一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

いま明らかになる、18年前の7月7日~9日の真相

2010-07-09 01:58:43 | プライベート
今日は将棋と全然関係のない話なので、読んでもおもしろくないと思う。こんな駄文を読むくらいなら、他のブログをあたったほうがいいと思う。

以前このブログに小説として書いた話だが、私の記憶が確かならば、いまから18年前の平成4年7月8日(水)は、片思いしていた同僚の女性に電話で告白をし、「私があなたを嫌いだということを、あなたは知っていると思ってた」と、一刀両断にバッサリ振られた日だと思う。
その翌日、つまり18年前の今日、私は新卒で入社した会社を辞めた。いまでいうリストラであった。給料日は20日〆だったと思うが、残りは有給休暇を充てたのだろう。たった2年3ヶ月のサラリーマン生活だった。
話を戻すが、最初に「私の記憶が確かならば」とか「振られた日だと思う」という書き方をしたのには理由があって、振られたあと、私は友人ふたりを誘って、カラオケ店で泣きながら歌っているのだ。
彼女に告白したのが会社から帰宅した7月8日の夜だとすると、それから友人を呼んで数時間カラオケで歌うには、時間的に無理がある。何しろ友人は、別の地域に住んでいるのだ。しかしカラオケに行ったのは会社を辞める前だから、カラオケはやっぱり8日の夜、という結論になってしまう。
では告白したのが7日の夜で、カラオケが8日、ということになろうか。そう考えてみると、七夕の夜に告白して振られた、と思った記憶がないでもない。
それを補完する材料として、18年前の7月7日、この日私は巣鴨のピンサロで、馴染みの姫を指名する約束をしていた。しかし当日、私は巣鴨では下車しなかった。とてもそんな気分ではなかったからである。これは帰宅後、同僚に告白をする心づもりのため、とても精を出すどころではなかったと考えられる。
しかし同僚の彼女に振られたあと、「明日、彼女に会社で会うのが辛い。その1日が辛い」と苦しんだ記憶は絶対にあった。会社を辞めたのが7月9日、というのも絶対だから、やはり「7日告白」の仮説も崩れる。
ということは、カラオケに行ったのは9日の夜、ということになるのか。消去法で考えると、それしかない。なるほど…それはある手だ。あの日私は、誰に見送られることもなく定時に会社を退出し、クライアントに出す文書をポストに投函すると、JR原宿駅の改札をくぐった。
それから巣鴨のピンサロに寄ったが、馴染みの姫が辞めたと聞き、ショックを受けたのだった。姫は私と会う7月7日を楽しみにしていた。彼女もまた、その日が最後の出勤だったのかもしれない。
それから帰宅し、やるせなくなった私は、友人2人を呼んだのだ。それなら数時間のカラオケをする時間はある。
…いや、やはりこの説もおかしい。何かが違う、と己の記憶中枢が注意信号を発している。やはりカラオケに行ったのは、会社を辞める前だ。
…そうか。たぶん8日も私は、定時で帰宅したのだ。なにしろ次の日で会社を辞める身である。なにも好き好んで残業をする必要はない。同僚の彼女も事務職だから、定時で退社している。そこで私は自宅から彼女に電話を掛け、盛大に振られる。そのあと今度は友人に電話を掛け、2人が飛んできてくれた、というわけだ。
これだ。これで全てのピースが収まった。これが18年前の正確な時系列であり、真相だった。

