森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「僕のお母さんは猫語が分かる。」

2007-12-04 10:21:27 | 家族スナップ
 もう、十年以上昔ですが、M町と言う所に住んでいました。それはたった二年の事でしたが、今思うと、森に湿地帯に高圧線、そんなものの傍らにひっそりとあった住宅地は、夢見がちだったかっての少女にはパラレルワールドに出入り自由な扉が開いているようなものだったかもしれません。

 でも、このお話は不思議空間M町のことではないのです。だけど、もしかしたらその町に住んでいたから、そういう発想になったのかもしれません。


 ある時、子猫が家に迷い込んできました。
「ダメだよ、借家なんだから。」と拒んで見たものの、すがるような猫の目に負けて
「お庭でならね。」と言い、その翌日には
「玄関までだよ。」と言い、その猫がリビングのソファで転寝する私の胸を枕に眠るようになるまではアッという間のことでした。大家は知人だったのでちゃんと了解も取りました。

 私が仕事の時は、猫は二階でお昼寝でもしているようです。いつも帰ってくると、二階からダダダダダと下りてきます。そして「ニャニャーン」と甲高く鳴くのです。でも、私はあまり猫などには構いません。帰ってきたらすぐに幼稚園にお迎えに行ったり、また出かけたり、または帰ってくるなり眠ってしまったりと言う風に私は私で忙しく暮らしていたのです。猫などは一つ屋根の下で、猫の好きなように暮らしていればいいんだと思っていました。好きな時に好きな所で寝て、出掛けたい時に出掛け好きな時に帰って来る。だけど帰ってこなければ心配する。帰ってくればいい。そんな猫の飼い方です。

 でも、猫の「ニャニャーン」はいつも何かを訴えているようなのです。しかも毎日続くその鳴き方が流石に気になってきました。しかもだんだんしつこくまとわり付くようになって来ました。おやつをねだっているのかな。そう思って、缶詰をお皿に入れてあげると、とりあえず食べるのに、またまとわり付くのです。じゃあ、トイレが汚れていたのかしら、とチェックしたりして。
 その時私は、気が付きました。これって何かに似ているな。そう、言葉を持たない赤ん坊がエッエッと泣けばミルクを与え、ウニョウニョと泣けばおしめを変えて・・・
そんな様子を見ていて義父が言った事があります。
「どうして、母親は赤ん坊の言っている事が分かるんだ?」
私はそういう質問にはいたって真面目に答えるんです。

「それはね、お父さん。人は昔言葉を持たなかったのですよ。それでも人は気持ちを伝え合っていたのです。そういう能力が備わっていたのに、言葉を持つことによって、その能力を切り捨ててしまったのです。でも、母親になると必要なその能力が復活して、心の耳で聞くと、『お腹が空いたよ~』『お尻が気持ち悪いよう。』と聞こえてくるのです。」って、・・・・・嘘ですよ。義父にそんな事言える訳はありません。言いたい気持ちは充分あったのですが。なので、
「えへっ、勘かなあ~。」と言っていました。


 だけど義父に言えなかったその言葉は、私の本音です。そんな訳で、ある日私は耳を澄まして猫の言葉に耳を傾けてみました。

その時、私にははっきり聞こえてきましたよ。
「ああ、そうだったねえ。」
私は猫の前にしゃがみこんで、私もはっきり言いました。
「ただいま~。」
それから猫は満足げな顔をして、まとわり着かなくなったのですよ。


 私は誰も居ないと分かっている家に、「ただいま~」といって帰ることはありません。いつの間にか居ついて、かってに二階で寝ている猫は私にとってはその「誰か」のうちには入らず家族でもありませんでした。しかも、家に懐くと言われている猫がそんなに寂しがりやだとも思っていませんでした。

その猫の「ニャニャーン」は、その後も毎日続きました。でも、私はにっこり笑って「ただいま~」。

猫の暮らしにお帰りとただいまと言い合う習慣があるとは思いません。ただ、
「やあやあ」という挨拶はあるように思います。新年の頃の記事にも書きましたが、猫は鳴き方を分けて猫同士でコミュニケーションを図るそうです。
その「やあやあ」の中には
こんにちは、とか、誰ですか、とか、会いたかったよ、とか、寂しかったよとか人間の言葉に変換したら、いろいろな意味合いに状況によってなるのかもしれません。ちなみに私はその時の猫の「ニャニャーン」と言う甲高い鳴き方を、初めて会った猫に挨拶がわりに試みる事があります。パーフェクトと言うと、嘘になりますがかなりの確率で「ニャー」と言う返事が返ってきます。

 私はその日から、この猫が思っていることは手にとるように分かる様になりました。子供達がある日私に聞きました。
「どうして、ママは猫が言っている事が分かるの?」

「それはね、ラッタ君とルート君。人は昔言葉を持たないで・・・」なんてことは言いません。
「エヘへ、ママはね、猫語が分かるのよ。」


 
 その猫が死んでしまった時、私はペットレスになってしまい、およそ半年夜になると泣いていました。その猫の名前は「ぴぴ」。
こんな話なのに、しかも10年以上も前のことなのに、やっぱり私、今でも涙が出てしまうのです。



<ちなみに、この話にはオマケの話があるので、それはまた明日>
画像は「ニャン子達の癒しの小部屋」のファトラ。
コメント (6)
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