夫殿が言いました。
「松陰亡き後、この大河の本当のピンチがやってくる。」
どう見ても吉田寅次郎の最後の時が近づいてきているのは、物語の展開からも分かります。
あまりにも伊勢谷さんの吉田寅次郎がぐいぐいときて、物語のど真ん中にいるので、その彼がいなくなってしまった後、誰がこの大河を引っ張っていくと言うのだろうと夫は言ったのでした。
それでワタクシ、言って差し上げましたわ。
「何をおっしゃるの。仁先生を侮ってもらっては困るわ。松陰亡き後は大沢さんがいるじゃん。」と。
それはともかく、第15回は見ていて胸が苦しくなりました。
松陰の苦悩。
ドラマ的には理解できますが、共鳴できない自分がお気楽ドラマ視聴に水を差します。
上の一文は上手く表現できていませんが、多分同じように感じた人はたくさんいたのではないかと思います。
共鳴できないのは当たり前なのです。
なぜなら松陰が塾生たちに指示しているのは、暗殺計画なのですから。〈家では寅次郎ではなく松陰と呼んでいるので、そのまま書かせていただきます〉
日本の今を憂いてそして未来の為に思考する―。
そこには共鳴しても、その具体的行動の指示には、今と言う時代を生きる私たちが共鳴など出来るわけないのです。
ゆえに苦悩する松陰に胸が痛いと思い、また微妙な薄い怒りすら感じるのでした。
その怒りは、塾生の親にでもなったような気持から湧き出たものなのかも知れません。
私が彼らの親なら、勇気と力と知恵を出し、何をまずするのかと言ったら、松陰を野山獄から脱獄させてあげたいと思います。
そして言い放つのだ。
「自分でやれよ!」
何をお門違いな感想をと思う人も居るかもしれません。
でも感情移入度が、それだけ高いと思って頂きたいところです。
揺れます、心が。
具体的指示への共鳴と言う話は置いといて、国を憂いてと言う点で松陰の心に寄り添いたいとも思います。
でも一番「そうだな」と感じたのは、
九一の妹すみが言った
「このままじゃあんたの兄上に殺される!」と言う言葉だったのです。
もしも獄に繋がれるものでなかったら松陰は、私などに「自分でやれ」などと言われる筋合いもなく、自ら旗を振って動いたのかもしれません。
彼の嘆きからそれは分かります。
「口先だけは立派な事を言うて何の行動もなせず…。
そういう人間を 僕は最も憎む。
僕も同じじゃ。
憎む! 僕は 僕を憎む!
何の役にも立たん!」
また
「何もなせずに生きる事が…恐ろしいんじゃ。」
胸が痛くなるようなセリフが続きます。
そして私は思いました。幕府が最も恐ろしかったのは、実行者よりも扇動するものだったのだと。
「文。 兄は死にたいんじゃ。
こねな僕でも 死んでみせれば心を動かして 立ち上がる人間もおるじゃろう。
僕が そうしてみせなければどれだけ待ったところで志を持った者たちが決起する事は永遠に来ん。
僕は もう…死ぬ事でしか生きられん。」
この想いが、松陰の未来を決めてしまうのだと思い切なく感じました。
文さんの
「みんな 寅兄が大好きなんです。
どうか帰ってきて…生きてつかぁさい。
私たちと一緒に。」
みんな寅兄が大好き。
でも逆回転時計はないのですー。