森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

相棒 season13第12話「学び舎」

2015-01-23 15:45:49 | ドラマ(相棒)

―犯人、全く思いがけない人であの人だなんて思いもよらなかったわ~。

と、もしも私が言ったなら、右京さんに

「案外、あなたはシニカルな人なんですねぇ。」と叱られてしまうかも。

 

だけどあまりにもフツーだったので、えっー!!となったのは確かなんだな、これが。

と言うか、メガネぐらい、翌日に買えよ。

 

貧乏の研究命って言う描写はなかったじゃん。らでっしゅ食べて飢えをしのいでいるシーンもなかったじゃん。

だったら、メガネ買えよ。

 

すみませんねぇ。細かい所に拘っちまうのが右京さんと10年以上も付き合ってきた私たちの癖なのよ。

彼女は目が悪そう→眼鏡をしていた→あのメガネは。。。

なーんてところでは、うなれないわけで、逆に「ちっ!」って思う所なのよね。

 

実は私、彼女が犯人と分かった時点で時間的に寝落ち〈一番眠い時間なので〉しちゃったんです。

でも寝ぼけた頭でチラチラは見ていたかもしれません。その寝ぼけた頭で感じたのは、なんかこれ批判が多いだろうなって思ったんです。

 

でも今日、はっきり目が覚めている時にちゃんと見直してみたんです。

すると、「ああなってこうなって」の部分が凄く面白い。

教授が昆虫学者だったから、あの箱を見つける事が出来たと言うのは、凄く納得です。上手いじゃない。そして常に見かけより本質を大事にする教授は常に「先生」であったのですね。

 

失敗しても何度でもやり直せるとある時はかつて傲慢だった男に説き、一人研究に没頭する女性にはヒントを与えて助けようとする。

素晴らしい(ノД`)・゜・。

 

だけれどわけのわからないような研究女に殺されてしまったのですよ。

「相棒」のなんだかちょっとかわいそう的な音楽を掛けられても、馬鹿じゃないの、この女って思っちゃいますよ。

思うに、人を殺そうなんて思う人は、どこかおかしいのですよ。

そのおかしいよと言う部分を書かなくちゃダメだと思うのです。

 

この女性も、相当おかしい人だと思いますよ。だって人を衝動的に殺した後も、同じように図書館で勉強しているなんてありえないと思います。

なんでか図書館から大学の談話室とかで勉強をするようになったとかー。

そう言う変化があったって良かったと思います。

 

フェイクのためのネットの危険性エピは、いたって軽く、この感想を書くにあたってもすっかり忘れていたほどです。

フェイクを作ったと言うことは、刑事ドラマだから「犯人当て」と言うものに拘ったのかもしれませんが、「相棒」はそこは無理しなくても良かったのになあって思いました。

 

主軸のお話は、本当に良かったです。

ラストシーン。

連行される女性が同じように教授にかかわって、人生やり直し中の男性を教授と見間違えて立ち止まるシーンなどは、はっとしました。

私の妄想演出ですが、

「せんせーーー!!!ごめんなさーーーーい!!!!」と泣いて取りすがり、はっと我に返って違う男性だと気が付きガクッと膝を落とす。それを右京とカイトが優しく立たせ連れ去っていく。

間違えられた男も、静かに頷き本の前に立ち尽くす。

 

と、このぐらいのシーンがあったら、教授も少しは報われたかなって思ってしまったのでした。

 

ところで私、このライターさん「相棒」でお見かけしないから、また新人さんかなと思っていました。だから次回を期待して少々辛口だったかも。でもよくよく見たらさ・・・・

「インシテミル」とか…あとさぁ、びっくりしたんだけれど「るろうに」書いてた!!!