…と、いろいろ書いてきたが、何と私の女々しいことか。それは、自分が嫌われていることに薄々気づきながら、バッサリ振られて泣きながら歌ったこと…ではなく、電話という手段で告白したことだ。ここは彼女に正対し、正面から堂々と告白するべきだった。
もうひとつある。告白したのが会社を辞める前日、というのが気に食わない。振られても恥をかかないように、退職ギリギリまで待った、というのが卑怯ではないか。
こんな手段を取るから、あんな言い方をされるのだ。
もっとも、あのとき振られたのは実にいい経験になった。カラオケでさんざん泣きはらしたあとはスッキリしたし、彼女に対しての未練もほとんどなくなった。
さらに、自分は思ったほどモテない、と気づかされたのも大きかった。あれから私は女性に対して、過度なほど、警戒感を持つようになった。それが高じていまも独身だが、これも自業自得なので、悔いはまったくない。
もしあのとき振られてなかったら、私はどんどん危ない道を歩んでいたかもしれない。バッサリと私を振ってくれた彼女に、いまでは感謝している。
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妄想の効用

2010-07-08 01:52:12 | 将棋雑考
私がLPSA金曜サロンに通い始めてから、2年3ヶ月あまりが経った。お陰さまでその間に、わずかながら我が棋力が向上したことを自覚する。
しかし女流棋士に将棋を教えていただくのは週1回だけだし、別に将棋専門誌や新聞の観戦記を読んではいるが、ここ数年は手の解説や講座はほとんど読まず、エッセイやコラムなど、文章の類をナナメ読みするのが主になっている。
パソコンに「東大将棋8」はインストールしているが、起動するとパソコンがフリーズするので、最近はまったく使っていない。ネットでの将棋も一切指さない。
とするならば、この棋力の向上はおかしい。現在が香一本強くなった感じ、とするならば、この程度の将棋の勉強なら、歩1枚くらいの棋力の向上でなければおかしいのだ。
むろんLPSA女流棋士の指導は卓越しているし、その賜物である、と言われればそれまでなのだが、それでも私には若干の乖離があるのだ。
そこで私は、大胆な仮説を立ててみる。すなわち、「自身が仕事中に、あらぬ妄想をしていることが棋力向上の一助になっているのではないか」ということだ。
一般的に人間の脳は、左脳が言語中枢を司り、右脳が音楽や芸術などの感覚分野を司るとされている。プロ棋士は将棋の手を考えているときに、手順を「イメージ」として捉えているのか、右脳が活発に動くそうである。ちなみにアマ強豪だと、右脳ではなく、左脳が活発に動くと読んだことがある。
話を戻して、私が某女流棋士とナニしてナニした、と妄想してみる。私の仕事は何も考える必要のない単調なものなので、手は動いていても、頭の中はわりと自由なのだ。だからいくらでも妄想は続く。そのあとこうなってこうなって…とさらに妄想は膨らむ。い…いいカンジである。
これ、すべて頭の中ではイメージとして映っているから、上の定義に則れば、右脳が活発に動いていることになる。
さらに妄想は続く。某女流棋士と私がイチャイチャしていると、突然棋友が乱入したりする。この展開も考えなければならぬ。将棋でも、思わぬところから反撃されることがある。その対処を考えなければならぬ。どう指すべきか。いや、どう妄想すべきか。
私はイメージを膨らませ、危機を乗り切る。なんとか棋友を撃退したあとは、某女流棋士としっぽり…と、妄想はとどまるところを知らない。
と、ここまで書けば、賢明な読者はもうお気づきだろうが、妄想の過程が将棋の読みと同じ構造になっているのではなかろうか。
すなわち、某女流棋士とのデートを妄想したときの「手順」を、将棋の指し手に置き換えれば、ふだんから読みの訓練を自然に行っていることにはなると思うのだ。
むろん「左脳=言語中枢、右脳=感覚」の定義には疑問を呈する人もいるし、私はその筋の専門家ではないから、脳の話に深入りはしないが、数々の女流棋士を頭に浮かべ、いろいろなシチュエーションを考えることが、脳を活性化させ、結果的に将棋の勉強に繋がっていたのだとしたら、「予想以上の棋力向上」の説明がつくような気がするのである。
そうだ、これでいいのだ。これからも私は、堂々と妄想を続けていこうと思う。
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平成21年度・女流将棋名局ベスト3

