回・日レスインビテーションカップで、主催の日本レストランシステム、LPSAが、女流棋士会所属の鈴木環那女流初段、中村桃子女流1級、渡辺弥生(みお)女流2級を招待したという。いま話題の岡本真夜ではないが、とても素敵な話である。日レスの代表取締役会長・大林豁史氏と日本将棋連盟の米長邦雄会長は「兄弟分の仲」(と、米長会長の「さわやか日記」で読んだことがある)なので、これは米長会長にとっても、ありがたい申し出であろう。
なにしろ優勝賞金100万円のビッグ棋戦。3女流棋士も歓んで出場するだろう。それが実現した暁には、第4期マイナビ女子オープン・一斉予選対局の1回戦で、上記3女流棋士に懸賞金を一口ずつ懸けさせていただこう。
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ジョナサン30周年、おめでとう!!

2010-04-23 02:15:27 | ジョナ研
きょう4月23日は、船戸陽子先生のお誕生日。おめでとうございます。
船戸先生の対局と普及に懸ける情熱は、誰もが知るところです。でも無理をするのはいけません。適度に肩の力を抜くことも大事です。どうか毎日を楽しく過ごしてください。
船戸先生に、これからもいいことがたくさんありますように。

もうひとつ。きょう4月23日は、ファミリーレストラン「ジョナサン」1号店が生まれて、30周年。おめでとうございます。
私たち金曜サロン会員が将棋を指したあと、食事会で利用するのが、ジョナサンです。夜の9時すぎに入店し、だいたい定食物とドリンクの飲み放題をセットで頼んで、12時ごろまで粘ります。
花金のかき入れ時、酒類を頼まない客に遅くまで粘られて、店側としては迷惑千万だと察しますが、そこは店長以下スタッフの広い心で、大目に見ていただければ幸いです。
これからも金曜の夜はお騒がせしますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
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「将棋ペン倶楽部 2010年春号」-自作を斬る

2010-04-22 23:12:27 | 将棋ペンクラブ
今朝はヘンな夢を見た。俳優の峰竜太、タレントの海老名みどり夫妻の家にお邪魔した私。当然内装は豪華。しかし廻りを見渡すと、それが海を見下ろす岸壁を刳りぬいた中に造られており、びっくりした。その家のすぐ前に海が見えて、ロケーションは最高だった。
ところで、なぜこのおふたりが夢に登場したのか。20日(火)、私は上野広小路に落語を聞きに行ったのだが、そこで高座に上がった桂扇生師匠が、マクラに「海老名家」を出したのだ。それが記憶に残っていたのだろう。

「将棋ペン倶楽部 2010年・春号」は3月中旬の発行。今回も拙稿が掲載されたのだが、その経緯はいつもと違った。
昨年12月、LPSA金曜サロンで将棋を指していると、石橋幸緒女流四段のご母堂が見え、年末に行われる「第六回・将棋寄席」のチケットを置いていった。「将棋寄席」は作家・観戦記者であり、将棋ペンクラブ編集幹事でもある、湯川博士先生のプロデュース。本来なら聞きに行くべきなのだが、そこまで私は、人付きあいはよくない。
しかし私も含めた一部の会員が半ば強制的?に買うことになり、寄席当日、私は浅草「木馬亭(もくばてい)」に出かけたのだった。
開場の午後6時すぎに小屋に入ると、湯川先生の顔が見える。当然挨拶すべきなのだが、私は極度の人見知りなので、そのまま知らん顔をしていた。
ところが湯川先生に気づかれてしまい、
「おう! 君は落語好きなの?」
と訊かれてしまった。
「いや、そうですね…」
とモゴモゴしていると、
「じゃあ君、3頁書いてくれ。写真はオカマツ君が1頁あるから」
と畳みかけてくる。「頼んだよ」
有無を言わさぬ「速攻」で、湯川先生から私への原稿依頼が完了した。私は「将棋ペン倶楽部」に何度も投稿しているので、湯川先生の言わんとしていることは分かる。「将棋ペン倶楽部次号に、この落語のレポートを3頁で書いてくれ」という意味である。1行の文字数や1頁の行数は頭に入っているから、湯川先生もあえて説明はせず、これで話が通じてしまうのだ。かくて2010年春号も、私の原稿が載ることになったのだった。
しかしそれまでは気楽に落語を楽しもうと思っていたのに、それが「取材」に変わったから、大変である。客の入りはどうか。内装はどうか。襖の上の額に書かれてある文字は何か。いろいろチェックする。もちろん噺も真剣に聞かねばならない。そしてレポートのネタになりそうな箇所はメモをする。
原稿の〆切は2月上旬だったが、今回は依頼なので、早めに仕上げなければならぬ。台割の問題もあるし、1月上旬には入稿しなければと覚悟した。
新年4日に、LPSA新年会に招かれた。船戸陽子女流二段と記念すべき指し初め式を終えた後、私は浅草に向かった。明るい空の下、「木馬亭」の全容を観るためである。これを観たところでどうということはないが、文章に「厚み」が出るような気がしたからだ。
モギリのおばちゃんに、木馬亭の創業年を聞く。大正7年か8年だと言う。この情報は貴重だ。この1行があるとないとでは大違いである。わざわざ浅草まで出向いた甲斐があったと思う。まだ松の内だが、初詣はせず、私はそのまま帰宅した。

そうして原稿を書き上げ、製本された春号が送られてきたのが3月中旬だった。
私は例によって夜まで待ち、散歩先のドトールコーヒーで、自分の原稿を読む。内容は頭に入っているのだが、活字になった書物を読むときは、別の緊張感がある。
拙稿は13頁から16頁に掲載されていた。その冒頭部分。
「将棋ペンクラブ年末の恒例行事、『将棋寄席』が昨年末、開かれた」
ここで早くも、頭がクラクラした。何たる文か。たった2行の中に、「年末」が2回も出ている。ここは
「将棋ペンクラブの恒例行事『将棋寄席』が、昨年末も開かれた」
とすべきところ。推敲の時間はままあったのに、このダブリをチェックできなかったのは、怠慢というほかない。もうこの時点で、以下を読む気がなくなった。将棋でいえば、戦意喪失で投了、というところだ。
しかし本当に私をアオくさせたのが次頁で、「羽生善治名人」が「羽生善生名人」なっていた。人名を間違えるのは最大の悪手と心得ているが、よりによって羽生名人の名前を書き間違えるとは…。書いたり消したりを繰り返しているうち、「羽生」の「生」が残ってしまったのかもしれない。見当違いの字ではないだけに、校正の段階でも身落とされてしまったようだ(注意:「身落とされ」は「見落とされ」の誤りです)。
今回の噺は7つあったのだが、バトルロイヤル風間氏に割いた文章がほかより突出して長かったのも気になる。似たような言葉も散見され、うまく整理すれば5~6行は削れ、スッキリした文章になったはずだ。ここにも推敲不足を感じる。
トリの仏家(ほとけや)シャベル(湯川先生)の描写も、たった16行の中に「シャベル」が5回も出てきて、シャベルだらけに見えた。最低ひとつは省けたはずだし、芸名の意味を事前に聞いておけば、「ほとけやシャベル=ほっときゃ喋る」という説明も挿入でき、読者もああなるほど、と頷けたことだろう。
結局今回の投稿も、おもしろくも何ともない駄作だった。実はこのレポートの後に、「将棋寄席」を聞き終えたあとの、将棋ペンクラブ会員による座談が掲載されている。こちらのほうが落語の内容にも詳しく触れられていて、はるかにおもしろい。私の原稿は、ないほうがよかった。会員の皆さまには申し訳ないことをしたと思う。
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