そうそう、この言葉「まっ、いいか。」を忘れてはいけません。
どうしてかって言うと、年末の私、結構ギスギスしていました。
それは、やることが多すぎたから。
まっ、いわゆるプチパニックに陥っていたのですね。
目標が達成しようがしまいが、時間はどんどん過ぎていく。
そんな時には「まっ、いいか。」と言う言葉とともに一年を振り返ってみたりリセットしたりする。
そのぐらいの気持ちが大切ですよってなわけで、毎年年末、もしくは新年は「まっ、いいか」と言うタイトルで
記事を書くことになっているのです。〈もう5日ですが〉
やっぱり一年を振り返ってその反省などが次の目標を立てる目安になると思うのです。
だから2015年の目標を立てる前に昨年の事を振り返ってみたいと思います。
しかし、何というか私の2014年は、私的にですが凄まじかったです。
よく天中殺とか言うでしょう。あの占いは何占いというのですか。私はそういうのには全く興味がないので知らないのですが、もしその手のものが好きな人だったら、昨年のあなたは何々の年と名前を付けてくれるんじゃないかしら。
ダラダラと書き連ねますが、言うなればこれは
「ねえねえ、ちょっと聞いてよ~。」と言うノリになっています。
1月2月には最後の受験生を送り出して、私の一つの時代がようやく終わったのでした。
3月は手術した姑の見舞いに京都に行ったのですが、途中で夫が具合が悪くなり一人旅になってしまいましたが、姑との語らいやお食事は楽しく、雪も降ってきてその中での金閣寺や北野天満宮の梅園の風景は情緒があって良かったです。
その京都から帰ってきて4日空けて、今度は父の生前の願いを叶えるために、母や姉妹で山梨の祖父母の墓参りに行ってきました。もちろん山梨観光付き。
4月は美術館周りや小口のお出掛けが多かったです。
中学生がいなくなって夜のお仕事〈?〉が終わったので、家の片づけを本格的に始めました。
5月は父の1周忌。この1周忌というのはかなりのビックイベントですよね。終わった時に私でもホッとしたぐらいですから、母や姉などはその10倍はホッとしたと思います。
6月は夫と二人で広島と山口に旅行に行ってきました。6月は旅行ばかりでなく、夫のリフレッシュ休暇ということで20日間もお休みがあったのです。みんな夫が家にずっと家にいるのは嫌だと言いますが、もともと私は彼の顔色を窺って行動をする人ではないので、実は彼が家にいてくれて助かる部分がたくさんあって毎日二人でプラプラして楽しかったのです。楽しい時間は短く感じるもので、彼のリフレッシュ休暇はあっという間に終わってしまいました。
7月は吉田拓郎のライブ。チケットゲットにドラマを感じて、人の縁って大切だと思いました。
だけれど、その7月の後半から、実は私はまたも病気。
「入院」という言葉に脅かされながら、炎天下の道を毎日点滴を打ちに30分かけて自転車で病院に通いました。
なぜバスやタクシーを使わないのかと家人にも言われましたが、自転車で毎日サイクリングを楽しんでいたので、思い出として残っているのはその風景でしかありません。
8月はその点滴の病院通い、実家への帰省など。ようやく静かな毎日になるのかと思ったら8月26日にラッタ君から電話が入りました。
その電話で彼の独立が決まりました。たった20日の間に、チョードタバタ。
だから9月の記憶に残るほとんどは買い物に行ったり片づけたりー。
そしてお引越しでしたね。
もうこの辺になると、何なの2014年って、私は思っていました。
もちろん病気は良い思い出ではないのですが、上に書いたように大堀川の風景と読書が進んだことしか記憶に残っていないので嫌な時間ではなかったのでした。
ふうふう言いながらも良い思い出ばかりですが、それでもいろいろありすぎですよ~。
そして10月。
今度はルート君の転職が決まりました。
前の会社にごねられて、ちゃんと辞めることが出来るのかやきもきしましたが、無事に退職できました。有給を使ってしばらく家にいましたのでその間に一緒にラッタ君に会いに行ったり実家に寄ったり、また二人でお出かけなどをして楽しかったです。
だけどその10月の最後の週、3日続けて出かけることになり、体を壊さないようにかなり緊張しました。
3日続けてお出かけの最後のものは、ついでに東京ラーメンショーなどに行ってランチにラーメンを食べたけれど、本当は大事な身内の手術の立ち合いに行ったのでした。
痛いのも苦しいのも大変なのも私ではありません。でも昨年後半からいつも心の中に居座った気の重い出来事でした。
夏は自分自身が体調不良だったので、実家には行かなかったのですが、また良くなってきたので秋になって月一実家がえりを復活させていました。
11月は、その実家帰りとネットのお友達とのオフ会。
昨年は本当に奥サマランチの余裕があまりなかったのですが、11月はドドドとそれをしたように思います。12月もそのランチはちょっとだけありました。
12月はその奥様ランチのついでに連れて行っていただいた「花田園」という素敵なスポットが最後のお出かけになりました。
もう今年は何もないなと思い、お片付けに専念することにしましたが、洗濯機が壊れました。これはブログの記事内にも書いたことですが、前の洗濯機を処分して新しい洗濯機を置き換えるだけというわけにはいかなくて、洗濯機様がお通りなる通路を作らなくてはならないためにかなり大変だったのです。
言うなればこれがなければ、年末に私はギスギスすることはなかったと思います。
この強制大掃除のために、新年パーティーのビンゴの景品を買い求めるというミッションが押せ押せになり、あれやこれやが押せ押せ・・・
心の中で、キィーとなった次第です。
もうもう何も起きないでねと思ったら、なんとルート君が熱を出しラスト近くに会社を休みました。2日休んで何とか熱を下げ〈もちろん病院には行きました。〉仕事復帰。復帰の日の仕事がチョーハード。ああ、社会は厳しい~。ところが1日ずれてラッタ君、体調不良で会社を2日会社を休みました。〈1日様子を見て結局病院に行きました。〉
離れて暮らしているというのに、何のよと思いましたが、ちょっと私にも風邪の症状が・・・。でもそれがラッタ君型の風邪の症状で、さらに何でなのよと思ったのでした。
12月31日、そんなこんなの2014年でしたので、魚の買い出しに行くルート君と夫に「気を付けてね!!」という普通の言葉に思わず念力を込めてしまいましたよ。
昨年のはじめ、私はこんなことを書きました。
「日はまた昇り、また沈む。
一日はあっという間に過ぎて行ってしまう。
だけれど、そんな短い一日でも、それが365日過ぎてみると、それなりに多きの思い出の山を積み上げることが出来るのだ。」
いやいや、それほんまやで。
なんか私、こうして書き出しただけで昨年はふぅふぅという感じで疲れを感じてしまうのです。
日帰りのお出掛けの事などは、ここには書き出しませんでしたが、いろいろ楽しい事も多かったですし、、いろんなことあり過ぎと思いながら充実していた1年だったのかもしれません。
だけど今年はもっとひっそりと静かに地味に〈しつこい〉、だけど堅実に暮らしていきたいと思います。
映画の事、お芝居の事は、具体的な目標を立てながらそこで振り返ってみたいと思います。
最後までお読みくださった方!
私の「ねえねえ、聞いて」におつきあいくださって本当にありがとうございました。