2010-07-07 00:46:37 | 女流棋戦
私が勝手に選んだ、「平成21年度・女流将棋名局ベスト3」を発表する。
もちろん全局は把握していないので、私の目にとまった中から選んだ。なお選局の中には、LPSAの公認棋戦と準公認棋戦も含まれている。

第1位 平成22年2月16日 第3期マイナビ女子オープン・挑戦者決定戦 斎田晴子女流四段-甲斐智美女流二段
私はタイトルを争う番勝負より、檜舞台に立つかどうかの挑戦者決定戦に魅力を感じる。
本局は、主催社である毎日コミュニケーションズ様のレポーター公募に応募し、運よく選ばれたため、当日は東京・将棋会館にて、中盤以降を勝又清和六段らの解説で堪能した。
将棋は、決勝戦にふさわしい優劣不明の名勝負。微妙に形勢の針ゆれ、最後まで目が離せない熱戦となった。
甲斐女流二段の勝局後、矢内理絵子女王との共同会見があったが、ふたりの抱負を聞いて、甲斐女流二段が女王を奪取すると思った。

第2位 平成21年7月18日 第3期マイナビ女子オープン・予選決勝 久津知子女流初段-鈴木環那女流初段
これはご存じ、一斉予選の公開対局での一局。だが決勝局は途中で帰ったので、この将棋は最後まで観ていない。帰宅後、毎コミのサイトを見ると、久津女流初段が勝ちあがっていたので、驚いた。久津女流初段には失礼だが、実力、人気ともに鈴木女流初段が上だと思っていたからである。
棋譜を見ると、久津女流初段が優勢の局面から逆転されたものの、粘り強い指し回しを続け、容易に決め手を与えない。受けが丁寧で、女流棋士とは思えない指し手だった。最後は入玉を果たし、万策尽きた鈴木女流初段の投了となった。
総手数215手。2時間半以上の熱闘に、終局後は拍手が起こったそうである。思えば第2期の中倉彰子女流初段-伊藤明日香女流1級(当時)戦も、予選1回戦ながら、終了時は感動の拍手が起こったものだった。
手数が長いから名局とは限らないが、久津-鈴木戦の拍手は、本戦に進むことがいかに大変なことか、身をもって示してくれたことへの、両雄への感謝の表れだった。

第3位 平成22年3月22日 LPSA第34回1dayトーナメント・けやきカップ決勝戦 島井咲緒里女流初段-藤田麻衣子女流1級
島井女流初段は、昨年のLPSA公認棋戦にほとんど不参加だったから、本局は復活をアピールする絶好の機会。いっぽうの藤田女流1級は本局が現役女流棋士としての最後の対局であり、どちらも負けられないという背景があった。
序盤から中盤まで見応えのある攻防が続いたが、そこで藤田女流1級に痛恨の見落としがあって、島井女流初段が勝勢。しかし飛車を渡して詰めろをかけたのが危険な手で、藤田女流1級が王手ラッシュに出て、一遍に島井玉が危うくなった。
大詰めに来て、詰むや詰まざるやの手に汗握る終盤。しかし島井女流初段が逃げ切り、嬉しい優勝となった。
藤田女流1級は残念な結果だったが、最後までおもしろい将棋を見せてくれた。現役生活は短かったが、完全燃焼したのではなかろうか。

今年度も、各女流棋士の熱戦を期待したい。
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金曜サロン・夜のナカクラヒロミ⑨

2010-07-06 00:55:34 | LPSA金曜サロン
4月30日のLPSA金曜サロンは、今年度から始まった「第5金曜日特別企画」として、植山悦行七段の指導対局や自戦解説、早指し将棋大会などの催しがあった。
私は29日に仕事をし、翌30日を休みにしたので、30日は早朝からとっとと九州(G.W.旅行)へ発ってしまった。植山七段との指導対局のチャンスを逃したのは残念だったが、将棋より旅行のほうが大事なので、やむを得なかった。

