歩いていたりすると
いろんなことを考えてしまう。
ずっと昔の思い出や
あまり意味もなさないことなども。
秋の日の風景は
やっぱり
北原白秋
なんかを思い出すよね。
「からまつの林を・・・」ってね。
だけどさ、
なんで白秋は、白秋って名前にしたんだろう。
歳を行ってから改名したわけじゃなくて、最初から
若い時から白秋。
なんでだろう。
ああ、凄いな、ネットって。
今調べてみたら見つかったよ。
「『評伝北原白秋』(藪田義雄著 玉川大学出版部 1978)
p35 「この冬(明治34年)、友人たちとはかって回覧雑誌『蓬文』を発行することになったが、
(略)あたまに『白』という一字を載せることとし、その下に付ける字をくじ引きしたところ、
白秋には『秋』があたったというのである。」
『北原白秋 新潮日本文学アルバム 25』(新潮社 1986)
p15 「三十四年の冬、白秋のよびかけで中学の有志が文学回覧誌『蓬文』を出した際、
あたまに『白』の字のつく称号をつけようという話になり、くじ引きの結果、
隆吉に『秋』の字が当ったというのが実情らしい。」
なーんだ。そうだったのか。
チョピッとがっかりしたなあ。
青春・朱夏の時代を経て、白秋は何かを思っていたのかななんて
ちょっと思って見たものだから。
だけどさ、そんな白秋は
白秋の時代を待たずに57歳で亡くなっているんだね。
一
からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。