6月20日に映画館にて鑑賞。
映画館で映画を見たのは、1月12日に「カイジ ファイナルゲーム」を見たのが最後だったので本当に久しぶり。
だけど今思い出したことですが、「ああ、嬉しい」と何にでも感激しやすい私は、もっとジーンとなるかと思っていたのに、いざ映画館の座席に座ってみたら、何にも感じず、凄く当たり前と言う感覚で、「久しぶりだわ。」と思う事さえ忘れてスクリーンを見ていました。
たいして多い数ではありませんが、映画館で映画を見る事は私にとっては日常の出来事。
確かに、座席はソーシャルディスタンスのひと席空けでロビーのベンチなどは撤去、または座れなくなっていました。上映回数も少なく営業時間も短縮されていました。今を「フツウ」と呼ぶのは間違えていると思います。
それでもそっと私の日常は戻りつつあるのだなと、とりたてて「久しぶり」に感動しなかった事に、それを感じたのでした。
と言うわけで映画の感想ですが、子供のころ、私には数冊の心の友と感じるような作品をいくつか持っていました。「若草物語」はその一つです。「心の友」が原作ならば、行かないと言う選択はありません。
私は四人姉妹の次女。ああ、だからなのねと思われるかもしれませんが、実はそればかりではありません。
子供のころ、私や姉は母のスカーフを筒形に髪に巻いて、ロングヘア―を気取っていました。そのようなロングヘア―になった気になって何をするのかと言うと「若草物語ごっこ」をしていたのです。妹たちとは歳が離れていましたので、参加するのは姉の友達や私の友達です。私は次女なのでジョーかと言うとそうではありません。
私はその頃、ベスが大のお気に入りだったのです。とにかく「病弱」と言うところがポイントです。昔の少女は、本人の苦しさなどは考えずに、朝礼で貧血を起こして保健室に運ばれる人とか、ベスのように優しくて皆の幸せばかり考えているような人なのにヨロヨロしてると言う人に憧れたものなんですよ。そのごっこ遊びにベスを選ぶと、ベッドにとにかく寝ていると言うミッションが与えられて、そのうち本当に眠くなり・・・・で、たいがいは途中で何をしていいのか分からなくなって終了してた遊びだったと思います。
だけど私は、途中まで「若草物語」のヒロインは、このベスだと思っていたような気がするのです。優しくて、そして責任感も強くて、姉妹が後回しにしてやらなくなってしまった近所の貧しい家の訪問も、ひとりでやりとおしていたのはベスだったのですから。そしてそれによっての猩紅熱の感染をしてしまい生死の淵を彷徨う羽目になってしまうのです。
もちろんその後は、私にも誰がヒロインなのか分かっていました。この作品の中でもヒロインであるジョーは光り輝いていて、冒頭の原稿が売れて街中を風を切って走る姿には惚れ惚れとしました。
見終わった後のお茶タイムの時に、ご一緒した星子さんが「何々が何々で驚いた。」と、ある展開について言ったのです。
そう言えば、小学生ぐらいで読む「若草物語」は、猩紅熱で死にかかったベスが助かって、そして父帰ると言うハッピーエンドな場面で終わっていたと、微かな記憶ではそう思います。その続編では、その後が描かれるわけですから、知らない人も多いかも知れないと思いました。でもまあ、映画サイトではそこまであらすじなど踏み込んで書いていますし、監督のインタビューや解説のサイトでも、私が一番吃驚した内容についても触れていますので、語っても良いのかなと迷いつつ、一応ネタバレ感想は画像の下から。
この作品は、単なる四人姉妹の物語ではなく、この時代を女性としていかに生きるかをそれぞれ選択した4人の女性の物語になっている事が素晴らしいと思いました。
小説の続編ではすっかりひ弱になってしまったベスは、命を落としてしまいます。
だけどそれが挫折していたジョーの心に火を灯し「若草物語」を書き上げる原動力になるのですね。
ジョーは自立した人生を目指し、ローリーのプロポーズも断ってしまうのですが、その後自暴自棄になった彼を救い、やがて結ばれて行くのは四女のエイミーでした。
その時ジョーはベスを失った寂しさもあって、ローリーの大切さに気付き、彼の愛を受け入れようと思っていたのでしたが、時はすでに遅かったのでした。
だけどその後、ジョーはNY時代に知り合ったべア教授とロマンチックな結婚をするのでした。
ところが、編集長との語りの中で、ジョーはとんでもない事を口にするのです。
「ヒロインは最後に結婚させないと読者は納得しない。または死なすかだ。」と言う編集長と印税や著作権の事で言い争うと
「本が売れなければ、被害をこうむるのはうちだ。」と編集長。するとジョーは
「だから私は小説の中で結婚した。」と言ったのです。
あのロマンチックな駅での出来事は、物語の中での出来事なんですね。
私は映画が終わって、すぐに「オルコット」を調べてみました。「若草物語」は自伝的小説と言われていますが、実際の彼女は結婚していないのですね。
なんだか結構ショック。あの編集長の言った事は、ある意味正しかったのかもしれません。ジョーは歳の離れたベア教授と結婚して共に学校経営を頑張った・・・・・素敵な物語ではないですか。でもそれは物語だったのかと思ったら、モデルになった彼女の姉妹たちの本当の人生はどんなだったのだろうかと思ってしまいました。が、それは知るすべもない事で、私はなんだかしみじみとした気持ちになってしまったのでした。
ウィキペディアの「原作との相違」の欄に興味深い事が書いてあったので引用させていただきます。
『本作には、ジョーが理不尽な要求を突き付けてきた編集者に反論するシーンがあるが、このシーンは原作小説には存在しない。これはガーウィグ監督がルイーザ・メイ・オルコットの進取の精神を表現するために付け加えたシーンである。このシーンについて監督は「オルコットはジョーが作家になる夢を諦めて、夫や子供たちを支えることに専念するという結末を描きたくなかったはずです。しかし、オルコットは商業的な成功を望んでいたため、世間受けする結末を書かなければならなかった。もし、この映画でオルコットが本当に描きたかった結末を描き出せたなら、私たちは何かを成し遂げたと言えるのではないでしょうか。」という趣旨のことを述べている。』