きょうは、以下の局面を提示する。

上手・中倉宏美女流二段:1一香、1三歩、2一角、3四歩、6四歩、6九竜、7一角、7三歩、7七銀、8一桂、8三歩、9一香、9二王、9四歩 持駒:金、銀、桂、歩2
下手・一公:1六歩、1九香、3六歩、3七桂、4七銀、4八玉、5七金、6七歩、7二竜、7六歩、8七歩、9七歩、9九香 持駒:金2、銀、桂、歩4

☗7二竜と銀を取りながら王手を掛けたところ。このあとの攻防を考えてください。

5月7日のLPSA金曜サロン、1部(午後2時~6時)は大庭美樹女流初段、2部(午後4時30分~8時30分)は「夜のナカクラヒロミ」こと、中倉宏美女流二段の担当だった。
私は前日の朝まで九州旅行を満喫したので、7日は早びけという雰囲気にはならず、定時まで仕事をし、駒込へ向かった。
インターフォンでは渡部愛ツアー女子プロの声でお出迎え。やはり10代の声は張りがあってよい。渡部ツアー女子プロと私は、彼女が上京すると私が旅行中、というケースが何度かあり、すれ違いの運命を感じていたのだが、今回はそうではなかった。
さて、中倉女流二段との指導対局である。前回も中倉女流二段とだったので、1週置いたものの、同じ女流棋士と連戦、という珍しい形になった。
前局に続き、中倉女流二段の三間飛車。私はどういう作戦を採るか模索しながら指したが、結局☗5七銀左からの急戦に落ち着いた。
中倉女流二段の☖9四歩に挨拶をせず、☗3七桂と跳ねる。うしろでは植山悦行手合い係と渡部ツアー女子プロがこの将棋をのぞきこんでおり、植山手合い係が
「下手が☗9六歩と受けないのは、数手後上手が☖8四角成から馬を寄って、☖9五歩から端を攻める手を警戒しているからなんだよ」
とか言っている。
アマチュアの指し手をプロの七段がボソボソ解説しているので、指しにくくてしょうがない。ちなみにこの局面の変化は、羽生善治不朽の名著「羽生の頭脳」にそっくりそのまま載っている。最近文庫本で復刊されたので、興味のある方は購入されたい。
中盤から終盤にかけては、私の☗2二飛に中倉女流二段が☖4四角と打ち、飛車取りと☖8八飛を狙う手が出た。そこで私が☗7一銀と捨てたのが返し技(上手は美濃囲いから☖6一金がない形)。これを☖同王でも☖同角でも、☗2一飛成と☖2一の角を取って十分。本譜は☖9二王と逃げたが、ここで☗5二飛成と金を取ったのがやや甘かったか。☗2一飛成と、角のほうを取るべきだった。
しかしこの次善手が、終盤思わぬドラマを生む。
以下10手進んで、☗7二竜と迫ったのが、上に掲げた局面である。
ここで☖8二金合なら、☗8四桂☖9三王☗7一竜がほとんど受けなしで下手勝ち。
☖8二銀合なら、☗8四桂☖9三王☗8一竜で、☗9二金以下の詰みを見る。下手玉は☖4九金☗3八玉☖3九金☗2七玉☖2六歩(王手)☗1七玉、で際どく詰まない。もっとも上手も☖8四歩と桂を外すから一筋縄ではいかないが、何とか下手が勝つと思っていた。
ところが本譜は☖8二桂合。この手は1秒も考えていなかった。とりあえず☗8四桂☖9三王を決め、☗7一竜と必死を掛けようとしたら、自玉が☖3九銀☗2八玉☖2八金までの詰めろになっていることに気づき、アオくなった。
金気を温存したのは、この詰みを狙っていたからなのだ。中倉女流二段、大人しい顔して、しっかり狙っている。
いや~、これはどうしたものか。とりあえず☗4五桂と逃げ道を開けるか(この手には☖2六角があった)。だがどうもパッとしない。
そんな時、詰将棋ばりの好手が閃いた。
☗8三竜!!
まるで作ったような、次の一手があった。以下☖同王の一手に☗7二銀。あとは金が2枚あるから並べ詰めである。☖8四王☗7五金まで、中倉女流二段の投了となった。
それにしても☗8三竜とは、うまい手があったものである。これ、上手王に詰みがある、と言われれば、☗8三竜の発見は容易である。また☖8三歩が☖8三金とかなら、竜切りは第一感であろう。しかし歩を取っての竜捨ては、盲点ではないかと思う。詰みがあるかどうか分からない局面でこの手を発見したことに、大きな意味があるのである。
実際私の左で見ていたWパパは、あとの食事会で、
「私はあまりヒトの手を見て感動はしないんですけど、大沢さん、どう寄せるんだろう、と思って見てたら、竜を切られたんで、あそっかと、感動してしまいました」
と、嬉しいことを言ってくれた。
昨年度は上田初美女流二段との指導対局で指した鬼手が「2009年度ベストワンの一手」だったが、今年度はこの手がベストワンになりそうである。
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金曜サロン・夜のナカクラヒロミ⑧

