森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

2015年の1月に。

2015-01-28 16:00:57 | 梢は歌う(日記)

―この先の未来に、70年もの間、戦争をしないで平和を保ってきた小さな島国が、その不戦の奇跡の歴史にピリオドを打つことなどありませんように。

もしもこの先の未来に、「あの2015年の1月が・・・」と嘆くようなことなどありませんように。

過去と今は繋がっていて、今と未来もまた然り。物事は点で存在することなどなく、繋がっていく未来がどんなふうに変わっていくのかは誰にも見えない事なのです。

 

今思っていることの、私的メモです。 お名前も組織名もいれてません。安倍首相、気分次第でさん付けです。メモですから。

※         ※          ※

1月19日の月曜日の夜、私は「ORANGE」と言うドラマを見ました。

―オレンジ。それは希望の色であり、消防士たちの魂の色である。1995年、阪神淡路大震災、特別救助隊の記録―

ドラマ的にはそんなに傑作とは思いませんでしたが、それでも20年前に起きた風化させてはいけない日に想いを馳せるには十分な内容だったと思います。

だけれどその翌日、ネット上にまたはテレビのニュースに流されてきた映像は二人のオレンジの囚人服を着せられた日本人で、震えが来るほどの恐ろしいものでした。

 

何という皮肉の光景かー。

そのオレンジ色を見て、私にはそう感じないわけにはいかなかったのです。

安倍さんは1月17日の阪神淡路大震災の20周年追悼式を欠席して中東訪問に出かけたのです。

彼にとっては、20年も前に起きた単なる過去の出来事に過ぎなかったのでしょうか。結果的にはその中東訪問が二人の日本人の身代金目的の殺害予告のきっかけになってしまったのですから、やはり見えない力の皮肉と感じたとしても不思議はないような気がするのです。

 

でも私、ちょっと変だなと感じたのです。

最初ニュースでは、安倍さんの「人道支援」の金額を見て、同じ金額の身代金を要求してきたのだと解説されていました。でもそれだと安倍さんは17日には二人の日本人の拉致誘拐の事を知らされてなかったかのようなイメージって湧きませんか。

でも彼は11月から知っていたんですよ。

なぜ知っていながら、そのように刺激するようなことをしたのかって不思議に思いませんか。

 

もう一つ、ちょっと聞くたびに首をかしげてしまうのは、

「テロに屈しない!!」と言う、さながらキャッチコピーのような言葉。

マスコミの人が誰も突っ込まれないのは、それはそれで不思議です。

「屈しないと言うのは、どのような意味でおっしゃっているんですか。」

と、誰かに聞いてもらいたかったです。

言っていることは正しい事だと思います。

「テロに屈しない。」

そうです。正しいんです。

でもその後に「人命第一に考えて」と付け加えるじゃないですか。

それも正しいんです。

だけどそれ、どのようにイコールに持っていくんですかと、その言葉を聞くたびに、なんて難しい日本語なんだろうって思うんです。

 

思うには、日本と言う国が人質に取られたのは「道徳心」と言う心だったんじゃないかと思います。

 

正直な事を言いますと、私だって二人の方にはそれぞれに思うことはありますよ。

難しい事にそれぞれになんですよね。きっと多くの人がそうだったと思うのです。

なぜならば、あの3.11の時に、聞こえるわけがないのにテレビに向かって叫んだ人いっぱいいたでしょう。

または同じ被災地に居て高いビルから窓の外に向かって叫んだ人もいっぱいいるでしょう。

「行くなー、引き返せ―」って。

だけどその声は聞こえなくて届かなくて、大勢の人が、本当に大勢の人が波にのまれて亡くなったんですよ。

だけど人質の人には「行くなー、引き返せ―」って何人もの人が言ってくれたんでしょう。耳の鼓膜に届いたんでしょう、その声が。

それなのにって、やっぱりスッキリしませんよ。

でも悲しい事に、本当に悲惨な事だけれど、もう死者に鞭打つなと言うことなんですよね。

 

どんなにその行動が愚かだと思っても、だからと言って助けない理由には何一つならなかったと思います。

 

もちろん今は、状況が変わってお金の問題ではなくなってしまいました。

でも疑問は残ったままです。

 

国会中継ではののしり合いの映像ばかりが流されてくるイメージってないですか。(今日はそうではなかったけれど)

人道支援のために2億ドル払うと言う決定は、どのように法案として通っているんですか。秘密裏に決まっていくのでしょうか。

借金大国日本、アベノミクスと言う夢に名付けた名前は霧のように空中霧散。みんなの生活はどんどん苦しくなっています。国レベルで考えたら2億ドルはたいしたことのない金額なんでしょうか?

でもその国レベルで大したことのないお金は、自国の若い人の未来のために使って欲しいと思います。またある人は、未だにまともな生活に戻れない日本の国民をまず救済してほしいとも思うに違いのない事です。

 

外交と言うものはそう言うものではないとお叱りを受けそうですが、日本と言う小さな筏は、この先の未来にわけの分からない所に流されていきそうです。

支払った額だけの年金はあなたたちの時代には支払われませんなんて事をいけしゃあしゃあと言ってないで、自国の子供たちの未来の生活を守って欲しいと願っているので、ちょっと過敏になってしまうのです。

ましてや、その発言があったから11月から拉致されていた二人の日本人に急展開な悲劇が訪れたことは間違いがないと思うのです。

 

それでまた、最初の方に書いた「なぜ知っていながら」に話は行くのですが、私は感じました。

わざとだな、って。

彼の「テロに屈しない」宣言。

「お前らにはびた一文払うもんか。」宣言。

これは私だけじゃなくて、あの恐ろしい人たちもそう思ったんじゃないですか。

だってそう思うのは普通の事ですよね。

だけど私が感じた、わざとと言うのは、その先の意識してかまたは無意識なのかの思惑ですよ。

もちろん今私が言っているのは、「私は感じました。」のお話で、何にも裏付けのないお話です。

 

―アメリカは真珠湾攻撃を事前に知っていた。アメリカは9.11を事前に知っていた。だけど、それをある目的のために利用した。ー

と言う、本当なのかそうでないのかは知らない事ですが、それと同じ匂いを感じざるを得なかったのです。

そう思うと辻褄があってしまうじゃないですか。

 

現にテロに屈せず人質を救うとはと思いを馳せ、飛躍した考えに向かってる人も多数いらっしゃると、それも思うのです。

そう思うと、心がざわつきますが、それでも考える、思う、考える、また思う・・・・それって大事な事だと思います。

何も考えないで、「こうでしょ!」「そうよ!」と決めつける事の方がよっぽど怖いとも思います。それはお互いに右とか左とか言う前に。

「今」が未来を作っていくのだから・・・・。

 

この記事は、昨夜に書きはじめたのですが、その間に新たな局面を迎えました。安倍さんは記者の囲みと言う形でインタビューに答えていました。

一丸となって取り組むと。

今は先の思惑とか関係がなくて、一丸となっての交渉ですよね。私も心の中のざわめきはさておいても、取り組んでいらっしゃる方にエールを送ります。

助かって欲しいと思います。

そして何があったのか、どういうことを考えたのかみんなに語って頂きたいです。

 

父親を乳飲み子の所に帰してあげてください。

息子を老いた母の元にお返し下さい。

 

そう思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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