今日は、好天。
ゴルフだったが、前半まずまず、後半息切れ。
でも、楽しくプレイできた。
この写真は、超有名。
ビートルズの4人が、家族と共に、マラケシュに瞑想に行った時の写真。
この時に書き溜めた曲から、ホワイトアルバムができたことも有名だが、そのビートルズとインドとの関係を追ったドキュメンタリーがBBCで昨年制作され、今年になって、NHKBSで放送された。
BBCと言えば、イギリスのNHKのようなものだから、かなりオフィシャルなドキュメンタリーと言える。
多くの写真を残した(豪華本を持っている)ザルツマンさんは、出てこない。
たぶんこのプログラムのイギリスでの放送をベースにしたBDがあったので、注文していたのだが、一方的にキャンセルされていた。
版権の問題か、NHKで放送されることがわかり、その価値が下がったことが原因か。
今も、DVDを売っているが、PAL方式なので、日本では見れないはず。
シンガポールにいた時は、NTSCと、PAL方式、両方のソフトが流通していたので、TVも2台持っていた。
さて、この番組、期待通りの充実のプログラムだった。
まず驚いがたのが、ジョージの母のルイーズが、胎教で、インド音楽を聴いていたこと。
私が、インド音楽を初めて聴いたのは、バングラデッシュのコンサートだから(ビートルズの楽曲では聞いていたが)、インドとの距離感が全然違う。
そして、HELP!の撮影で、インド音楽の楽団と出会う。
内容は、インド人から見ると、噴飯ものだったが(インドの宗教を模した団体が、リンゴを追い回す)、ビートルズにとっては、貴重な経験になり、日本ツアーの帰りに、インドに立ち寄り、インド楽器を入手。
その楽器店の店主から、シタールの手ほどきを受ける。
イギリスに戻ってから、今度は、イギリスの楽器店の仲介で、ラビシャンカールと知り合い、ジョージは、弟子となり、楽曲にさらに反映させていく。
インドに興味を持ったとろこで、マハリシ・ヨギというグルが、インド北部でセミナーを開くということで、みな参加。
その際、ブライアン・エプスタインが亡くなるという悲劇が起き、途方もくれるなか、リシュケシュへの瞑想旅行に行くことになる。
ここまでだけでも、凄い展開だ。
リシュケシュでは、最優遇の待遇を受けるが、そのニュースを聞いたジャーナリストが、偽信者となり、様々な情報を入手し、発信。
信者たちは、大真面目に見えるが、そんな短時間の瞑想で、悟りを開けるわけもなく、ただ、瞑想自体は、悪いことでもなく、マハリシと信者との間には、何とも言えない距離間が生まれていく。
一方、自由な時間と、4人がずっといっしょにいるという環境で、ドノバン、マイク・ラブ、ミア・ファローなどもいっしょで、様々な名曲が生まれていく。
まさに、ギター1本で、どんどん曲が生まれていくのだが、本番組では、そのそれぞれの曲のヒントが何だったのかが、貴重な映像と共に、あかされる。
Back In The USSRは、Beach Boysのマイク・ラブがいたことが、きっかけになっている。
Dear Prudenceは、これは、有名な話だが、ミア・ファローの妹が、瞑想に熱心で、瞑想部屋から全然出て来なくなったことに対し、ジョンが作った歌だ。
The Continuing Story of Bungalow Billは、出て来たトラを撃ち殺してしまった話を基に作られた。
この映像は、結構驚く。
今や、絶滅危惧種。
ジョンは、この話を聞いた途端、それは殺生ではないかといい、マハリシは、その行為を激しく非難したという。
Sexy Sedieは、マハリシの裏切りを歌った歌だが、その真実が明かされ、驚く。
この歌の原型は、もっと過激なものであったという。
Across The UniverseのJai Guru Deva Omという呪文は、何と、このアシュラムに入る時の合言葉だったという。
開け胡麻みたいなものだ。
KGBがこのアシュラムで悪だくみが行われていたということで、捜査していたという話も初耳。
まだ、冷戦真っただ中で、インドとソ連との関係は深かった。
LSDの話しも出てくる。
インドの宗教と、ヒッピーと、LSDは、関連付けて考えられがちだが、マハリシは、薬物を禁止しており、信者の中に、麻薬常用者がいたため、そのようなイメージが定着していったという。
カトマンズに行ったことがあるが、かつては、そこがヒッピー、麻薬の聖地のような場所だった。
一方、インドでの行者には、麻薬が合法的に認められている(今もかな?)。
いやいやいろいろ驚いた。
