―自画像としての風景―
3月17日に行って参りました。
なんか置いてあるフライヤーが2種類あるなと思って頂いてきました。
よく見ると、ひとつは大阪で開催のためのものでした。
まあ、とにかく私は知らない事がたくさんあり、知らなかった人も大勢いるのです。
この昭和初期に30歳で亡くなってしまった若き天才画家の存在も、この展覧会で知ったのです。
入場した入り口近くにあった、自画像の作品数点はインパクトが大きかったです。何しろこの人は、かなりハンサムな人(好みは人それぞれですが)で、それなのに誰かに貶されたかしたかで、気に入らないからと顔を塗りつぶしてしまった「立てる自画像」などは、本来ならば作者がダメだと思ったものは、失敗作なのだと認識されるようなものだと思うのですが、アートの世界ではそれは許されず、寧ろその大いなる印象の為に人の心に食い込んでいくのでした。
丁寧に描かれていた下落合の風景や、船の絵なども良かったけれど、やはり私が一番に惹きつけられたのは、パリに留学していた頃に、彼が自身の命を削って描いたとしか思えないような作品の数々でした。
彼の作品を見ていると、ふと「美は細部に宿る」と言う言葉を思い出しました。
だけどその「美」は彼の作品の中にではありません。
私たちが息をして暮らしているこの世界全部にそれは存在していて、本来ならば、どこを見回しても、私たちはその「美」に遭遇する事が出来る―
そんな事を彼の作品は教えてくれているような気がしたのです。
「コルドヌリ」「広告」「レストラン」・・・・
再び「フランス行きたい病」が再発したような気がしました。
この絵画展の説明の中に
『佐伯は持参した自作『裸婦』を見せたところ、ヴラマンクに「このアカデミックめ!」と一蹴され、強いショックを受けたとされる』と言うものがありました。
実はこの部分、ウキィペデイアから引用しました。有名な落してはいけないエピソードなのですね。だけど私の中では「アカデミック」と言うのは、決して悪い言葉ではないような気がして、思わずご一緒した星子さんに解説を求めてしまいました。私なんかは若い時に「アカデミックに生きる」なんて目標を立てていたくらいだったので、何か間違えていたのだろうかと驚いたのです。エピソードオンリィの書き方では、よく分からない部分だと思います。
テレビの特集で、その部分を解説していたと星子さんがいうので、いつか解説してもらおうと思っています。(忘れていなければ)
だけど家に帰ってから「アカデミック」と言う言葉を調べてみました。
それを読むと「アカデミックに生きる」と言うのは、日本語的にはカッコいいような気がするけれど、そのまま意味を当てはめるのは厳しかったんだなと思いました。つまりそれには2つの意味があって、
「1つ目が「純粋に学問的なこと」や「学術的(がくじゅつてき)」という意味。
2つ目が「伝統にとらわれており新しさに欠けること」という意味です。」→ここを参照。
なるほど~!!
あっ、星子さん、もう解説要らないや(笑)
たった6年の画家生活。
その短い期間に彼は描いて描きまくりました。
遺作になってしまった「黄色いレストラン」が、大阪での為のフライヤーの表紙を飾ったそれです。
東京バージョンは
この美術展でのコーナーの何かを読んでいたら、彼が亡くなった1928年の同じ年、娘の弥智子もパリで亡くなってしまいます。妻は子供の看病で祐三の死に立ち会えず・・・。
だけどこの若き画家の死は、かなり壮絶な最後だったと思います。
妻は同じく画家だった米子。
この人は同じ年に傷心の心で帰国します。だけどその後、1946年には女流画家協会を設立させるのでした。
帰りの電車の中で星子さんと、この妻目線で描いた佐伯祐三の物語が見たいわと言う話で盛り上がりました。
祐三氏を誰がやるかという事になって、星子さんが「鈴木亮平は ?」と言いました。そう言えば、彼が痩せて頬がこけると、そんな雰囲気になるなと思いましたが、なんたって30歳で死去と言う若さなので、ちょっと無理じゃないかと思いました。
「ギリギリ、松坂桃李なんかが良いんじゃないかしら。」と言うと、それで決定・・・って何の話をしているんだって(笑)
家に帰って、松坂桃李は何歳なのかと調べたら・・・・なんと、我が家のルート君と同級生ではないか。
何かショック。何がショックなのか分からないけれど、何かがショック。
でもまあそれはともかく、いつか、松坂桃李さん主演での「佐伯祐三物語」、もちろんタイトルはこんなにダサくないのでお願いします←誰に言ってるんだ^^
そして「東京ステーションギャラリー」と言ったら、やっぱりこれですよね。
古の東京駅に、想いが飛びます。
窓の外を眺めたら、美しい駅前の風景が垣間見えていました。