椿 綺麗だろ。害虫の心配もなく・・少し剪定をしてるけどね。
ハイビスカスが元のように元気を取り戻したようだ。
画面中央御座船 安徳天皇と祖母である二位の尼 周りの者達も涙を流している。平家最期の姿である。
画面左端には安徳天皇の母である建礼門院の姿が見える。入水するも源氏がたの兵士によって船上に引き上げられる。
835年前 史上まれに見る源平の海戦であった。
御領東原1号から今回の目玉の古墳に向かうぞ。
宇賀岳古墳が所在する岡岳公園 なんだなんだ目と鼻の先じゃないか。しかしながら取付道路が無いのである。大廻りしないとここに来ることが出来ないのだから・・御領東原1号から2.3分歩いたところでもう背中が痛くて休憩だ。あともう少しなんだがな。
腰を伸ばしながら、立ち止まりながら・・14分しか歩いてないのにもかかわらずにこの様な状況で、やっと本日最後の古墳に来た。この向野田古墳が今回の目的でもあり目玉である。この古墳については後日アップするが・・賢明なる読者諸氏もご存知であろうが我輩のブログの進行の度合いを。グーグルマップには少しではあるが説明及び写真を掲載しているので先ずはそちらを参照して頂ければと思う。
歩いて来た道である。来た道を戻って松橋駅まで歩けば・・
楢崎古墳(熊本県)
全長46mの前方後円墳で、5世紀後半から末頃までに築造されたとする。当該古墳の後円部と前方部に埋葬施設がそれぞれ4基と1基が検出されている。複数埋葬と言うのは別に珍しい訳ではない。1号棺には人骨2体が発見されているというが、これも珍しい訳ではない。 複数埋葬では長野県森将軍塚古墳が最多で計81基が確認されている。 また、一つの棺に二人が納められていたのは時代が違うが奈良県藤ノ木古墳が有名であろう。そうだそうだ、ここは円墳と思われていた時があったが現状が把握されたことで宇土市内でも数少ない前方後円墳の一つに数えられることとなったことを付け加えておかねばな。
当該ブログの記事は令和2年(2020)11月22日から30日までである。