そして、一番驚くのは、マハリシのスキャンダルが、マジック・アレックスの讒言によるものだったこと。
マジック・アレックスも認めているという。
マジック・アレックスは、ジョンに腰ぎんちゃくのように張り付いていて、インドにもついて行ったが、ほとんど詐欺師で、インドで、ジョンがマハリシに傾倒していくのを妨害するために、嘘の噂を流したという。
GET BACKでも、ベースと、ギターと共用の楽器のおもちゃと共に出て来て、笑いの種にされていたが、アップルスタジオを全く作れなかったことにより、他のスタッフが慌てて作る羽目になった様子も明らかにされた。
マハリシについては、4人を宣伝材料に使っているのではないかとか、勝手に、映画会社と契約をしたりということで、うさんくささはあったのだが、信者と関係を持ったという噂は決定的だった。
ジョンとジョージは、その話を聞き、アシュラムを去るのだが、その真実を後から知ることになる。
2008年にマハリシが亡くなくなった時、ポールは、追悼の意を表したという。
そういえば、先月公開されたポールの番組でも、マントラを授けてもらったことは、ありがたかったと言っている。
BBCでなければ、できなかった傑作ドキュメンタリー。
今日は、今年初めてのコンサート。
行ったら、入り口は、市場。
もっと早く行ってたら、いいものたくさんゲットできたのに。
本田雅人さんは.ビッグバンドや、グループメンバーでの演奏は観たことがあったが、自らのバンドでの演奏は初めて。
流石自由自在で、楽器も様々(、テナー、ソプラノ、フルート。電子サックスみたいな不思議な楽器はNuRADというもので、音は、iPadで作るとのこと)生徒との共演もあり。
和泉さんの楽曲も多く(Twilinght in Upper West、Takarajima)、追悼公演が続いている?アンコールは、Megalith。
皮肉にも、ビッグバンドの演奏が減り、自分達のバンドでの演奏が増えているそうだ。
正月休み明けということだが、ハンデは感じさせない。
近くに良いお店も、見つけたので、どんどんいいミュージシャンに来て欲しい。
前から行きたいと思っていたイワタコーヒー店に行ってきた。
ジョンとヨーコが訪れたことのあるお店。
小町通りの入り口近くにあり、いつも混んでいてなかなか入れなかった。
今日は、11時頃行ったら無事テラス席の方に行けた。
定番のホットケーキ。
その他に、クラブサンドと、コーヒーをいただき、満喫できた。
庭が、落ち着いた雰囲気を醸し出し、軽井沢にいるみたいだ。
そのまま帰るのも何なので、源氏山公園方面へ。
まずは、定番寿福寺。
鎌倉五山の第三位。
北条政子が、創立し、栄西が、開山した。
禅宗にとって、重要なお寺だ。
お墓の奥の方に、北条政子のお墓がある。
本物かどうかわからないが、ずっとここにある。
小学生の時、鎌倉に住んでいて行ったのが初めてで、その後も何回か訪れた。
その隣に、実朝の墓もある。
実朝で、源氏は途絶え、北条家の鎌倉時代になるのだが、鎌倉殿ではどのように描いていくのか楽しみだ。
この道は、初めてだったのだが、寿福寺から源氏山に抜ける道があった。
結構険しいが、距離は、短い。
途中に太田道灌のお墓があったのには驚いた。
扇ガ谷の出身とは知らなかった。
今の東京の基礎を築いた重要人物。
説明板によると、道灌は、扇ガ谷上杉家の家宰として活躍したが、そのひ孫である太田康資(やすすけ)の娘梶(かじ)が家康の側室として水戸徳川家の徳川頼房の養母となり、その後、出家し英勝院と号し、家光より、源氏山一帯を賜って、英勝寺(寿福寺の隣にある)を開いた。
このお墓は、1826年に水戸徳川家の子孫である英勝寺の住職が、以前の墓を再建したものだそうだ。
そして、源氏山公園。
子どもの時に、この頼朝像はなかったのだが、昭和55年に作られたようだ。
私が、仙台に引っ越して10年後。
日野俊基のお墓。
ここも、小学校時代よく訪れた。
まさにここ梶原に住んでいた。
因みに梶原景時の墓は、通っていた、深沢小学校の裏の山にあった。
鎌倉時代末期、北条氏の悪性を憂いた後醍醐天皇が、倒幕を計画。日野俊基は、倒幕に向け奔走し、楠木正成を説得して成果を上げるも、捕らわれ、ここで、死刑となった。
その霊を慰めるため、明治時代に、この葛原岡に、日野俊基を祭神とする神社が創建された。
ここも、子供の頃よく遊んでいた場所。
その横に見慣れない稲荷神社が。
合槌稲荷社。
この合槌は、刀を鍛える時の動きに由来するという。
知らなかった!
