森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

シベールアリーナで「黙阿弥オペラ」

2010-08-31 02:51:03 | 観劇・コンサート日記
黙阿弥オペラ (新潮文庫)
井上 ひさし
新潮社


<チャレンジひとり旅その2>に当たる「シベールアリーナへの道」は、(なにげにタイトルも今決まったな。)ひとまず置いておいて、まずは観劇の感想です。

私は今回の公演で、この脚本の本を買おうと決めていました。どこで買った本というのは結構な想い出になるものですよ。それに、この「黙阿弥オペラ」は良いセリフがたくさんあるのです。また読み直し、更にしみじみしたいと思っていたからです。

でも買うとき、「これを」と言ったら、ちょっと目を見開かれ驚かれたのが、凄く印象的でした。
言葉で語らずとも、表情筋は実は多くを語るものです。
なぜ驚いたのだろう・・・
始まる前に、本を買うことが不思議だったのか・・・
数あるグッズの中から、本を一冊選んだ事が驚きだったのか・・・

わからん。

分からないので次に進む訳ですが、

実は私驚きました。もうお口あんぐり。

何がって、客席のノリの良さにです。

もう大爆笑の連続ですよ。

箸が転がっても笑ってしまう年代と言うのは、山形の人たちにとっては二回以上あるに違いありませんよ。

確かに面白いお芝居なのです。

でも、そんなにも笑う!?
こんなところでも笑う!?

私は圧倒されて笑えずに「凄い凄い」と思っていました。この笑いとノリの良さは、きっと舞台にまで伝わっているはずです。舞台の上では、きっと気持ちよく演じる事が出来ていたのではないでしょうか。

流れるが如く、物語は進んでいきました。

藤原竜也君の演技も違って見えました。より自然体。あまり力んでいるシーンはなかったように思います。でも、本音を言うと、東京で見た力みのあるお芝居の方が、ちょっと好きだったかも知れません。まあ、観客って我侭なもので、その点は相手にしなくていいですよ。

だって、力んでいれば力みすぎだと言われ、自然体になれば、もっと力めと思われたりしてもやってられませんよね。
好きにやっちゃってくださいませ。

前に「黙阿弥オペラ」の感想を書いた時に、「でんすけ劇場」なるものを引き合いに出しましたが、

あっ、そうそう。前の「黙阿弥オペラ」の感想はこちらです。→ここです。

今回は観客が、そんなコメディを見に来ていると言った感じがしました。
見終わった後に
「ああ、もう笑った笑った~ぃ」と言いながら席を立っても不思議ではないくらいです。
最初は驚きましたが、後には気持ちが良い印象が残りました。

感想のほとんどは前回書いて、あまり違いはありません。
幕が閉まって場面が変わっていくほどに、心の中には何かが溜まっていくのです。人生の悲哀と言うか・・・
真っ白なカーテンと軽妙な音楽が区切りとなって、次から次へと彼らの人生は過ぎていきます。
心に溜まっていたものがあふれ出すと、思わず涙ぐみそうになったりもして・・・

幕間に泣く人もいないので、泣きはしませんよ、もちろん。
が、ちょっと怪しい私なのでした。

ラストシーンだけ、ちょっと涙がにじみましたが、この山形では二度目と言う事もあり、涙とはあまり縁のないものでしたが、東京では結構泣きました。このお芝居、誰かが誰かの声色でお話をするというのがお約束みたいで、五郎蔵の子供と、また彼のエピは泣けますよ。でも一番泣けたのは前にも書きましたが、新七の言葉を借りた、井上先生の演劇論だったように思います。
そしてやっぱりラストシーンかな。
その時誰かが笑う・・・
笑いって、時には涙を誘うほどの力があるものですね。


ちなみに、カーテンコールの演出と寸劇は素敵で、この公演に限り回数も決まっているみたいですね。どんなに拍手をしても終わりです。別れはすっきり。粋にこだわった演出なのだと思いました。だからこそ、藤原竜也は竜也に戻らず五郎蔵のまま挨拶をしていたように感じました。東京では気がつかないことでした。

前回の感想の時にネタばれガンガンで感想を書くと書いたように思いますが、ちょっと止めました。ゆっくり消化していきたいような、良いお芝居と言う事もありますが、本を買ってしまったので、あそこやらここやらと書いておく必要がなくなったからかもしれません。

と言う訳で、これといった纏めの言葉もないままに終わりです。

あっ、そうそう。
外の階段のところの注意書きには
「下りの方がこわいのでお気をつけください。」とあったように思います。

下りの階段には、ヒュ~ドロドロ~って怪談が・・・
って、違うって。






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