11月8日、この日は薄曇り。
でも今日行かないと、また行く日が無くなってしまうと
毎年見に行っている十月桜を見てきました。
どんなに曇っていても良いのです。
だって十月桜には曇りの日が良く似合うと思っているからです。
秋に咲くこの花はいつも寂しげです。
十月桜の良いところは、「可愛い」と言う点と、
何よりも咲いている期間が長い事ですね。
毎年見ている十月桜。
「今年も来たよ~。」
「今年の私は、お気楽な人だよ~。」
などと、心の中で語りかけたのでした。
そして
ある時まで同じ桜かと思っていた・・・↓
こうしてみると、まったく違うのに隣同士で並んで咲いていたものだから 、思い込んでいたのですね。
それに今となっては分からない事ですが、木の表札が掛かっていたかどうか、
そこから怪しいと疑っています。
あー。
今気が付きました。
木の表札が新しくなっていますね。
昔はもっと素朴なやつでしたから。
その後は、公園内をぐるりと周って帰ってきたのですが、
それでも12000歩ぐらい歩きました。
日本と言う国は、本当にいつの季節も美しいと思います。
春には春の絢爛な花の祭りがあり、夏には夏の空気を染めるが如くの緑がそよぎ
また何もない冬でさえ、木々たちはその裸体を競い合うのです。
秋の日は寂しい。
だけどこの秋と言う季節の芸術家ぶりはどうなのでしょうね。
ほらほら、君たち、見たまえよ。
などと誇らしげなような気さえしてしまうのです。
ふと
秋好む姫の庭は如何なるものであったのか、
などと思ってしまったりもするのです。
「秋好中宮」については→ここ。
しかしこんなニックネームを、紫式部ではなくのちの読者が付けていったなんて、
そこが素敵ですよね。
―ああ、京都にも行きたいものだね。
京都の秋は真っ赤だものね。―
薄曇りの日の秋散歩。
寂しげな風景画像を、またたくさん撮ってしまいました。
気まぐれに、また載せていくと思います。
昨年の十月桜の記事は→十月桜2016
それ以前の十月桜の記事は「十月桜と共に」
↑
上の記事は、まとめ的リンク記事ですが、私にとっては家族の大事な事が書いてありました。
それを読むと、直接は関係のない事でも、人々との大切な絡み合いによって
自分の生活は支えられているのだとしみじみと思います。