森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

可愛いママちゃん

2018-03-23 14:08:28 | 家族スナップ

21日は春分の日でありながら、春の雪が降りました。

この日は横浜の姉と母は、父の墓参りに行ったのですって。

前の土日も後の土日も都合が悪く、この日に行くしかなかったようです。

雪の様子を写メで送ってくれました。

 

海のない東京より千葉の私の所では、確かに午後ちょっとだけ霙は降りましたが、ほぼ終日雨でした。

姉がこの雪の風景と一緒に送ってくれたのが母の写真。

 

もうお婆さんだし顔を隠すこともないかと思いつつ、一応隠しました。

ええと・・・・

私が身内馬鹿だって、知ってました~?

「まあ、おかあさん、可愛いじゃない !」って思ったので、^^;

すぐに姉にラインで伝えました。

母は

「まあ、どうしよう。」って言ったのですって。

「可愛い」と言われたから「どうしよう。」って、

なんかそれも含めて可愛いじゃないの。

と、身内馬鹿の私は思います。

 

先日、私が玉置浩二さんのコンサートに行き横浜の実家に泊まった翌朝の食事。

朝からエビフライ。

あのね、おかあさん。

エビフライが好きなのは妹ちゃんなのよって思ったけれど、

朝から頑張ってくれたのが嬉しかったです。

中が生でなければ、もっとね。

 

ふと、座っているところの横を見ると、綺麗なノートが見えました。

何かしら、これ。

そうやっていつも何かを物色してしまうのは、私の悪い癖。

まあ、あまり悪い癖とは思ってはいないのですがね。

 

そのノートは、母の日記帳でした。

「なんだ、日記帳か。」と言って、元に戻そうとしましたが、

ふとそれに付いているインデックスに目が行ってしまいました。

そこには「2016年」「2017年」と言う風に書いてありました。

「おかあさん !

三年日記はこうやって使うんじゃなくてね・・・・」

母は、前からずっと詰めて書いていたのです。

本来の使い方を教えてあげましたが、

すでに日記帳は大方埋まっているし、

まあいいかって、二人で大笑いしました。

 

ずっとずっと続いている母の日記。

その日は何を書いたと言うのでしょうか。

 

私は亡くなった父が母の事を

「ママちゃーん」

と呼ぶのが好きでした。

 

子供たちが大きくなってしまった我が家で

つれあいを「パパ」「ママ」と呼びあうのは、

たぶんその影響です。

もちろん、夫の家は違います。

「母さん」『お父さん』の世界。

夫は両親を

「おふくろ」「おやじ」と言っていました。

だけど夫は結婚する前にほぼ4年、頻繁に我が家に来ていたので

彼もその影響を受けたのではないかしら。

 

トップ画像は、横浜に住んでいるラッタさんから送ってもらったものです。

「あさ、目が覚めたらこんな風になっていました。もう地球は終わりですね。」

などとほざいていましたが、春の雪は結構ありますよね。

 

近いところでは、たぶん・・・・

 

って、その記事は

春なのに

2010年には4月に降ったのですね。

 

 


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3月21日の50番目の記事は「ムサシ」の感想でした。

2018-03-23 00:53:10 | NO.50の記事

久しぶりの、昨日の「アクセス解析による50番目に読まれた記事」の記事です。

読まれた人の数は少ないけれど、過去に書かれた記事を掘り起こしてくださるのも嬉しいし、その記事が読まれるには何か理由があっての事で、なぜかいつも私への見えない誰かからのメッセージのような気がしてしまうのです。

そして昨日のその記事は

「蜷川幸雄三回忌追悼公演「ムサシ」」でした。

 

比較的最近書いた舞台「ムサシ」の感想です。

そして49番目に読まれた記事は、「ふたたび「ムサシ」 !!」でした。

舞台の告知記事です。

 

たぶん「ムサシ」で検索していらしてくださったのだと思います。

それと言うのも、2018年は国内での「ムサシ」の公演は大阪で千穐楽を迎えたからです。大阪で206回を迎えたムサシ」

遺影を掲げつつのカーテンコールと挨拶。

 

そして上海へ。

 

※      ※       ※

真夜中に※上の文を書いて、あまりの眠さに何を書こうとしていたのか忘れ、きっとこのままでいいのだとアップしました。

でも朝になってみると、こういう事が言いたかったんだなと思いだしたので、追記させていただきます。

(追記の割には書いてみたら長かったです。気が向いたら、お読みください。)

 

ひとつ目は、「その経験はその人だけのもの。」と言う事かな。

舞台は映像に撮らなければ一期一会の出会いのようなものです。映像に撮っても、記録出来るのはある時の一部。もちろんその映像を見て作品に触れるのも、その人の一期一会だと思うのです。私もそう言う出会いもいっぱいあります。お芝居のお値段はお高いので、これからはますますそうなっていくかもしれません。

だけど同じ作品であっても、毎回同じではない。それが舞台だと思うのです。206回の同じであって違うものを生み出していくって素晴らしいと思うし、その中のいくつかに出会えたことを嬉しく思います。

そしてまた「その経験はその人だけのもの。」と言うのは、本当は舞台に限った事ではないと思うのですが、いまは話を広げない事にします。

 

ふたつ目はやはり「虎は死んでも皮を残す。」

いや、これは正確には「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」なんですよね。

ずっと昔に友人から、若くして亡くなった彼女のお母さんのレース糸が余っているからと頂いた事があります。その彼女のお母さんの作品を見て、思わず言った言葉。

「人は死んでもその作品は残る。」

 

ほとんどの人は家族や愛してくださった人以外からは、その名なんてすぐに忘れられてしまう存在だと思います。

もちろんその人が何かの作品を残しても、それらを大事にしてくれるのも名前を愛おしく覚えていてくれる人たちが居なくなるまでかと思います。と、また話が膨らんであらぬ方向に行きかけましたので、そこはぐっと我慢する事にします(笑)

 

「ムサシ」の舞台は、井上ひさしさんの遺影に守られ、そして今はまた蜷川さんの遺影に守られ上演回数を重ね、人々に感動を与え続けてきました。

それを思うと、やはり「名を残す」よりも「人は死んでも作品を残す」と言う言葉の方が私にはしっくり来て、そしてしみじみとしっかりと生きる事を伝えるこの舞台の事を思うのでした。

 

 

 


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