「風林火山」も、いよいよ最終回。一年はあっと言う間に過ぎていき、私たちが見守ってきた勘助の人生も終わりを告げていきました。
私は最終回、始まったとたんに、涙・涙でございましたよ。終わった後も滂沱の涙が止まらずに、顔など洗って、平静を装っておりました。
家人の
「つまんねーな」「くだらねーな」「ありえねーな」「来年の大河は何?」と言う果てしない総攻撃に耐えながら、我が家では「決戦川中島・画面前」で、勘助と共に戦っていた私ではありました。
家人の気持ちも分からないわけではありません。
「武田の軍師勘助ここにあり」または、「ああ、さすが勘助」と言うような場面が、そんなことはなかったとは言いませんが、あまり思い出せない私です。私が思っていたような話ではなかったと言うのが正直な感想です。
私の父は武田出身・・・おっと、もとい、山梨出身。母は生粋の横浜育ちではありましたが、母の自慢げな昔語りの声がします。
―武田は負け知らず。なぜなら山本勘助という最強の軍師がいたからよ。
誰もが認める最強の軍師の、その物語・・・・ではなかった「風林火山」。
素晴らしい頭脳を持ちながら、美しくはなかった勘助の秘めて秘めて心の奥底に閉じ込めた恋の想い、と言うのもイメージからは程遠かった物語なのでした。
ですが、それらの思いは全て封印して、今回の最終回だけに見入った時、そこには人間勘助の最後が見事に描かれていました。やっと勘助に主役が戻ってきたと言う感じです。
信繁と諸角の奮戦が功を奏して、崩れかかっていた武田軍の体制が持ち直しました。後ひと時、この場を乗り切れれば別働隊が戻ってきて立場は逆転します。責任を感じた勘助は、自ら撃って出ます。
一方上杉も、時間を思いがけず取られたと気がついていた宇佐美は、そのタイムリミットが近づいている事を政虎に告げ、引く事を進言しますがマイペース人間には聞いてもらえません。
ところで、今日は政虎はやけにかっこよく見えました。 確かにその出で立ちは美しく、振る舞いにも見せ場は盛りだくさんだったのですが、私の場合はそればかりではありません。
「プルートウ」と言う浦沢直樹の漫画を、御存知ですか。鉄腕アトムの「地上最大のロボット」の焼き直しなんですが、元の話と比較しても長くて長くて長い。新しい単行本を子供から借りたのですが、二ページ読んで、本を閉じ今日まで放置していました。だって、二冊前ぐらいから読み直さなければ、もうすっかり前の話なんか忘れてしまっていますよ。で、読んでいましたら、エプシロンと言う美しきロボットが「あの戦いには義はなかった。」などと申します。「義」と言う言葉に過剰反応な私です。その時私の中ではエプシロン=政虎になってしまったのかもしれません。(ああ、エプシロンだけは死なせたくないなどと思って読んでいましたが、彼に危険が迫るのはこのペースだと一年後、もしくは二年後でしょうか?)と言うわけで、エプシロンが美しいと感じるならば、政虎も美しく感じてしまうわけです。
かくのごとく、テレビドラマなどの登場人物をどう思うかは、見る側の思いにかなり影響されるものなんですよね。
さて、話を戻しまして、撃って出た勘助の独壇場の独り舞台は本当に良かったですよね。また由布姫の幽霊が出て、「生きなされ。」と言ったか「死んではならぬ。」と言ったのかは忘れてしまいましたが、いざ行こうとする勘助の袖を引っ張るシーンも良かったです。勘助が由布姫の幽霊の本当の気持ちがわかると言う、文に書くと非常に変に感じますが(・・・実際、最終回は変なシーン多数・・・?)、このシーンは内野さんの独り舞台の続きで、見せてくれましたねぇ。
勘助の代わりに撃って出ようとする義信を、武田の総領として涙ながらに追い返す所も良かったですね。「良かった、良かった。」では、「美味しい。」しか言わないグルメレポーターみたいですが、何もこれこれこのようにと言う必要はないかなと思っているんです。
最終回は回想シーン多用かと予想はついてはいましたが、その回想シーンの使い方が、もの凄く上手でしたよねえ。
