森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

モンロー・ウォーク

2019-10-16 01:13:44 | 梢は歌う(日記)

もう1週間も前の7日の日、昨年10月2日に亡くなった愛子さんの家に星子さんと行きました。

その時、愛子さんの息子君が応対してくれて、いろいろなお喋りをしてきました。

想う事はたくさんありと言う所です。

本当に子供たちが幼かった頃、その息子君はラッタさんと友達で、私の家にもよく遊びに来ていたけれど、あまりにも遠い昔になってしまって、私の事もラッタさんの事も覚えてはいないと言います。

それでも私は、既におっさんズになってしまった我が息子たちを愛おしく感じるのと同様に、その背丈が190cmはあるような青年を、まるで小さな子供を見るように愛おしく感じたのでした。

 

ささやかな思い出話を語りましょう。

 

その彼に、私たちは思い出したように

「『モンロー・ウォーク』、知ってる? ]

と聞くと、彼は不思議そうな顔をして首を振りました。

「ほらっ。彼もこちら側の人だわ。」と星子さん。

 

もう帰ってきましたが、星子さんはその日の二日後カナダに行く事になっていたのです。

「お母さんが生きていたら、一緒にナイアガラを見に行く予定でいたのよ。」

「それが今頃、天の上では、『なんでトルコになった?』って言っているかもね。」と笑いながら、

「あっ、そうそう・・・」と上に書いた「モンロー・ウォーク」の話になったのでした。

 

2017年の「「ボストン美術館の至宝展」」に行った記事の中で

>『この美術展の「至宝展」と言う部分を忘れていた私は、最近いつも遊んでいただいている星子さんにお誘いするときに、乱暴にも

「『ボストン美術館』のあれに行かない?」

「うん、いいよ良いよ。行きたいところをリストアップしてね。」と星子さん。

「いや、とりあえずね、上野に行って『ボストン美術館』だけ先取りしましょ。」と私は言いました。

と言うのは、ええと、バンクーバーっていつ行ったんだっけなあ。

ブログを見ればわかるけれど、まあ、とりあえずその時のどこかの海辺から(テキトーで済まぬ)アメリカがぼんやりと見えた時に、唐突に、それまで何の興味もなかったアメリカ合衆国に行ってみたい衝動に駆られたのでした。その事を星子さんに伝えると、旅行が趣味の彼女は、アメリカで行っていないのはボストンくらいでそこなら行ってみたいと言ったのです。

じゃあ、そこで良いわと言うよりも、「ボストン」と聞いて、むしろそこに行きたいと思いました。

観光地的にはどうかと思うのだけれど、だってカッコいいじゃないですか。「ボ・ス・ト・ン」と言う響きが。』

そこからアメリカ側のナイアガラにも行けると星子さんが言ったので、私は思わず

「じゃあ、そこで3人でモンロー・ウォークをして写真を撮ろうね。」とテンション高くふざけたことを言うと、

愛子さんも星子さんも「しらーーーーーーーーーーーー」っとなったと言うお話です。

因みにバンクーバに行ったのは2015年。

 

ああ、そうそう。

マリリンのファンの皆さま、先に謝っておきますね。言っただけでございますから。決して冒涜などするつもりもない事で、出来るわけもない事は十分に分かっていますからね。

だけど「ナイアガラ」と言う映画を映画館で見る事などは叶わない年代ですが、小さなテレビの向こう側でモンローが歩いていた所を実際に見たら、そんな気分にもなると言うのが映画好きというものじゃありませんか。

モンローウォークは、この映画で世間に知らしめることになり、ただ歩いている後姿のシーンでは最長だそうですね。

私の年代で、この映画まで見ている人は、やはり結構な映画好きと言えるのでしたね。

「ナイアガラ」=「モンロー・ウォーク」にならなくても、彼女の歩き方は、世間では普通に知られている事だと、私はそれまで思い込んでいたのです。

何もかも、みんな遠い過去になって行くのでしょう。

誰も思い出さなければ・・・・・・・。

 

愛子さんが亡くなって、私の中のボストン熱は急速に冷めてしまいました。

 

でも星子さんが送ってくれたこの画像で、またも気持ちはほんの少し揺れたかも。

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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