2010-07-05 00:46:50 | LPSA金曜サロン
4月23日のLPSA金曜サロン、2部(午後4時30分~8時30分)は「夜のナカクラヒロミ」の担当だった。
中倉宏美女流二段といえば「NHK杯将棋トーナメントの司会者」、つまり「お昼が似合う女流棋士」というイメージがあったので、窓外が暗くなる2部の担当は、妖しい雰囲気があった。
しかし2部の登板が多くなればさすがに私のほうも慣れてきて、以前ほどその妖気を感じなくなっていた。
ところがこの日の中倉女流二段はカットソー(というらしい)におシャレなネックレス、それにスカートという、いつもと違うコーディネートで、私はいつも以上に胸がときめいてしまった。
女流棋士が服装に気合を入れている場合、それに見とれて将棋がおろそかになるか、盤面に集中しようと努めて、いい将棋が指せるか、2つあると思う。
もちろん私は後者であって、この日も将棋に全力投球であった。
指導対局開始。私の居飛車明示に中倉女流二段は、十八番の三間飛車。といっても中倉女流二段は石田流は好まず、飛車を低く構えて指す。
そこで私も☖3五歩を突いてもらおうと、☗2五歩は決めなかった。私は持久戦を目指し、珍しく天守閣美濃に構える。さらに四枚美濃に発展させようと☗6八銀と引いたが、この瞬間に☖3五歩と伸ばされ、やや指しにくさを感じた。
こうなったら左辺で行動を起こすしかない。
米長邦雄永世棋聖の実戦集に載っていた「☗7五歩☖同歩☗7六歩」の3手を思い出し、実際にそう指したのだが、☖7六同歩☗同金…とはならず、☖7四金☗7五歩☖同金となっては、純粋に歩損だけが残って、形勢を損ねた。この手順は、せめて上手が☖7三桂と跳ねてから指すべきだった。
策に窮した私は4筋の歩を角で交換し、さらに2筋と1筋の歩を突き捨て、☗6五歩と強引に開戦したのだが、冷静に☖5五歩と角筋を止められて、どうもいけない。以下は角銀交換の駒損から、上手にいいように捌かれ、下手が敗勢となった。
最後は☖6四銀と打たれ、戦意喪失で投了。まったくひどい将棋で、この日はじっくり将棋を指せる時間があったのに、それを活かせなかった。
悔しいから、投了時の符号だけを、以下に記しておく。

上手・中倉女流二段:1一香、1五歩、2一桂、2四歩、3三角、3五歩、6一金、6四銀、7一王、7四飛、8一桂、9一香、9四歩 持駒:角、金、歩6
下手・一公:1九香、2九桂、3七歩、5五歩、6五飛、6九金、7六歩、7八銀、8六銀、8七玉、8九桂、9六歩、9九香 持駒:金、銀、歩4
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