みんなの若さも、本当に眩しかったです。
最終回見せ場の一つは、やっぱり一騎打ちですよね。Gackt の乗馬技術が光りました。見ていて惚れ惚れとしました。そして、政虎はギリギリまで謙信と戦いますが、もしかしたら馬がお尻を刺されて、キャーと言わなければ、彼は自分の命なんかを顧みずまだ執拗に戦ったかもしれません。
三度受け止めて、七つの刀跡・・・・ミステリアスです。
そして勘助の最後。丘の上で、見守る政虎。ああ、いいよなあと思いました。最後までその勝利を見ることのなかった最大の敵は、勘助の見果てぬ夢の象徴であったのだと思います。
平蔵との出会いも楽しみにしていました。この川中島で彼らが再開を果たすこともやはり予想済み。ただ、その止めを刺す役でなければいいなあと願っていましたが、危うい所に登場です。でもあっさりと放たれた矢が背中に刺さってパタリ。
あそこで、マリシテンのペンダントを渡してしまっていては、後で伝兵衛が苦労してしまう所でした。
動ける、まだ戦えると、起き上がろうとする勘助の目に真田の六連銭の旗が翻ります。
「お館様、我らが勝ちにございます。勝どきをあげなされ」
最後に見た、勘助の幸せな夢。そうして、勘助は散って逝きました。
留守を守る女達の様子が描かれていて、全て感動しました。なんとなくモレがないように感じました。丁寧です。忍芽は前回でしたし。(どうりで花の枠が混んでいたように感じましたね。)
リツのところでは、仏像が動くと言う怪奇現象が起きました。でも、全てを悟り涙するリツでしたが、動いている所を見てみたかったなと思うのは、私だけでしょうか。
戦の終わった川中島。このシーンはある意味合戦シーンより凄いなと感じました。死体野原と化したその中を、伝兵衛が勘助の遺体を運んできます。太吉が頭を取り戻してきます。天晴れな家来達ですね。伝兵衛と太吉が抱き合って泣くシーンに涙です。そして、繋ぎ合わせた首と胴。
「こやつ、笑っておる。」
ああ、想像したくありません。笑っている死体。
でも信玄には勘助の最後の想いが、しっかり伝わりました。
勘助を囲んで、勝どきをあげる武田の武将達の「エイエイオー」は胸に響きました。
が、ここで終わってはいけません。
―平蔵はどうした。平蔵だけは生きて生き抜いて、妻子の元に帰らなくてはいけないよ~。
「画面前」の私と家人の戦いは
「もう、あなたと私は合わないわ。宝くじが当たったら考えさせてもらうわ。」と使い古された言葉で応戦中。が、平蔵が気になる点では気持ちが一致。なので、私が役にも立たない特技を発揮して勝手にその先を読んであげました。
「大丈夫よ。だって、まだおふくおばばが出てきていないじゃない。彼女が平蔵を助けて、平蔵は妻と子供の元に帰るんだよ。そして、武士を止めて土を耕して生きていくんだよ。」
などとそこまでは遣りませんでしたが、死なないぞ、帰るぞと言いながら倒れこんだ平蔵におふくが気がついた所で終わりましたね。
「ほらね。」と私が偉そうに言って、「画面前」の戦いも終わりました。
信玄などを、雲を動かす風になりたいのだろうかと三条夫人は言いましたが、風はその流れをすぐに変えていってしまいます。土と共に生き抜くものが勝者なのだなんて言ったらありきたりですね。
でも、歴史の流れは激流から大海へ。その大海を見ないものも、その川の流れの一部なのです。川の流れが、時代が、彼らを大海を見るものとして選らばなかったとしても彼らは
「生きた!そして死んでいった。」のですね。
武田や上杉のその後の話は、「風林火山紀行」で紹介されました。
謙信の辞世の句は
“四十九年一睡の夢 一期栄華一盃の酒”
その若さに驚かされます。
戦国時代が一睡の夢なのではありませんね。全ての時代が一睡の夢なのですよ。
一盃の酒・・・自分の人生を自分らしく生きたい。そう思うことは見果てぬ夢なのでしょうか。そうではありませんね。たとえそうであっても夢を見続けて、最後に杯に入れて飲み干せたら、素敵なことかも知れません。
