私の実家では新年のパーティーの時、乾杯の前に家長の挨拶が入ります。
もちろんおととしまでは父が挨拶をしていました。
父の挨拶はしっかりとしたもので、そして少々長かったのです。
今でもちょっと心がきりりと痛むのですが、その最後の年の挨拶の時、立ち上がった父に私は合の手を入れるように
「挨拶、短めにね。」と言いました。
後で姉などは善意の解釈で、私が父の体を気遣って言ったのだと思ったと言ってくれました。
確かにそんな気持ちも少々はあったような気もしますが、でもきっと私は父の長い挨拶をじっと聞いていたくなかったのに違いありません。
その年が最後のお正月になるかもしれないと、無意識に近い意識では分かっていたのです。でもそれよりも同じように時が流れてまた来年、そのまた来年と同じような正月がやってくるのだと信じていたかったのです。その願望がいつもと変わらない好き勝手に話す私の言葉を放させたのでした。
本来ならばいつもの3倍は話したかったかもしれません。
その時の父の挨拶の内容をしっかりと覚えているわけではありませんが、父は遺言のつもりで言ったように思いました。まとめ過ぎですが、とにかくいつまでも姉妹仲良くいて欲しいと言うものだったように思います。もちろん姉妹のみならず一族みんなです。
最後の挨拶の時にはろくでもない合いの手を入れてしまった私だけれど、その父の願いだけは守り続けている私たちだと思います。
そして今年は、その挨拶を母がすることになりました。
母が言いました。
「いやだわ。こんな80過ぎのばあさんが当主みたいに挨拶するなんて・・・。」
だけれどその時が来て母が話し始めました。
「皆さん、今年は平成27年。ラッキーセブンの年なんですよ。その年にちなんで、みんなで幸せに生きましょう。
私は毎日祈っています。ここにいるみんなが90,100まで生きろとは、そんな難しい事は言いませんよ。とにかく80過ぎた私を抜いていけるように、80までは何としてでも生きて生き抜いて欲しいと思っているのです。
私は毎朝その事を祈っています。だから大丈夫です。
皆さん、ラッキーセブンですよ!
いい年にしましょうね。」
― 何よ、お母さん、上手いじゃん、挨拶。
と、私は思いました。
毎年交代制にしようかなんて案も出ていたけれど、もうこれからもずっとずっと新年の挨拶は母にやってもらおうと私は決めました。
ところで今年は新年パーティーのイベントでビンゴをやる事にしました。
お料理は姉と母が担当なので、私がそのビンゴの担当でした。
年末は洗濯機事件があったり、家族が風邪で寝込むと言うアクシデントがあったりで、その準備も完璧と言うわけにはいかず、朝、姪たちに手伝ってもらって袋詰めやナンバリングを完成させました。
その時私は言いました。
「ビンゴのビリは、毎回私って決まっているのよ。前にやった時もそうだったし、じゃあ今回は違うだろうって思えない。今回もビリの予感がするのよね。だから末等も自分が欲しいものをそろえたから安心だわ。」
この予感は当たったのか外れたのかー!?
ビンゴの抽選機を自分でくるくる回しながら、私は思わず言いました。
「私、今年はバンバン予言する!」
風邪で来ることが出来なかった人の分も他の人が担当して開けました。
他のカードがビンゴで終了してから、5回ぐらい回してようやく最後の私のカードがダブルビンゴでようやく終了したのです。
「なんかここまで来ると、逆に凄くない、私?」
と、私は言いました。
なんでもポジティブ思考になってしまうのは、今年も変わらないようです。
私のカードが最後まで粘り続けたことも含めて景品授与式も盛り上がり、みんなに楽しんでもらえたように感じたので満足しました。
今年はラッキーセブンの年。しかも27年なのですから…と言ってもダブル7と言ったら、77の事になってしまいますよね。だからラッキーセブンの2倍「ラッキーセブン×2」、良い事も2倍ありますよ、きっと。
だけど私だけはダブルセブンです。だって、ビンゴの順位の番号は「17」。
平成27年、は17から始まりました。
7と言う数字がラッキーナンバーならば、ダブルラッキーセブンです。
今年もいい年になる予感がしました。