次は、庶民に人気の銭洗弁財天。
祀っているのは、弁財天さまだが、説明板を読むと、
頼朝が平家を討伐後、人々の苦しみを取り除こうとして、神仏の加護を願って祈ったところ、1185年の巳の月巳の日に、老人が夢枕に現れ、この地にきれいな泉が湧き出ていると告げたという。自らを、宇賀福と言ったという。
頼朝公は、夢のお告げ通りに、泉を見つけ、岩窟を掘らせ、宇賀神を祀ったという。
北条時頼公は、1257年秋に、頼朝公の信心を受け継ぎ、「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」がすべての人々に福徳が受けられる日だと知らべ、この日に参詣することを勧めたという。
またこの時弁財天を信仰する者が、持っている金銭を水で洗い清めると同時に身心を清めて行いを慎めば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家繁盛、子孫長久を祈ったという。
少し長くなったが、元々神社だったが、その後、弁財天が加わったようだ。
この左側に弁財天、右側の上下に泉が湧き出ている。
ここで金銭を洗うのだが、何回洗ったかな?
ご利益あったかな?
最後は、佐助稲荷神社。
ここも何度か訪れたが、この佐助は、頼朝のことを言う佐(すけ)殿を助けるというところから来ているという。
伊豆に流されていた頼朝が平家討伐を念じていた時、稲荷の大神が老人の姿をして夢に現れ、挙兵を促し時期を啓示したという。
それに感謝し、畠山重忠に命じて、この佐介山隠れ里の霊視を選び、社殿を造建したという。
鎌倉殿の13人の一人で、大河に因んだ御朱印までいただいた。
13人に因んだ寺社では、本年に限り、大河バージョンの御朱印があるそうだ。
今年は、大河で、鎌倉が盛り上がるといいな。
最近、ロック・ミュージシャンの伝記本や、自伝が多く発行され、翻訳本も多い。
結構分厚い本があり、全部は、手を出せないのだが、興味のあるものについては、ちょこちょこ手を出している。
本書は、その内の1冊で、あのSex PistolsのメインメンバーであるJohn Lydon(Rotton)の自伝だ。
パンクの代名詞みたいな存在。
かなり過激で、アナーキストイメージで、私は、あまり聞いていなかったが、本国のイギリスでは、熱狂的な人気を博した。
最初、ロックの殿堂入りを拒否したことでも有名?
幼少時代の写真は、無邪気な子供だが、大人になってからの写真は、ほとんど手配写真。
1993年に出た本で、かなり黄ばみが激しいが、読んだ形跡は、ない中古本。
解散と再結成の間にできた本か。
本人のサイン付。
丁寧になされているので、出版時のイベントか何かでのものか。
芸名の方のRotton名でのサインになっている。
なかなかのお宝。
天気は、回復したけど、めちゃ寒い。
今冬は、ずっとこんな感じなのかな。
"Let It Be" では、姿を見せなかったが、"Get Back" で、大活躍を見せたMichael Lindsay?oggさんのサイン本を見つけたので、ゲット。
もっと安いのがあったのだが、日本には送らないそうで、より豪華なのをゲットすることになった。
これで、ビートルズ関連の映画の監督のサインは、揃ったかな?