私は最終回、始まったとたんに、涙・涙でございましたよ。終わった後も滂沱の涙が止まらずに、顔など洗って、平静を装っておりました。
家人の
「つまんねーな」「くだらねーな」「ありえねーな」「来年の大河は何?」と言う果てしない総攻撃に耐えながら、我が家では「決戦川中島・画面前」で、勘助と共に戦っていた私ではありました。
家人の気持ちも分からないわけではありません。
「武田の軍師勘助ここにあり」または、「ああ、さすが勘助」と言うような場面が、そんなことはなかったとは言いませんが、あまり思い出せない私です。私が思っていたような話ではなかったと言うのが正直な感想です。
私の父は武田出身・・・おっと、もとい、山梨出身。母は生粋の横浜育ちではありましたが、母の自慢げな昔語りの声がします。
―武田は負け知らず。なぜなら山本勘助という最強の軍師がいたからよ。
誰もが認める最強の軍師の、その物語・・・・ではなかった「風林火山」。
素晴らしい頭脳を持ちながら、美しくはなかった勘助の秘めて秘めて心の奥底に閉じ込めた恋の想い、と言うのもイメージからは程遠かった物語なのでした。
ですが、それらの思いは全て封印して、今回の最終回だけに見入った時、そこには人間勘助の最後が見事に描かれていました。やっと勘助に主役が戻ってきたと言う感じです。
信繁と諸角の奮戦が功を奏して、崩れかかっていた武田軍の体制が持ち直しました。後ひと時、この場を乗り切れれば別働隊が戻ってきて立場は逆転します。責任を感じた勘助は、自ら撃って出ます。
一方上杉も、時間を思いがけず取られたと気がついていた宇佐美は、そのタイムリミットが近づいている事を政虎に告げ、引く事を進言しますがマイペース人間には聞いてもらえません。
ところで、今日は政虎はやけにかっこよく見えました。 確かにその出で立ちは美しく、振る舞いにも見せ場は盛りだくさんだったのですが、私の場合はそればかりではありません。
「プルートウ」と言う浦沢直樹の漫画を、御存知ですか。鉄腕アトムの「地上最大のロボット」の焼き直しなんですが、元の話と比較しても長くて長くて長い。新しい単行本を子供から借りたのですが、二ページ読んで、本を閉じ今日まで放置していました。だって、二冊前ぐらいから読み直さなければ、もうすっかり前の話なんか忘れてしまっていますよ。で、読んでいましたら、エプシロンと言う美しきロボットが「あの戦いには義はなかった。」などと申します。「義」と言う言葉に過剰反応な私です。その時私の中ではエプシロン=政虎になってしまったのかもしれません。(ああ、エプシロンだけは死なせたくないなどと思って読んでいましたが、彼に危険が迫るのはこのペースだと一年後、もしくは二年後でしょうか?)と言うわけで、エプシロンが美しいと感じるならば、政虎も美しく感じてしまうわけです。
かくのごとく、テレビドラマなどの登場人物をどう思うかは、見る側の思いにかなり影響されるものなんですよね。
さて、話を戻しまして、撃って出た勘助の独壇場の独り舞台は本当に良かったですよね。また由布姫の幽霊が出て、「生きなされ。」と言ったか「死んではならぬ。」と言ったのかは忘れてしまいましたが、いざ行こうとする勘助の袖を引っ張るシーンも良かったです。勘助が由布姫の幽霊の本当の気持ちがわかると言う、文に書くと非常に変に感じますが(・・・実際、最終回は変なシーン多数・・・?)、このシーンは内野さんの独り舞台の続きで、見せてくれましたねぇ。
勘助の代わりに撃って出ようとする義信を、武田の総領として涙ながらに追い返す所も良かったですね。「良かった、良かった。」では、「美味しい。」しか言わないグルメレポーターみたいですが、何もこれこれこのようにと言う必要はないかなと思っているんです。
最終回は回想シーン多用かと予想はついてはいましたが、その回想シーンの使い方が、もの凄く上手でしたよねえ。
