私たちは生まれてくる時に、
何も知らされずに誕生してくる。
そしてそれから、
何も分からずに生きていく。
そして何んにも分からないまま死んでいく。
確かに、生まれて死んでいくまでの間に多くの知識を得る事でしょう。
でもその知識は、どんなに人類の今や未来のために役立つ知識であったとしても
生きて死んでいく間に役に立つ知識でしかないわけで、
今目の前のご飯を食べるのに必要な箸と大差ない大事さなんじゃないかしら。
それはけっして軽んじて言っているわけじゃないの。
生きて死んでいく間に役に立つ知識こそ、最重要事項よね。
だって、私たち
生きて死んでいくまでの世界が、自分で認識できるすべての世界なんだもね。
とうとう何もわからずじまいなのかと思うのは、
命は何処から来てどこに去るのか
何のために生まれて来て、また死んでいくのだろうか
それよりも
宇宙とは何なのか
宇宙とはどこに存在し、その存在が消えた時に、そこには何があるのか。
人間の脳の許容範囲を超えているのか、
考えだすと狂い出しそうになる。
あっ、失礼しました。
「人間の脳」などと、皆を巻き込んでは行けなかった。
「私の脳」と言うべきなんだろうね。
私には量子力学とか科学から答えに辿り着くには、そうとうの年月を待たなければならないような気がしてしまう。
子供の時には、死ぬその時に
パァァァぁあと
光が目の前に広がって
「ああ、そうだったのか。」と、すべてが分かるような気がしていたんだ。
なんでかそう思い込んでいたんだよ。
だからそれはいつか未来のお愉しみみたいにも思えていた。
つまり死ぬときのお愉しみ。
本当にそうだったらいいのになあ。
だけどそれは子供時代の思い込みで、人はただ死んでいくのではないかと
なんだか分かって来ちゃったんだよね。
だからね
命の秘密を
人は生まれた時にも何も知らず
そして、何もわからずに生きて
また
何も分からないまま死んでいくんだ。
ああ、だけど
本当の事は分からないよね。
だって本当に死んだ人に聞いたことないでしょう。
人は根拠なく思う時、何か無意識のうちに計算していたり、
過去の経験を通しての思考だったりすることがあるでしょう。
子供の時に思い込んでいた
死ぬときに何かが分かると言うのは、もしかしたら完全な間違いとは言えないかも知れないじゃない。
人間なんかちっぽけな存在だから、すべてなんかが分かるわけがないかもしれないね。
それでも
死は魂が老いたり損壊したりで維持できなくなった肉体を捨て去る儀式だったとしたら、
その魂は解放されて
いろいろなものを一気に見たり、広い世界を見渡す事が出来るかもしれない。
そして
「ああ、そうだったのか。」と、思えるような事が何か一つでもあるかもしれないじゃない。
※
いや、むしろ
今はそうであって欲しいなと私は思っている。
そして願ってもいる。
「ああ、そうだったのか。そんな事があったのか。そんな風に生きて来たのか。
そんな風に思っていたのか。そんな所にいたんだね。」
もう腕はないんだ。地上に置いて来てしまったからね。
それでも残像の腕を差し出して、記憶の中の少女を抱きしめる・・・
命の秘密などと、大それたことが分からなくても、
一生懸命に生きたご褒美に、
たった一つの真実を
どうか
彼に教えてあげて欲しい。
心の底からそう思う。
※横田滋さんのご冥福を心よりお祈りいたします。