今年もだいたい1か月に1本ぐらいは映画館で映画を観ていると思います。そしてせめて映画館で観た映画の感想ぐらいは書こうと思っているのですが、ふと気が付いたら、1月に観たものの感想も書いていない事に気が付きました。
映画館で公開を終了していたら、もう良いかなと思う所ですが、この作品は上映回数は1回とかに減っても未だに上映日数を伸ばしていますね。
1月28日に観た映画の感想です。
2か月前に見た映画の感想なんて覚えているかしら。
いえ、今ここまで覚えている感想が、一番心に残った部分なのかも知れませんね。
本でも映画でもドラマでも、感じ方は人それぞれでその感じ方は、それは見た人や読んだ人の毎日の生活からも影響されると思います。
私はこの映画のある部分では感動して泣きました。
それはその時に「精霊の守り人」の最終回を観たばかりだったからです。
親と子のすれ違う心。だけれど本当はずっと心の奥底では子を思っているのです。
人はなかなか器用には生きられなくて、その想いが伝わらないのですね。
だけど「泣いた」と言っても勘違いをされたくないと思う部分は、松嶋菜々子が演じる浅居親子には、涙はまったく流すことが出来なかったのです。
私はこの親子のさすらう様を見て、「砂の器」を連想しました。そう感じた人が他にもたくさんいると知って、もしかしたらかなり意識しての事だったのかもしれないと思いました。あの映画は本当に泣きました。でもこの父と娘には泣けません。
なぜなら・・・・
《ネタバレしています》
そう、なぜならば、その父親は保身のために罪のない人を二人も殺してしまうからです。
最初は娘が殺してしまって、自分の身代わりに使うと言うもの。
殺された二人は、本当に気の毒以外に他なりません。
いっけん、及川光博が演じる元教師は、年の離れた教え子を愛して長年連れ添った妻を軽んじて捨ててしまうような男に描かれていたと思いますが、夫婦の真実は実はわからない事なんですよね。ただこの男は、ずっと浅居博美を守りかばってきたのです。二人の子供を博美が宿して堕胎してしまった時には、すごく怒るのです。普通に愛していたのです。
普通じゃないのは、普通に生きてくることが出来なかった博美だったのです。
妻と同様の女性の父親が現れたら、そりゃ、普通に声も掛けるでしょう。もしもその時に今まであった出来事を語っていたら、彼はもしかしたら味方になっていたかも知れません。この時すでにすべてを捨てて、博美に寄り添っていたのですから。
殺してしまった二人目の博美の同級生だった女性、押谷道子。この女性も最初はいっけん、空気読まずの図々しいような人に感じさせるような描き方をされたと思います。だけどそれも真実かは分からない事なんです。
この人の中で、夜逃げをしてしまった同級生の博美との関わりは何かを訂正したいような過去だったのではないでしょうか。だから彼女の母親が見つかった時、わざわざやって来たのです。けんもほろろの対応でも、翌日には自分で当日券を並んで買ってやって来たのです。
そんな道子だって、死んだと思っていた人が現れたら、やっぱり確かめようと思うのは普通です。さながらそれで強請ると言うシーンがありましたが、それは「そうだったんじゃないか」と言う推理の段階の想像シーンで、まったく真実ではないのです。
罪のない二人。
この父親は、弱々しい顔をしているけれど殺人鬼だと、私は感じました。ちょっと強気な言い方ですが、見つかった→殺すと言うあまりに単純な発想は、最初の娘の殺人の罪を背負った時から、修羅の世界の住人になってしまったからでしょうか。
そんな父親の人生に恭一郎の母のような人に出会いがあって良かったと、博美は言ったか思ったか忘れましたが、そんなセリフがあったと思うのです。
私は思いました。
博美のお父ちゃんは幸せでも、恭一郎のお母ちゃんは男運がないなって。
「新参者」の最終回。
本当にすべてがちゃんと終わったよと言う感じがして、見ごたえがありました。
加害者親子の話には泣けなかったものの、恭一郎の親子の話には涙が滲みました。
月になってずっと(子供を)見ていられる・・・・・そんなセリフはありましたっけ?
ううっ、やっぱり泣けますよ。
なぜ恭一郎は新参者になったのか。
彼の母親はどうして家を出てしまったのか。
本当にすべての謎が解けると言うのもスッキリしました。
ブーム再来はないかも知れませんが、やっぱり人形町界隈をウロウロしたり橋巡りなんかもしたくなってしまったので、一応メモに入れておきましょう。
(2か月前の映画でも意外と覚えているものですね。画像が無いとやっぱり寂しいので、そのうちそれだけ追加しておこうと思いますが、何ら記事には関係ありません。)