リスペクト(事例紹介)コラムです。
今年6月に山陽新聞朝刊に「岡山サッカーの歩み」という特集記事が連載されました。岡山サッカー界の本当の創世記から現代まで詳しく書かれていました。当ブログとしては、'05年頃の「岡山からJリーグを」運動が本格化した頃から覚えています。最近の情報は読者の皆さんもよくご存知だと思うので、今回はその中の「第2部 ファジアーノ編」のJリーグへ昇格までの記事を順番に引用して紹介していきたいと思います。第3回の今回は「③ 切り札」から。以下、抜粋して引用させていただきました。
「2004年4月25日。Jへの飛躍を願う全ての人の期待を背に「ファジアーノ岡山」がデビューした。岡山県リーグ1部の岡山クラブ戦。会場は岡山市の当新田サッカー場。FW石原龍二のチーム初得点などゴールを重ね、5-2で勝利した。
もともと前年優勝の「RFK(リバーフリーキッカーズ)」が前身のチーム。セレクションで補強も進んでいた。順調に勝ち続け11戦全勝でリーグ制覇。続く昇格争いも突破し、翌シーズンの中国リーグ参入を決めた。まだJに遠い位置とはいえ上々の1年目だった。
この年、チームを取り巻く環境は大きく変わった。練習は週2回のままだったが、ミニゲーム中心のメニューにハードなトレーニングが加わった。「練習に参加する人、遠のく人と二分化していった」と最年長選手だった丸野勝一郎(48)=倉敷市連島鶴新田。自主的なミーティングも度々持たれ、チームは厳しさを増していった。
だが、そのままトントンといくほど甘くはなかった。翌05年の中国リーグ1年目、同市出身で現在ファジアーノの強化育成を担当する元北朝鮮代表FW梁圭史(39)を獲得し、日本フットボールリーグ(JFL)昇格をもくろむ。リーグ2位で昇格プレーオフに当たる「全国地域リーグ決勝大会」に進出したが、そこで敗退。JFL入りは持ち越された。」
「激戦を勝ち抜くにはクラブとしての“基礎体力”が足りなかった。チームを運営するNPO法人・岡山ヒューマンスポーツクラブの財政基盤は弱く、会費や広告料、借入金などで何とかやりくりしていた。より資金が必要となるJリーグでの活動を見据えると、運営母体を株式会社化し、経営を安定させることは避けて通れなかった。」
「7月に株式会社「ファジアーノ岡山スポーツクラブ」が設立され、チームの命運は37歳の“若き切り札”の手に委ねられた。友人や元同僚には「ババを引いた」と冷やかされた。それでも信念は揺るがなかった。」
引用:山陽新聞(上左画像参照)
この辺りから、岡山サッカー界で当ブログが登場してきます。大した登場ではありませんが、一個人の思い出として触れさせていただきます(特に一木会の歴史はどこにも書かれていないので)。2004年までに何度かJクラブを招いて、桃スタ(現Cスタ)でプレシーズンマッチが開催され、県協会として岡山でのJリーグ開催実績を積んでいきます。この2004年暮れのガンバ戦だったかの帰り道、無人のテーブルの上に置かれたNPO法人岡山ヒューマンスポーツクラブ(HSC)の入会用紙を持って帰るところから、ファジアーノとの付き合いが始まります。その後すぐに入会すると、クラブの事業計画の資料が送られて来る。それを読むと、公式HPが無い事に気づき、クラブ側にHP業者I社(浅口市)を紹介します。当時のクラブ(チーム運営)は県サッカー協会事務所(マンションの1室)の中の事務机1つでしたね。その後数年、I社が公式HPを運営(無償)しました。当時、トップページに試合速報が掲載されていましたが、何度か更新作業をやらせてもらった事も貴重な思い出でした。
2005年はFリーダーとともにHSCの運営のお手伝い(発送作業等)に参加。つまり、ファジボラ第一号です。この年の天皇杯県決勝でグッズ販売もお手伝いしたっけ。同時に「委員」としてもHSCに参加させていただき、クラブマスコット(ファジ丸)の公募・選考にも参加しました。なので、当ブログとしてはファジ丸君に対しては一つ思い入れがあります。山下初代監督、M事務局長など当時の県協会の方々とはそれ以来のお付き合いです。今では挨拶を交わす程度ですが。
I社のN社長と岡山商工会議所の事務局の方と意見交換を交わすうち、本当に岡山からJリーグを運動を実現するためには、当時バラバラに活動していたマンパワーの結集が必要と認識し、「『わたしたちの街からJリーグを!』フットボール・フォーラム ~若手支援者による研究グループ」を開催し、そこから一木会が始動。その幹部メンバーがそのまま、新法人の役員に就任されました。その時のM座長の同級生が木村社長で、記事の内容につながっていきます。当時は時には怪しい目で見られる事もありましたが、結果オーライでした。当時、とにかく県協会主導の流れから、新しい波を起こしたいという思いで動きましたが、11年が過ぎてこの動きで100%良かったのかと自分で思う事が時々あります。山雅さんをはじめとする市民クラブの地域に根差した歴史を目にすると特に。
岡山サッカーの歩み②:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20170917
〃 ①:http://blog.goo.ne.jp/kataru-kai/d/20170910