森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

黙阿弥オペラ

2010-08-02 01:14:10 | 観劇・コンサート日記
7月28日、追加で買ったチケットは劇場的にはあまり良い席ではなかったのだと思います。でも、私には最高。だってこの小さめな劇場の最前列は役者様たちとは至近距離1メートル。
もうこんな事、いつも遠めの私に許されて良いの~っという感じ。感激の観劇。おいおい。

それはともかく、このお芝居本当に、凄くすごく良かったです。

今日と言う日を明日に繋いで、とにかく生きていこうよ。

そんなメッセージをびんびんと感じました。

「行きも帰りも」の中でも書きましたが、観客のおじ様たちが帰りに脚本を買っていきたくなる気持ちが良くわかります。

役者様たちも芸達者。ひとつふたつみっつ・・そのぐらい噛んだって許してやろう。
おっと、偉そうに。こちらの方こそお許しあれ。

熊谷真美さんのお芝居は初めてです。私の中では何時までたっても「まあ姉ちゃん」←知ってる?
でも、もう「まあ姉ちゃん」って言いません、私。
彼女、お上手なんですね。予備知識ないものだから、最初に彼女がおとらばあさんを演じているなんて分からなかったのです。
もちろん黙阿弥事河竹新七役の吉田鋼太郎さん、円八の大鷹明良さん、久次の松田洋治さん、及川孝之進の北村有起哉さん、おせん役の内田慈さん、本当に楽しい時間をありがとうございました。

もっちろん、五郎蔵の藤原竜也はスペシャルにです。
ご贔屓ですからね。
芝居の楽しさの奥。それは、やっぱりご贔屓を持つと言うことなのかなぁと最近ちょっと思ってみたりします。

本当に近くで見ると、思っていたより手とか足とかが大きいんだなあと思ってみたり・・・
おいおい、見ていたのはそんな所か~!?
いやいや、そこも見ちゃったけれど、ちゃんとお芝居を見ていましたよ。

この役、本当に良かったですよ。
彼、こんな役も出来るようになったんだ。
買ったパンフの中の藤原竜也君、北村有起哉さん、吉田鋼太郎さんの対談の中で、
藤原;井上さんが「藤原竜也を成長させたいなら、五郎蔵役をやらせるべきです。」と、言ってくれたんです。
と言う件(くだり)があって、ここ、本当にうなずけました。

いつも台詞も不正確にお伝えしてしまうのですが、今回は本当にそんな事は申し訳ないという感じなので一切しませんが、新七の言葉を借りて、そこには井上先生の芝居論がいくつか語られていたように思います。
そのうちのひとつは私にはかなりの涙ポイントだったのですが、ネタばれなしで書いているので、そこもちょっと我慢です。

だけど
「私とタカシマヤは・・・」で語られる、役者ポイントは藤原竜也君の若く美しいイメージとは微妙に違う。だからこそ五郎蔵を遣らせるべきとおっしゃたのかもしれないと思いました。若さも美しさも、やがては時が奪っていってしまう。でも何を奪われてもそこに確かなる演じる力さえあれば、役者にとって怖いものなどないはずだからです。

もともと、この五郎蔵役はずんぐりむっくりとした体裁の上がらない男なのだそうです。
ずんぐりむっくりには到底見えませんでしたが、
私・・・
彼が・・・
極端に言うと・・・
伝助に見えました←知ってる?
いや、見栄張っているわけじゃないけれど、私もあまりは知らない。
でも確か、ちょっと性格も見た目もちょっと駄目で、冴えないおっさんキャラ。だけどそれはペーソス溢れるおっさんで、そんな彼を中心に繰り広げられるコメディが「デンスケ劇場」なるものだったと思います。

要するに冴えないおっさんキャラ。だけどそれは愛すべきおっさんキャラです。

・・・・ちょっと、また涙が出てきてしまいましたよ。

井上先生は凄いですね。狙い通りだと思います。渡すべき本を渡せなかった代わりに違うものを遺言として渡していったのかと思うと、また涙ハラハラしてしまいます。

そんな彼だからこその涙ポイントもありました。

涙と笑い・・・
絶妙・・・

このお芝居は、まろやかでありながらも台詞一つ一つが鋭く生きていると言う印象深い作品でした。
経済的事情もあって、お芝居はいつも一期一会の私ですが、今回はもう一度観る事が出来るので、その時はネタばれガンガンで感想を書いてみたいと思います。

当日券も確か若干あったような。









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