あっ、そうか。「やってはいけない。」って、テロの事を言っているわけじゃないんだけれどね。そう思われるかな。まさかね。だって、あれは「やってはいけない」ってレベルの事じゃなくて、「ヤルナヨ、馬鹿 ~~!!!」ってレベルですよね。
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もうこの先この話題はしないと思うので、続けて書いています。
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先日、参加したボランティア先で、やはり今の話題としてオウム真理教の死刑囚の刑執行が話題になったと言いました。
その中の一人の方が
「あの『地下鉄サリン事件』の時、私は京都に居て、その日に帰る予定だったけれど、『東京で、大変な事が起きたらしいから今日帰るのは止めた方が良い。」と兄に止められたのですよ。」と語りました。
すると別の方が、
「私は仕事をしていた時、あの時間のあの地下鉄を使って通っていたので、他人事には思えなかった。」とも言いました。
これは私も、かなり同じような事を感じた事だったのです。
大きな事件があった時、その事件が共通体験となって「あの時私は」と言う記憶が残ったりすると思います。
かつてあったその事件や事故を風化させてはならないと思っても、やっぱり自分の中では風化して忘れていってしまうと思うのです。だけどその時に自分は何をしていたのか、またその時自分は何を見てどう思ったのかを覚えていると言うことが大事だと思います。
だから事件の概要など、または実行犯のあれやこれや、警察のその時のあれやこれやなどは、このブログでは取り上げていないテーマなのですが、いずれにしても私が、それをテーマにしても、あまり自分らしくないなと思ったりするのですよね。
だけど、もっとしっかり知りたいと思う方は、それをテーマにしたブログなどを選ぶか、または→「地下鉄サリン事件」などをどうぞお読みくださればと思います。
1995年3月20日の8時前後通勤ラッシュ時の時間帯を狙って起きたそのテロの情報は、比較的早い段階でテレビの速報で流されたのではなかったでしょうか。
何が起きたのか分からないまま、その異常な光景はテレビの向こう側から映像となって送られてきました。
その日、私が何をしていたのか、全く記憶がありません。
それはまるで当たり前のような日常の朝を破壊してやって来たような出来事だったからです。
誰もが送るはずだった、普通の日。
(でもその普通の日を送ろうと思って、いつものように乗り込んだ地下鉄の中で、それと遭遇してしまい、今もその後遺症に悩まされている方々の事を想うと、23年はあっという間だったのか、それとも長い年月だったのか分からないような気持ちにさえなるのです。)
ただその日も私は姉と、ほぼ日課になっている朝の電話タイムを持ったように思います。
その時私は言いました。
「あの人はさ、助かったのよね。」と。
テレビから流されてきた映像は、緊迫感のある恐ろしいモノでした。
中年の男の人が倒れ、抱きかかえられたままで、たぶん救急車を待っているのだと思いましたが、目は大きく見開かれ、焦点が合わないような感じで瞬きをしていました。そして口は魚のようにパキぱくいっていたのです。
それだけで、朝、地下鉄に恐ろしい事が起きたのだと分かりました。
顔はアップで大写しです。
「あの人は、助かったからあんなにアップで写されていたのよね。」
きっとあの人は、自分に近づいてきた者を、その苦しさに耐えながら、きっと自分を助けてくれる人たちに違いないと思ったかもしれません。
だけど後になって、この地下鉄で散布されたモノがサリンだと分かり、その被害に遭った時の状況などが伝えられるようになると、とてもあの苦しんでいた方が助かったとは思えなくなったのです。
たぶんニュースなどでその後の事は知らされたのかも知れません。
もしかしたら、私が知らないだけで助かっていらっしゃったかも・・・(そうだと良いのですが。)
だけどだけど・・・・
やっぱり思います。
苦しんでいる人の表面からしかもアップで撮り続けた、そのカメラの仕事は絶対にやるべきではなかったと思うのです。
あの時、いち早く駆けつけて、その映像を撮った人はスクープだと喜んでいたのでしょうか。あの映像はその日ずっと使いまわされていました。誰もそれを使う事を止めなかったのでしょうか。
その映像を今現在に、23年前に「地下鉄サリン事件」がありましたと言って、当時の状況として流すことが出来るものなのかと問えば、絶対に出来ないと私は思います。
時が過ぎて、いろいろと冷静になったり、気持ちが成長したりして、時には過去の仕事ぶりなどを悔いる時もあるかもしれません。
忘れてしまいたい事も。
だけどね、悪いんだけどさ、私は忘れてあげないんだー。
と、私は思っています。
私はあの時、自分がそこに横たわっているような錯覚に囚われました。
― 苦しい苦しい、誰か助けて。目もやられたのかしら、良く見えないわ。『大丈夫ですか。頑張って。もうすぐ病院に行けますよ。』って誰かが励ましてくれているわ。ありがとう。ああ、近づいてきたあなたはお医者様ですか。助けてください。息も苦しいです。話す事も出来ないんです。真上からじっと見降ろしているあなたは誰ですか。助けてください、はやく・・・・ ―
そう思って横たわっていた私の姿が、その日のニュースにずっと流されて・・・・・・・・
もちろんそれは妄想、凄く悲しい。
報道と言うものは、衝撃さだけで、選んでいっては、裁かれない罪を作ってしまうものかも知れません。
違う意味で、忘れないでいたいと思う映像。
あの袋の中に恐ろしいサリンが入っていたとは知らずに、ホームに投げ出されたそれを丁寧に片づけていた助役さんの写真。
あの後、その方は亡くなってしまったのです。だけどそのきっちりとお仕事をされていた姿を、むしろずっと覚えていたいなと思うのです。
それもやはり、その日を伝えようとした報道のお蔭だと思います。
「地下鉄サリン事件」は23年も前に起きた事件かも知れません。だけど、そこで学び伝えていきたい事はたくさんあったかもしれませんね。