本書は、本人の自伝で、2011/9に出版された。
彼は、女優であるGeraldine Fitzgeraldの子供だが、父親がオーソン・ウェルズという噂があり、公式に否定はされているものの、容貌が似ている。
父親には、ほとんどあったことがなく、継父は資産家の子孫だったが、薄幸だった。
本の題名は、”ハリウッド、ニューヨークでの成人とその後”ということになろうが、そのニュアンスはわからない。単に、生まれ育った町を並べたものか。
写真は、親子の写真だろう。
母親が女優だったから、西海岸で、育った。
サイン。
癖のある文字だ。
サイン会の時の写真。
2011年11月17日に実施されたサイン会のチラシ。
ぱらぱらめくっただけだが、目を引く写真が多数。
1955年のオーソンウェルズから、舞台に出る母親に贈られた花束にあったメッセージ。
結果的には、俳優仲間ということになるのだろうが。
母とオーソンウェルズの2ショット。
2人ともまだ20代。
母とマイケル。
1942年というから、まだ本人は、2歳。
撮影者は、何と、ロバート・キャパ!
どういう人脈なんだ?
左は、母が撮ったロバート・キャパ。
右下が、18歳のオーソン・ウェルズ。
本当にマイケルにそっくり。
LIFEの表紙を飾った母。
1944年のもので、女優として絶頂にあったのか。
RAINのMV撮影時のショット。
その他にも、多数、ビートルズのMVを製作している。
その中でも、Hey JudeのMVが最も有名。
その縁もあり、Let It Be の監督に起用された。
ロックン・ロール・サーカスも、彼の作品。
出演者は、その撮影時間の長さに辟易したというが。
マイケルがいい絵を撮るため、粘ったのかもしれない。
Let It Be 同様、しばらくお蔵入りになった。
左下の写真は、いつもものかわからないとあるが、ロックン・ロール・サーカスの時としか考えられない?
映画GET BACKで、再び脚光を浴びたところで、市場に出てきたのかな?
なかなかレアな逸品。
今冬は、ずっとこんな感じなのかな。
"Let It Be" では、姿を見せなかったが、"Get Back" で、大活躍を見せたMichael Lindsay?oggさんのサイン本を見つけたので、ゲット。
もっと安いのがあったのだが、日本には送らないそうで、より豪華なのをゲットすることになった。
これで、ビートルズ関連の映画の監督のサインは、揃ったかな?
本書は、本人の自伝で、2011/9に出版された。
彼は、女優であるGeraldine Fitzgeraldの子供だが、父親がオーソン・ウェルズという噂があり、公式に否定はされているものの、容貌が似ている。
父親には、ほとんどあったことがなく、継父は資産家の子孫だったが、薄幸だった。
本の題名は、”ハリウッド、ニューヨークでの成人とその後”ということになろうが、そのニュアンスはわからない。単に、生まれ育った町を並べたものか。
写真は、親子の写真だろう。
母親が女優だったから、西海岸で、育った。
サイン。
癖のある文字だ。
サイン会の時の写真。
2011年11月17日に実施されたサイン会のチラシ。
ぱらぱらめくっただけだが、目を引く写真が多数。
1955年のオーソンウェルズから、舞台に出る母親に贈られた花束にあったメッセージ。
結果的には、俳優仲間ということになるのだろうが。
母とオーソンウェルズの2ショット。
2人ともまだ20代。
母とマイケル。
1942年というから、まだ本人は、2歳。
撮影者は、何と、ロバート・キャパ!
どういう人脈なんだ?
左は、母が撮ったロバート・キャパ。
右下が、18歳のオーソン・ウェルズ。
本当にマイケルにそっくり。
LIFEの表紙を飾った母。
1944年のもので、女優として絶頂にあったのか。
RAINのMV撮影時のショット。
その他にも、多数、ビートルズのMVを製作している。
その中でも、Hey JudeのMVが最も有名。
その縁もあり、Let It Be の監督に起用された。
ロックン・ロール・サーカスも、彼の作品。
出演者は、その撮影時間の長さに辟易したというが。
マイケルがいい絵を撮るため、粘ったのかもしれない。
Let It Be 同様、しばらくお蔵入りになった。
左下の写真は、いつもものかわからないとあるが、ロックン・ロール・サーカスの時としか考えられない?
映画GET BACKで、再び脚光を浴びたところで、市場に出てきたのかな?
なかなかレアな逸品。