かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

奈良伊勢その13 頭搭

2010年07月21日 | Nara ( Japan )


頭搭は、何かの本で、インドネシアのボロブドゥール的なストゥーパでは、国内唯一のものとあって、訪れたいと思っていたが、最初は、近くまで行って、場所がわからず断念。二度目は、時間切れで行けずということで、今回は、三度目の正直だった。
入口の路は狭いし、道路側からだと小山にしか見えない。
入口もこんな感じで、門の鍵は、史跡頭搭保存顕彰会事務所の方がお持ち(案内版あり)。といっても、近所のおじさんだったが。門番を置くほどの来訪客はないのだろう。



中にはいってもこんな感じ。



やっと頭搭が見えてきた。元々小山だったが、復原によって今の姿になったようだ。
頭搭は、奈良時代の僧である玄ぼうの首が埋められたと伝えられるが、単に土塔がなまって、頭搭になったという説もある。



復原がどの程度本物に近いかはわからないが、残された石仏は本物だ。重要文化財に指定されている。この山に、多くの石仏が残されていたのは、間違いない。
ボロブドゥールや、アンコールのような見事なものであったかどうかは、今となってはわからない。規模は、残念ながら、及ぶべくもない。



この角度からが、一番雰囲気がわかりやすい。



各所に説明板があるので、それを見ながら、じっくり観賞できる。ただし、上の方の石仏は、遠いので、双眼鏡などがあった方がいい。
マイナーながら、ついでに訪れてみてはいかが?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良伊勢その12 信貴山朝護孫寺その2

2010年07月20日 | Nara ( Japan )


これは、多宝塔。江戸時代のものだ。明治時代に修復されている。



やっと本堂に来た。
実は、当日は、12年に一度の、本尊の毘沙門天ご開帳の初日だった。千円でちょっと高いが、聖徳太子が造った伝えられる毘沙門天様。拝む価値十分。12年間御利益があるというあり難い御札もいただける。
じっくり見れるが、ほとんど御前立ちと同じように見える。
その翌日が大祭であったが、さぞ盛り上がったことだろう。
平日にもかかわらず、御祈祷を受ける人が多く、その間は、堂内に入れない。
御祈祷は、遠くからも聞こえたように、相当勇ましいもので、お経をアコーディオンのように、右から左へ、行ったり来たりさせる。密教ど真中という感じだ。



こちらが本堂。前が舞台になっていて、大和平野を見下ろすすばらしい景色を堪能することができる。



本堂への登り口には、霊宝館がある。信貴山縁起の精巧な模写を見ることができる。
すばらしいものだ。
題材は、本寺の中興の祖である命蓮上人が、修業していたころの物語である。
飛倉巻では、毘沙門天を信奉し、長者になったが、信心を失った元貧者が、お返しする托鉢を倉に投げ入れたところ、倉が動き出し、転がり出した鉢が倉を乗せ、飛んで行ったという話である。
延喜加持巻は、醍醐天皇が重病になり、命蓮上人に祈祷を頼んだところ、上人は、剣の護法童子が朝廷に出現すると答え、その通りとなり、病が治ったという話である。
千の剣を身につけ、黄金の車輪を回し雲を呼びながら、枕元に向かう童子は、この絵巻のクライマックス。切手少年だった私には、お馴染の絵でもある。
尼公巻は、命蓮上人の姉である尼公という姉が、信濃の国から、弟である命蓮上人を探しに来て、東大寺の大仏殿の力で再会を果たすという話。ここに描かれている大仏の姿が、まだ焼失する前の姿ということで、貴重な記録にもなっている。
今回、信貴山縁起を見る機会を得て、有名な絵巻は制覇。話の面白さといい、絵のユニークさといい、繊細さといい、日本の文化のすばらしさを改めて思う。

