いわゆる第1ステージのクライマックス。
16回は不在でしたので土曜日の再放送で見ました。
「われらはわれらを生きねばならぬ。」と
「寅次郎がいなくなっても、残された者はみな自分の人生を生きていかなければならないのだ。」
と、父に諭されても、文は戸惑うばかりです。
文の今までは常に松陰とともにありました。彼を助け彼を支え、文の人生は松陰と同化していたのかもしれません。
今朝は祝日なのでNHK はいつもの番組はナシで、「花燃ゆ」の今までの総集編がありました。
それをまた見てみますと、文は本当に兄を支えていました。ある時には彼から学び、でもある時にはその兄を叱咤して。
松陰との別れは、間違いなく文のまた家族一人一人の新しい一歩を踏み出す幕開けになる事と思います。
江戸に送られることが決まった松陰は、肖像画を依頼します。
昨年、山口に旅行に行ったときに、バスガイドさんが肖像画を見ながら
「松陰先生、おいくつに見えますか?」と聞きました。
でも
「年齢を知ってるから。」と答えると、その先の
「でもその年には見えずに老けて見える。」と言う私の言葉を待たずに、嫌な顔をして
「そッ、知ってる。あっそう、知ってるのか。」と彼女が言ったことが印象的でした。
このバスガイドさんは最後は心も通じ快く別れたものの、なんかメッチャ気が強くて、この人は東京のはとバスあたりのバスガイドになんかレベルが高すぎて絶対になれないなと、心の中で私はひそかに思っていたのでした。
「でもその年には・・・」と言ったのは、私の気遣いです。こっちがバスガイドに気を遣う・・・ああ、疲れちゃったわ、もう、と言う所です。
要するに、松陰先生の肖像画、とても29歳の青年には見えないのですよね。
そして松陰は幕末などの歴史好きには常識的に有名であっても、少々学校の授業などをさぼった人にはかなりマイナーな人物で、この老けた肖像画の人が29歳と言うのはある意味ガイドさんの落としどころなんだと思います。
だけれど、「花燃ゆ」は、ここが素晴らしかったですね。
伊勢谷松陰を描くと、違和感がまったくなく、
老けていると感じていたあの肖像画が似ているとさえ感じたのでした。
結構有名な肖像画は
この肖像画は6枚残っていて見比べるのも楽しいかもしれません。
それは→こちら
文の家に飾られていたのは、やはり吉田家の伝わっているものをモデルにしたのかもしれませんね。
江戸に送られる前に松陰は野山獄の福川の計らいで家に戻ってくることが出来ました。
そこではいつも通りの家族の触れ合いと笑いがありました。
人が望む幸せとは、かくのごとくのようなものかもしれません。
でもそれは松陰の望むべきものではないのです。
16回と17回は「生きる」とはと言うテーマでビンビン来ましたね。
家に戻って来た兄松陰に、逃げてと言う文。
このシーンをまどろっこしいな、そんなわけないじゃんと思う方もいるかなと私は思いました。
でも私は、「ああ、そうか~。」としみじみと思いました。
なぜそのように思ったのかと言うと、この二つの回にまたがったクライマックスの私の感想は、萩の松陰神社に訪れた時の感想とほぼ同じなのです。だけれどそこで私はある言葉で締めました。
一応、その記事は→「松下村塾&萩城下町」
萩の雰囲気や松下村塾、高杉邸の画像などを見る事が出来ると思います。ついでにちょっとノーメイクの10代の時の私の画像など堂々と載せてしまったので恥ずかしい限りですが、10代の若いものが松陰などの熱き血潮の人にどのように影響を受けるのか、今思うといい例になっているなと思うのです。
でもこちらに締めた文だけセルフ引用させていただきます。
「松陰の辞世の句は「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」 が有名だと思うのですが、もう一つその死罪が言い渡された時に作った歌があるのです。
それは「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」でその石碑がこの松陰神社にはありました。
子供が親を思っている以上に親は子を思っている。今日、その知らせ(死罪の)聞いて親は何と思うだろうと言うようなもので、嘆く親の心情を思ったものだと思います。
10代の私にはおじさんに感じた松陰は、今ここにまた来てみると、わが愚息とさして年の違わない青年なのでした。
私はしみじみと子供を思うように哀れで切ない事だと思ったのでした。
その石碑の文字を見つめながら、
―違う道はなかったのだろうか、逃れる方法はなかったのだろうか。なんとしてでも生きのびて叶わなかった夢の続きをやらせてあげたかった
などと、思っても仕方のないようなことを考えていたのでした。」
ほらね。
と言うのも変ですが、この最後の2行の感想は、まさに文の行動に繋がっていくようなものではないでしょうか。
まったく分かってないなあと思えるような文の「お逃げください。」は家族ならするよねと言うアクションだったのだと思いました。
死罪の後、魂だけが帰ってきた松陰。
風呂の沸かし口で母と語る彼。また父に「お腹が空いた」と語る松陰。
塾生と文を優しく見守る松陰。
何度見ても泣けてしまいます。
何も語らなければ遠島と言う罪になり、再び生き延びたのだと思います。でも彼はたった一つの命をここで使ったのだと思いました。
命の使い道というー。
松陰の家族に残した言葉には
「人の命とは歳月の長さではない。私は30歳ですが、収穫の時を迎えたのだとと思います。もし同志の中で私の心を継いでくれる人がいたら私の実は空ではない。
どうか一粒のモミとしてとして次の年の春の種になれますようー。」とありました。
種になるために松陰は、命を使ったんだなと思いました。
そして家族は、そして文は
「われらはわれらを生きねばならぬ。」と、おのれの道を歩きだし、第2ステージへと物語は進んでいくのでした。
ワタクシ、伊勢谷松陰亡き後は、仁先生、すなわち大沢さんの小田村が引っ張っていくのかと思いましたが、予告編を見ていると、そうではなく若手台頭ですね。
東出君や高良君がメインで引っ張ってくれそうで、これはこれで楽しみです。もちろん文さんはヒロインですから、彼女以外にと言う意味ですよ。