みんなの若さも、本当に眩しかったです。
最終回見せ場の一つは、やっぱり一騎打ちですよね。Gackt の乗馬技術が光りました。見ていて惚れ惚れとしました。そして、政虎はギリギリまで謙信と戦いますが、もしかしたら馬がお尻を刺されて、キャーと言わなければ、彼は自分の命なんかを顧みずまだ執拗に戦ったかもしれません。
三度受け止めて、七つの刀跡・・・・ミステリアスです。
そして勘助の最後。丘の上で、見守る政虎。ああ、いいよなあと思いました。最後までその勝利を見ることのなかった最大の敵は、勘助の見果てぬ夢の象徴であったのだと思います。
平蔵との出会いも楽しみにしていました。この川中島で彼らが再開を果たすこともやはり予想済み。ただ、その止めを刺す役でなければいいなあと願っていましたが、危うい所に登場です。でもあっさりと放たれた矢が背中に刺さってパタリ。
あそこで、マリシテンのペンダントを渡してしまっていては、後で伝兵衛が苦労してしまう所でした。
動ける、まだ戦えると、起き上がろうとする勘助の目に真田の六連銭の旗が翻ります。
「お館様、我らが勝ちにございます。勝どきをあげなされ」
最後に見た、勘助の幸せな夢。そうして、勘助は散って逝きました。
留守を守る女達の様子が描かれていて、全て感動しました。なんとなくモレがないように感じました。丁寧です。忍芽は前回でしたし。(どうりで花の枠が混んでいたように感じましたね。)
リツのところでは、仏像が動くと言う怪奇現象が起きました。でも、全てを悟り涙するリツでしたが、動いている所を見てみたかったなと思うのは、私だけでしょうか。
戦の終わった川中島。このシーンはある意味合戦シーンより凄いなと感じました。死体野原と化したその中を、伝兵衛が勘助の遺体を運んできます。太吉が頭を取り戻してきます。天晴れな家来達ですね。伝兵衛と太吉が抱き合って泣くシーンに涙です。そして、繋ぎ合わせた首と胴。
「こやつ、笑っておる。」
ああ、想像したくありません。笑っている死体。
でも信玄には勘助の最後の想いが、しっかり伝わりました。
勘助を囲んで、勝どきをあげる武田の武将達の「エイエイオー」は胸に響きました。
が、ここで終わってはいけません。
―平蔵はどうした。平蔵だけは生きて生き抜いて、妻子の元に帰らなくてはいけないよ~。
「画面前」の私と家人の戦いは
「もう、あなたと私は合わないわ。宝くじが当たったら考えさせてもらうわ。」と使い古された言葉で応戦中。が、平蔵が気になる点では気持ちが一致。なので、私が役にも立たない特技を発揮して勝手にその先を読んであげました。
「大丈夫よ。だって、まだおふくおばばが出てきていないじゃない。彼女が平蔵を助けて、平蔵は妻と子供の元に帰るんだよ。そして、武士を止めて土を耕して生きていくんだよ。」
などとそこまでは遣りませんでしたが、死なないぞ、帰るぞと言いながら倒れこんだ平蔵におふくが気がついた所で終わりましたね。
「ほらね。」と私が偉そうに言って、「画面前」の戦いも終わりました。
信玄などを、雲を動かす風になりたいのだろうかと三条夫人は言いましたが、風はその流れをすぐに変えていってしまいます。土と共に生き抜くものが勝者なのだなんて言ったらありきたりですね。
でも、歴史の流れは激流から大海へ。その大海を見ないものも、その川の流れの一部なのです。川の流れが、時代が、彼らを大海を見るものとして選らばなかったとしても彼らは
「生きた!そして死んでいった。」のですね。
武田や上杉のその後の話は、「風林火山紀行」で紹介されました。
謙信の辞世の句は
“四十九年一睡の夢 一期栄華一盃の酒”
その若さに驚かされます。
戦国時代が一睡の夢なのではありませんね。全ての時代が一睡の夢なのですよ。
一盃の酒・・・自分の人生を自分らしく生きたい。そう思うことは見果てぬ夢なのでしょうか。そうではありませんね。たとえそうであっても夢を見続けて、最後に杯に入れて飲み干せたら、素敵なことかも知れません。