霊宝館の横に見えるのが、経蔵堂。大きなお経が詰まった厨子があり、マニ車のように回せるようになっているのだが、一人では、重くて回らなかった。



本堂から、境内を見下ろしたところ。お堂や、塔が沢山見える。



聖徳太子像。聖徳太子は、ここで、毘沙門天から嚆矢を授かり、物部氏に勝利したのだ。普通の聖徳太子像とは、イメージが大きく異なる。



劔鎧護法堂。醍醐天皇を重病から救った劔鎧護法を本尊としている。様々なお堂は、信貴山縁起に描かれた言い伝えに基づくものが、多い。



本堂を見上げたところ。読経の声が聞こえてくる。



お寺の下は、ダムになっており、赤い橋がある。開運橋を呼ばれているが、昭和6年に造られたもので、上路カンチレバー橋という貴重なものだそうだ。



信貴山大橋のバス停に着いたら、白虎の像があった。平城遷都1300年因んで、奈良平野の西の入口に、その守り神である白虎の像が造られたようだ。
行きにくい場所なのに、巨大な、寺院だった。タイガーズファンの信者も多いのだろうか。
虎年の今年は、参拝のチャンス!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良伊勢その11 信貴山朝護孫寺(しぎさんちょうごそんじ)・その1

2010年07月19日 | Nara ( Japan )


今日は、昨日のやれやれドライブの疲れを癒すため、のんびりした。
絶好の海水浴日和。夏らしい天気は、気分を解放的にさせる。

奈良近辺は、かなり周ってきて、今回の最終日は、行き損ねていた大寺を中心に周ることにした。
まずは、朝護孫寺。
大阪府との境に近い生駒山の南の信貴山にある。ちょっと行きにくいところにあり、まだ行けてなかった。
生駒駅から、近鉄生駒線に乗り換え、信貴山下駅に行き、そこから、バスで上る。かつては、ケーブルカーがあったそうだが、今は、廃止されている。バスの本数は少ないので、要確認。行きのバスは、すぐあったが、帰りのバスの時間に合わすのに苦労した。バスは、信貴山駅で降りたが、信貴山大橋駅の方が、近い。信貴山駅でおりれば、参道の雰囲気が味わえる。
これは、参道で見た紫陽花。色合いがいい。



途中に千体地蔵があった。



仁王門。江戸時代の再建。



世界一の張り子の虎。福虎。張り子が、こんなに大きく作れるとは思えないのだが、触ってみたら、確かに弾力性もある。塗料によるものかもしれないが。
上に見えるのは、本堂。お経を唱える声が響き渡っている。密教らしく、勇ましい読経だ。
この虎に因んで、本寺のゆるキャラは、シギトラ君になっている。

元々このお寺は、聖徳太子が、582年に毘沙門天より、嚆矢を賜ったのが、起こりという。これにより、物部軍に勝利したと伝えられる。嚆矢を賜ったのが、虎年、虎日、虎刻だった。
物部軍に勝利したことを報恩し、信ずべき貴ぶべき山ということで、信貴山と名付けられたという。
平安時代に、醍醐天皇が重病となったが、当山毘沙門天の御加護で全快したことから、朝護孫寺の名も賜り、信貴山朝護孫寺となった。
醍醐天皇の話は、信貴山縁起に、描かれている。



巨大なお寺で、本堂に向かったつもりが、新しいぴかぴかのお堂に出た。御地蔵さんも巨大だ。



そこから、山に迷いこんだ。凄い坂で、途中でめげそうになったが、最後まで上った。



途中に信貴山城跡があった。奈良県では最大の城だったが、織田信長に攻められ落城し、その後廃城になったとある。かなり上がったところにあり、下から見上げたら、さぞ立派な山城だっただろう。



ほうほうの体で、やっと頂上に着いた。皆声をかけながら、上っていた。水を下から汲んで来るのが、本式のお参りの仕方だったようだ。
頂上にあるのが、空鉢護法当堂。毘沙門天が日本で、最初に舞い降りた場所にあるという。
空鉢護法は、毘沙門天の御分身。
当寺の中興の祖である命蓮上人(平安時代)が、空鉢を飛ばして蔵を飛びかえらせ、長者に慈悲の心を諭したという出来事に由来するという。この話も信貴山縁起に残されている。
お堂の前には、とぐろを巻いた蛇が三匹おわした。



ここからの眺めは、すばらしい。上ってきた甲斐があるというものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルクロードー奈良への道