私、藤原さんが関わってるものに関わってる人は、あまり悪く言いたくないので、もう止めときます。

 

あとひとつだけ。

松の行列毛虫って、本当に凄いのよ。

ここに写真載せると、「閲覧注意」になってしまうから載せないけれど、

興味がある方は検索してみると良いですよ。

移動する時に、本当に一列になって行列するのですが、結構長いんです。

実際には見た事がないし、本当に見たら「げっー」ってなりそう。でも画像は平気なんです。

それで見ると、やっぱり虫の世界も侮れないなって思います。

 

そう言えば・・あと一つだけって言ったけれど、しつこくもう一個。

ツイッターで「今日の月はとっても綺麗です。」って私も良く書き込んじゃうし、そしてよく見るけれど、あれって世界に向けて「愛してる」って言ってるようなもんだね。

 

 

 

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気鬱うつうつ

2015-01-23 00:44:50 | 梢は歌う(日記)

日記です。

※     ※     ※

ちょっと私、凄いのよ。

って言っても、ちょっとネガティブな事を書きますね。ネガティブな事も「凄いのよ。」と自慢するポジティブな私。

何が凄いのかって言うとね、月曜日からゴミ捨て以外1歩も外に行っていません。いわば引きこもり。

家で忙しい用があるからではなく、かなり意志をもって引きこもっています。

本当は日曜日もお買い物を夫に頼んで家にいたかったのですが、姑からそろってランチを食べようとお誘いを受けたので、そういうのはニコニコと出掛けてまいりました。

なんでかと言うとね・・・・

おうちにずぅぅぅぅっといたいからなんです。

 

「ええっ!?
この人、大丈夫か。」って思った人もいるよね。

 

でも大丈夫です。

 

引きこもってゆるゆると生活していましたら、気力が戻ってきました。

そしてまた陽気でお気楽なkiriyさん、復活ですよ。

こんなことを書いているくらいだから、平気なんだなって分かって頂けると思います。

 

だけど私、一月の前半、少々やばかったです。

それ、急に五日の月曜日に来たんですよ。

いったい何がどうしたのって言うような気持ちの落ち込みが・・・・・・。

何にも理由なんかないのに、どよよよんって気持ちになってしまっていたのです。

 

私、思わず「うつ病」とか「うつの引き金は」とか検索してしまいました。

でも「食欲不振」と言う所で「うつ病」の症状には当てはまらないような・・・・・。

 

それから寝つきが悪いと言う所も違うかな。

 

じゃ、違うんだと言う結論に。

 

ふと今こうして書いていたら、もしかしたらアレかなって、理由が分かったような気がしました。要するに正月終わりのプチうつ。

お正月にはラッタ君も帰って来て、昔通りの4人の生活。きっと私は幸せだったのです。

彼は横浜に帰り、そして家族も仕事に出かけた月曜日・・・・・。

なーんだ、そんな事か。

 

でもね、最初から理由が分かっていたとしても、あまり意味もなかったと思います。それでも落ち込む事はあるんですよね。

鬱の人がいて、「まあ大変ね。」と他人事に突き放して思うことは出来ない事ですよ。

なぜなら心も体のうちに収まっているもので、誰でも患ってしまう可能性のある病気なのですから。

結構長い間真面目に生きてきた中高年は、頭も固くなっている部分もあるので、さらに「かくあらねば」という罠にはまり自分から「鬱」の扉を開けてしまう可能性も大きいと思いますよ。

 

でも私の場合は、先ほども書きましたように、どうも症状も違うし、その病気の走りと言うわけでもなく単なる「気鬱」だったように思います。

そしてその気鬱、結構重くて、数日間、私は苦しかったです。

 

だけど マイナス×マイナス=プラス

そのような苦しかった日々の中にも次のプラスに繋がることは隠れているんだと思います。

 

ちょっと遠方に住む二人の友人と電話で久しぶりに語り合いました。

「一生懸命に生きる」「今を生きる」二人の方の会話から、それを学んだように思いました。

 

お正月には風邪で来られなかった妹が実家に行くと言うので、思い立って私も出かけて行き、姉妹で大笑いして帰ってきました。

ついでにラッタ君と一緒に映画も見てきたし、家族は私の元気玉です。

 

引きこもっていたのは、今週からだったのですが、これは無意識の計算が働いたんだと思います。

肉体が病の時は寝込むじゃないですか。心が弱っている時は、居心地のいいところで静かに暮らすと言うのは大切な事なんだと思いました。

だけど、誰にも会わなかったと言うのではないのです。

 

用があって訪ねてきた友人は私と同じ年の人です。

彼女に私は聞きました。

「何にもこれと言って理由もないのに、落ち込むことってある?」

「あるよ~。」即答。

「でもそういう時は、難しい事は何も考えないようにしてるんだ。」

 

なるほど~。

何も考えないようにする。

そう言う技もあるな・・・・・・

 

って、その技、結構レベルが高くない!?

 

 

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