上の画像は6月7日の月です。
月が昇る前、森が光っていました。それだけ月が明るく大きかったのだと思います。椅子に座っていた夫殿が窓の外を見て
「ああ、月が昇ったね。」と言いましたので、ベランダに出て撮ったのでした。ところが折しもちょうどその時、一筋の雲が月の光をさえぎって、まるで目や耳などをつけたくなるような月に姿になったのでした。なんかその姿が微笑ましく感じた私です。
毎日の生活はいつもとさして変わらないのに、やっぱり大きく違う毎日を過ごしている私たち。
みな様、お変わりありませんか。
私の周りは、結構疲れてしまっている人も多いのですよ。
緊急事態宣言が解除されても、再び感染者数が増えて来て東京アラートが発令されたりで、まだまだ油断が出来ない事だと思います。
東京に住んでいるスノウさんは(すぐ下の妹)、もう限界だと嘆きます。
一生懸命頑張って治療して生きようとしているのに、こんな生活を強いられるなら、何のために生きているのだろうと言う気持ちになって来てしまうんだと言いました。
浅はかな・・・・・とは言い切れない・・・・。
二世帯住宅の友達は、毎日傍に誰か孫がいて、その複数の孫たちがそれぞれに今日は午後から今日は朝からと不規則なスケジュールで、いつも心が休まらず、前に精神的にダメージを受けて安定剤を飲んでいた時の恐怖が蘇ってくると言いました。
その方とまったく同じ生活をしているのが、姉の蝶子さん。
私は全然平気よなんて言うけれど、目の下にクマが出来ていました。
先日、久しぶりに星子さんと会ってランチをしました。
その時の彼女の話は、強く印象に残りました。
新聞で読んだかテレビで言っていた事らしいのですが、人は罰則の為になぜ刑務所に入れられるのか。それは人間にとって「拘束」と言うのは一番の苦痛だから。だから刑務所に拘束されるだけで罰になるのだということ。
このコロナによって人々は皆、行動を規制されて、いわば見えない壁の中に放り込まれて拘束されているようなもの。だから人々は疲れ果て苦痛に感じてしまうのだ。
と言うようなものだったと思います。
もちろんこれはまた聞きのまた聞きになるわけですから、元の正確なお話と少し離れてしまっているかもしれませんが、あまり問題はないように思います。なぜなら、私は「そうか~」とすこぶる納得したからです。
「シミュレーション !?」と言う記事の中で、今の生活は老後の生活のシミュレーションのようなものだと気が付いたと書きましたが、はっきりとその生活に不満を感じていました。散歩に行ったりして美しい風景にたくさん触れていた私は、けっこう今の生活のストレスを発散していた方だったと思うのです。それでもです。
それは海外旅行やそこまで行かなくても日本旅行、それさえも出来なくても、何も不満には感じないのです。ただ姉妹たちに電話を掛けて、
「じゃ、来週自由が丘でみんなで会いましょう。」と言えない事や、
「明後日実家に帰るね。」と自由に言えない、ただそれだけが不満だったのです。
または「あっ、そうだ。明日栃木に行ってみようかな。」と夜からチマチマと計画を立てて、朝早くからイソイソと出掛けて行く、そんな自由さがない事に。
見えない塀の中に囚われていたんだな、私たちは。
だったら、その塀の中で、出来る事を考えながら少しずつ今はやっていくしかないのだと思います。
久しぶりにお店で頂いた珈琲が美味しかったです。
そしてこの星子さんから聞いたこのお話、実はその日のうちに役に立ったのです。
夜はお仕事。
疲れ果てているのは大人たちだけではありません。
長いお休みだったとしても、夏休みのように楽しい事など何もなかったお休みに、子供たちの中にも参ってしまった子供たちもいるのです。このお休みの間に引きこもりになってしまって、学校が始まっても行く事が出来なくなってしまった子や、学校には行けても集団での授業が上手く受けられなくなってしまった子・・・・・・。
たまたまそんな子供とお話する機会がありました。
それで私は昼間に仕入れたその話をしました。
そして
「わたしはね、いつもなら『みんなも言ってます。』って言う言葉はどちらかと言うと嫌いです。いったい誰と誰と誰が言ってると言うの、具体的に名をあげなさいとか言ってしまう方。でもやっぱりみなさんはその言葉、好きじゃないですか。だけどその言葉は使いようによっては良い言葉ですね。いつ使うのって言ったら、今よ、それ。『みんなも言ってます、疲れたって。』『みんなも同じです。』って、言ってみると良いですよ。本当に疲れてしまっているのは、みーんなおんなじなのよ。自分だけじゃない。そう思うと、ほんのちょっとだけ気持ちが軽くなるかもしれませんよ。」
と付け加えて言うと、少女はにっこり笑いました。
姫は見えない塀の中に囚われてしまっている。だけど王子は助けには来ない。なぜなら王子もまた同じように囚われてしまっているから。
だけど今にこの塀は、誰かの明晰な頭脳と社会正義の気高い心で内側から崩壊するのです。
それまでは私たちはコロナ大魔王の罠に負けないように、手探りで足元も確かめながら、「楽しさ」を集めながら先に進んでいくしかないのではないでしょうか。