J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

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頑張れ!オリンピック14

2014-02-16 00:36:44 | スポーツ文化・その他

 事例紹介コラムです。
 やはり、この時期の話題はこれでしょう。2年に一度どちらかの五輪が開催され、当ブログも何かしらの記事を書いていましたが、今回も他の記事の予定でしたが、そういえば、男子フィギュアのドラマには岡山も少し絡んでいた事を思い出し、急遽こちらに変更しました。
 
 昨日は生中継で町田選手からチャン選手まで観て寝ました。朝起きて、羽生選手が金メダルの朗報を聞き、残りの2選手も越えられなかったんだと思う。羽生選手の演技で、冒頭の4回転サルコウで失敗し、少し頭を抱え、その後のトリプルフリップの失敗で、「これは金は無理か・・・」と思いましたが、たぶんほとんどの国民がそう思ってしまったのでは。ショートプログラムで、史上初の100点超えで首位に立っていましたが、若さか五輪の重圧かと思いながら、パトリック・チャン選手の演技がスタート。ところが、チャン選手も最初の4回転で成功して、やはり・・・と思いましたが、その後徐々にミスが目立って行く。演技が終了した時の感想は、「トップ2選手にこれほどのミスが出るなんて、五輪というものはどんだけ怖い存在なのだ」と実感。高梨選手が4位に終わり、予想外の結果が続いていました。
 ただ、今回の男子フィギュアで感動したのは、羽生選手の金メダルに続くのが、高橋選手と町田選手の「倉敷翠松高」勢。倉敷出身の2選手が実は今回の男子フィギュアを盛り上げていたのです。では、試合は終わってしまいましたが、ここで2選手を紹介したいと思います。
 この2人の選手が倉敷翠松高校に通学しながら、通年スケートリンクとして利用していたのが、倉敷市大倉山にあるサンピア倉敷(現ヘルスピア倉敷)です。この2つのキーワードについても紹介してみます。
                      
【高橋大輔選手】
 倉敷市出身で倉敷翠松高校から関西大学卒業後、2008年より関西大学大学院に所属。JOCシンボルアスリート適用選手で、2010年バンクーバー五輪で銅メダルを獲得し、日本人男子初のメダリストになり、日本人男子として初めて世界選手権、世界ジュニア、グランプリファイナルを制した選手。表現力とステップは世界でも屈指とされる。昨年11月にトレーニング中に負傷し、右脛骨骨挫傷と診断。怪我をおして臨んだ全日本選手権では5位の順位だったがは過去の実績、シーズン成績などが考慮されて五輪代表に選出。
【町田樹選手】
 神奈川県川崎市生まれ、千葉県松戸市の3歳の時にスケートを始め、9歳の時に広島に転居し、広島に通年リンクがないために倉敷翠松高校に毎日新幹線通学。高橋選手に憧れて、高校、大学と同じ道を歩み、現在関西大学在学中。昨年の全日本選手権で自身初のメダル獲得の2位となり、五輪代表に選出。ソチ五輪ではショートプログラムで11位と出遅れるが、フリースケーティングで4位となり最終的には5位に。
【倉敷翠松高校】
 この2人に共通するのは、倉敷翠松高校出身という点。実は近所でもある倉敷市平田にある私立高校であり、明治17年にできた和裁塾が母体で、普通科、商業科、生活科学科、看護科の科目。出身の著名人としては、歌手の葛城ユキ、タレントのMEGUMI、バレーボールで白井貴子元選手、瀬尾有耶元選手がおり、実は無良崇人選手というもう1人の男子フィギュアで活躍するOBがいました。全日本選手権6位で、今回の五輪代表には選出されませんでしたが、トリプルアクセルの高さや幅は世界でも屈指と言われているとか。
【ヘルスピア倉敷(前ウェルサンピア倉敷)】
 前施設のウェルサンピア倉敷は'92年に社会保険庁保養施設として建設され、厚生年金事業振興団で運営。かつてスケートリンクは県内唯一日本スケート連盟公認施設で、開設以来、県内のスケート人口を増やし、五輪代表選手を生むなどスケートレベル向上に貢献。'05年に廃止・売却対象になって'08年に閉鎖されたが、売却が思うように進まず。その後、スケートリンクだけは借り受ける形で県スケート連盟により冬季のみの営業を続行。その間、存続運動が起こり、日本スケート連盟の協力と署名により倉敷市に施設の存続を働きかけた結果、'09年に学校法人加計学園(倉敷芸術科学大学)が倉敷市から要請を受け取得し、同学園の系列大学の教育研究拠点として再開。

 2選手の母校である倉敷翠松高校では、体育館で五輪生中継をPV観戦が行われ、保護者、生徒、教員ら約150人が声援を送ったそうです。この時に観戦した生徒さんの中で、2選手にこれから続いていく未来の五輪選手がいるのではないでしょうか。倉敷の大きなスポーツ文化、素晴らしいですね。旧サンピア倉敷の経営を引き継いでくれた、加計学園さんには感謝しかありません。これからもご支援よろしくお願いします。
 当ブログがスタートしたのが、2005年なので、ちょうどサンピア倉敷の過渡期に重なり、また当方もこの時期の手前にスケートではないですが、よくスポーツ等で利用していた時期があったので、趣深い思いがありました。勝手知ったる施設です。奥のレストランを仲間とよく利用していました。そういう経緯もあり、何度か記事として紹介していました。現在は、フットサルコートも整備され、ファジサッカースクール倉敷校の会場としても利用されています。こうして見ると、当ブログとしても、今回の五輪はいろいろな面で絡みがあった大会でした。まだ終わってないけど。
倉敷翠松高校公式HP:http://www.suisho.ed.jp/
ヘルスピア倉敷公式HP:http://www.healthpia-kurashiki.com/
旧サンピアスケートリンク関連⑤:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20091004
  〃               ④:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20090305

  〃               ③:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20080403
  〃               ②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20080317
  〃               ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20070131

   
 記事はまだ終わりません(笑)。羽生選手の金メダル獲得のニュースを観ていたら、いろいろと当ブログ好みの情報が出てきました。羽生選手は仙台出身で「被災者」なのです。震災後に仙台の自宅が壊れて仮設住宅で生活し、「スケートをしている場合じゃなく、ボランティアとかした方がいいのじゃないか」とスケートを辞めようと思った事もあったとか。その後、高橋選手が呼びかけたチャリティーのスケート大会に出場して心が再びスケートに向いたとか。それから羽生選手は60以上ものチャリティーに参加しているそうです。今回の金メダル受賞にも「金メダルが獲れたが、復興支援などこれからできる事があるのではないか。そのスタートだと思っている」と感動のコメントを残しています。
 こうして観ても、日本スケート界を引っ張ってきたのは、やはり高橋選手だったんだなと思いました。

前回五輪関連②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20100305

  〃      ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20100220

コメント
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