ホテル四季彩の立ち寄り温泉を利用させてもらい、私たちは最後にバスに乗り日光駅に向かいました。
ここのHPを見ても、立ち寄りの事は何も書いていないので、星子さんは良く見つけたなあと「さすが」と感心しています。他のホテルは宿泊客がインする前の3時までの所が多いのですが、それって日帰りハイキング客のニーズにはまったく適していないサービスだと思います。
ここは3時から6時まで・・・・・・・だったかな…ヤバイ、既に記憶喪失・・・
でも日光にやって来て、3時にインしてお風呂に入るお客様の数はそうそうは多くはないはずです。この時間設定は本当に良いなと思いました。また若いホテルマンが感じが良かったですし、お風呂も自然に溶け込んだ作りになっていて良い感じでした。ここがあって本当に嬉しかったので、丁寧に書きましたが、いつかここには宿泊もしてみたいと思いました。
ところでバスには運転手さんの後ろにたまたま座った私ですが、夜のいろは坂、周りが真っ暗で何も見えない分もあって、見つめるのは進行方向のみ。これはバスで移動と言う本来の目的以上の楽しさがありました。もちろんそれは運転手の方に絶大な信頼を寄せているからに他なりませんが、いろは坂のバスは曲がるときに本当にガードレールに突っ込んで行くような感覚を覚えます。
曲がるたびにひやぁ~とした感覚が押し寄せてきます。
「キャー」「うわぁ~」と叫ぶ私。
もちろん心の中で。
私はこの「いろは坂 」と聞くと、必ずある事を思い出します。
それははるか昔の結婚前の会社勤めの時、その会社の社員旅行のある年は日光に行くことになったのです。そこでの社員旅行はいつも全額会社持ちです。若い日はそれがどんなにありがたい事か分かっていませんでした。それよりもそこの会社の「飲めないやつは社員じゃない。」と言う姿勢の方が、切実に感じていたのです。今の私だったら、もっと上手くかわせると思います。時代的にも、そんな発想は愚の骨頂、いくらでも言いようがありますよね。だけどその頃は一気飲み全盛期で、社員全員が酒豪と言う会社で、仕事とは全く関係ない事が悩みでもあったのでした。
タダで旅行に行けると言う選択よりも、お金を払って病院で診断書を取り(胃が弱かったので)、旅行をパスしました。それでもイヤミのシャワーを浴びました。
その旅行が終わって、何かお土産も頂いたと思います(味方もたくさんいましたので)。
だけどその時に「ご旅行はいかがだったの。」と聞いた私にしてくれたお土産話は
「いろは坂が滅茶苦茶渋滞でバスも満員でずっとぎゅうぎゅうの中に立っていて、それにトイレに行きたくて我慢しまくって死ぬかと思った。もう日光の事は思い出したくもない。」と言うもの。
お土産話は以上終了。
宿がどうとか料理がどうとか、誰々がこんなことをしたとかの話は一切なし。
おまけのように「ああ、紅葉は綺麗だったよ。」。
それは私が「紅葉は?」と聞いたからで、その頃の私は本当は紅葉なんかあまり興味もなかったし、記憶の中にいろは坂での渋滞トイレ地獄の話が心に刻まれたのです。
そして私は心の底から、「行かなくて良かった~。」と思ったのでした。
だから日光でのバスの前には「トイレ」と刷り込まれていたはずなのに……やってしまいましたわ(^_^;)
だって家に居る時には、トイレに行きたいかなと思っても、面倒なのでそれから2時間ぐらい行かないことだってあるじゃないですか。
24日の日光は前日の台風通過の影響もあって、全体的に空いていて渋滞の心配なんかなかったのです。
中禅寺温泉バスターミナルにて、バスの時間に合わせて華厳の滝を見たり中禅寺湖を見に行ったりして戻って来た時には、ちょっとトイレに行きたいかなと思っていました。でももう少しでバスの時間ですし、バス乗車時間は「イタリア大使館別荘記念公園」まで5分。
「ねえ、バス停から大使館別荘まですぐなの?」と何気なく聞く私。
「うん、すぐ近く。」と星子さん。
じゃ、いいか。面倒くさいし。
って、それ、だめよ~。
渋滞してないけれど、「敵は本能寺にあり」じゃないけどね、本当に危ないのは私たちの気まぐれ指数の高さなのよね。
バスの中で検索していた星子さんが
「ねっ、このまま『半月山展望台』まで行ってもいいかな。そこでの滞在時間は20分しかないんだけれど。」と言いました。
「うんうん、行く行く。」と私。
脳内では、20分のうちトイレ時間が5分マイナスと言う計算をしていました。
ところがバスの中から外の風景を見ていたら
「ここより先、トイレはないので要注意」と言う立て看板がドライブインの所にあったのです。
えええ~!!
それは車やハイカーのためのモノだと思うのですが、じゃあ、バスの中の人はどうなるわけと思いました。
ここは「トイレに行きたいのは気のせいよ。」と決め込むしかないなと思いこむ事にしました。忘れましょう、トイレの事は。
だけど「半月山展望台」に降り立った時に、真っ先に愛子さんが
「ここはトイレがないのよね。」とせっかく記憶喪失になっていたのに、思い起こすことを言ったのです。
そりゃそうよね。
トイレに近い順番を言ったら愛子さん、私、それにモンスター並みにトイレに行かない星子さんの順番。私がトイレの事を意識していると言う事は愛子さんだって同じよねと思いました。だけど敢えて聞かない事にして、そこでの風景にはしゃぎまくり堪能しました。
そしてまたバスに乗り込み、車窓の短い旅を楽しんだ後「イタリア大使館別荘記念公園」で下車したころ、脳内メーカーがここにあったならば、その脳内に「トイレ」と言う言葉が半分以上埋まっていたと思います。
私のイメージの「すぐそば」はバスを降りて、多くても50歩歩けばそこに大使館の別荘があるのだと思っていました。
違いますから !!
湖畔の風景を楽しみながら、または秋の日の風景を楽しみながら少々歩かなければならないのですよ !!
思わず
「星子さん!!」と言いたくなりましたが、別にその別荘がバス停の目の前にないのは星子さんのせいではないわけで、すました顔で
「紅葉が結構綺麗ね。」みたいなことを言いながら歩きましたとさ。
そして目的地にたどり着きました。
じゃあ、そこで私がトイレなる場所に駆け込んだのかと言えばさにあらず。
昔は
「トイレ? そんな所にみなさんは行かれるの?」なんて顔をしていた時代もあったんじゃないですか。
おばさんになっても見栄は張るのです。
「ねえ、靴を間違えないようにするためのクリップがあるよ。」とか「チケットが二館共通券を買うと100円安いよ。」とかとか余裕を持っている振りをして、そしておもむろに「あっ、ちょっとトイレに行ってくるね。」と言う私。「あっ、私も。」って愛子さん。それはそうだよね。
ツイッターに「女めんどくさい」みたいなアカウントの人がいて(正確ではない)、凄く内容が面白いのですが、それはともかく古今東西、女は面倒くさい生き物なのだ。
まあ教訓として、バスに乗る前ついでに言えばエレベーターに乗る前は、下りるまでに何があるのか分からない事なので、
「トイレに行きたいような気もするな。いいや、面倒くさいから後でね。」は止めようと言う事かしら。