2010年07月18日 | Culture・Arts


今日は、連休の中日。今日からスタートした、平山郁夫シルクロード美術館の、「シルクロード―奈良への道」を、見に行ってきた。

シルクロード美術館には、何回も行っているのだが、今日の渋滞は、並ではなかった。いつも片道3時間ぐらいなのだが、今日は、その倍。往復で、12時間近くもドライブしていたことになる。やれやれ。
1,000円高速は、いいんだけど、やはり交通システム全体のバランスを考える必要もあるだろう。これだけ、渋滞するとわかっていたら、電車を使ったろうに。



今日は、本展覧会の初日、かつ連3連休の中日ということもあって、今までで、一番お客様が見えていた。でも、じっくり見れるので、ご心配なく。



本展覧会は、画家としての平山さんと、文化交流大使としての平山さんの、両面を遺憾なく発揮したすばらしいものだった。
今まで、本や、版画でしか見られなかった作品が生で多く見られる。
明日香、広島と回ってきて、ここ長野での展覧会が最終だ。
平城遷都1300年のために作成中だった、平城京の絵や、病室の花の絵など、最後の最後まで、絵を描き続けた、平山さんの情熱が、伝わってくる。本当に絵がお好きだったのだ。80歳近くになられても、次から次へと構想が頭に浮かんでおられたのだろう。
それにしてもすごいパワーだ。

仏像が展示されている部屋もリニューアルされていて、迫力が増した。一流の美術館でも、これだけ質の高いコレクションを有しているところは少ない。



食事は、いつも亜絲花さん。サーブが遅いが、別荘のオーナーになった気分で、まったりした時間が過ごせる。平山さんとお会いできたのも、ここだった。今となっては、奇跡的なできごとだった。



富士山の美しい姿を見られるのも、当美術館のいいところ。
シルクロードファン、平山ファンは、絶対訪れるべし。季節もいいし。
やっぱり、晩秋から冬は、ちょっと寒い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良伊勢その10 二見浦

2010年07月17日 | Other Western Japan
今日は梅雨明けだった。ゴルフだったが、流石に暑かったが、意外と風も抜けて、快適だった。景色もよく見えた。たぶん来週から本格的な暑さになるのだろう。



お伊勢参りの後、二見浦に向かった。昔来たと思うのだが、定かではない。
内宮から、バスが出ていて、比較的行きやすい。



バスを降りると、二見シーパラダイスがあった。いつごろからあるのだろうか。
昔ながらのシーパラだが、なかなか健闘しているようだ。
入り口のところに、トドのプールがあり、トドの親子が無料で見学できる。客寄せトドである。
小さいのが、6/21に生まれた赤ちゃん。といっても、15kgあるという。
愛おしげに赤ちゃんを見下ろしているのが、お母さんの”八重”。300kg。
尻尾(足?)が見えているのが、お父さんの”小鉄(こてつ)”。900kg。
何で、一トン近いトドが”小鉄”なのかはわからないが。



シーパラの商店街(屋内)を抜けると、夫婦岩への参道に出る。



まずあったのが龍宮社。フィットしている。



これがメインの二見興行玉(ふたみおきたま)神社。
ちょうど、大祓いの日で、ちょっと前には、ずいぶん人がいた。
木の看板で読みにくいのだが、説明にはこうある。

”垂仁天皇の御代皇女倭姫命天照皇大神の神霊を奉戴して此の二見浦に御船を停め 神縁深き猿田彦大神出現の神縁である海上の興玉神石を敬拝し給う 即ち夫婦岩に注連縄をはり拝所を設けたが其后天平年間僧行基興玉社を創建す 明治に至り宇迦御魂大神を合祀して二見興玉神社と称する 古来日の出の名所としてまた伊勢参宮の禊所として有名である”

元々、夫婦岩が信仰の対象だったようだ。



また帰ってこれるかな?蛙に水をあげると、いいことがありそうな気がする。蛙の像がたくさん見られるが、猿田彦大神の使いとのことである。



夫婦岩の周りはこんな感じだが。



岩それぞれが、命名されている。正直、凄い!という感じではない。



その奥に天の岩戸があった。由緒あるものかどうかはわからなかったが。踊り子の像が見えるが、天照大神を岩屋の外に出すために踊っているという設定なのだろう。



本当の参道は、シーパラとは反対側にあって、そこには宿泊所等も多くある。全部歩くと相当な距離になる。
どちらから行くかは、好みと時間次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする