森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ポツンと座って居た。

2025-01-25 03:12:47 | 家族スナップ

#義母日記 その3

真夜中の電話に震えました

阿修羅か菩薩か、それが問題だ。

の続きです。

 

1月24日、義母は100歳になりました。

凄い凄い。

それだけで私は彼女を尊敬します。

だけどよもやその誕生日の日を、施設で迎えさせることになるとは思ってもみなかった事でした。

 

仕方がないことです。

あの時、義母の衰弱は、数日後の死を感じさせるものが確かにありました。

人は病気でなくても死ぬのです。

それが急遽の施設へのショートスティとしての入所で、彼女は復活できたのだと思っています。

だけれど、元気になれたからと言って、すぐには出られないのです。

介護認定をあげて今後のサポート体制をきちんとしなければ、同じことが起きるのは誰でも分かることだからです。

誰でもと書きましたが、分からないのは義母ばかりと言えるかもしれません。

 

義母からの電話は、あれからみんなを苦しめることになりました。

嫁である私は、さすがに彼女から攻撃的な言葉を受けることはありません。

それは距離感なのか、それとも信頼のなせる業か。

私は後者と信じたいです。

 

ある時、夫にかかってきた直後に、同じ部屋にいた私に時間を空けずにかかってきたことがありました。

一つ一つ、彼女の言っていることも否定せずに説明していくと、納得してくれて「私、もうちょっと頑張るね。」と言ってくれたのでホッとしました。

だけどその時に、義母と夫の会話を聞いていた私ははっきりと言いました。

「あのね、もっとパパの事を信じてくれないかしら。
あの人は本当にお母さんのこと大事に思ってるよ。
だから私も、お母さんの事を凄く大事に思えるんだよ。」と。

「悪い事ばかり考えちゃうのよ。」

そう言って彼女が語った妄想は、それを聞いただけで、世間の人が「ボケてしまったのね。」と言うような内容でした。

義母のいないうちに家を売って、三人で分けるー。

だいたいその三人のうちの一人は、死んでしまっているじゃないの。

いや、義母はその中にケアマネを入れたのかしら。彼女の事を、鬼と言っていましたから。

「あのね、そんな悪人になるには、相応の知恵が必要なのよね。申し訳ないけれど、うちのパパさんに、そんな知恵はないと思うわ。」と親相手に、相当失礼な発言をする私。

「そうね。私はうちの子供たちをそんな風に育てなかった。」

「そうよ。信じてあげて。そんな風に疑われちゃうなんてパパが可哀そうよ。」

 

義母は会っている時は、いたって普通で、今ある状況も分かっていて、皆に感謝してニコニコしています。だけど時々混乱してしまうのでしょうか。

そして電話をかけまくる・・・・

嫌な想いは、私は一つもしていないけれど、なんでか凄く疲れます。

彼女のふたりの息子たちは、さらに草臥れてしまっています。

 

だけど足りないものを届けに義母を訪れた時に、周りの方が、かなりの認知症の人ばかりで、話す相手もいなくてポツンとひとりで座って居た義母が、すごく可愛そうに感じたのです。

キラキラと輝いて生きて来たのに、こんなところにポツンとひとりで座って居るのかと感じたからです。

 

「ここは牢獄」とある時、義母は夫に言いました。

電話攻撃にうんざりしている息子たちには、そう言った義母の苦しみは我儘にも聞こえたかもしれません。

明るく爽やかに見えた施設のスタッフの人たちは、みな業務に追われて、母の個室に訪れることも稀だと言います。もちろん母の話を鵜呑みにすることは出来ません。ただ「話しかける」と言うことが、介護の中からは脱落しているのは感じます。

たぶん人手が足りなくて手が回ってないのでしょう。

「あんなこともこんなこともやらされる。」と言う愚痴だけは言って帰っていったそうですから。

でもはっきり言って駄目だと思うー。

 

いろいろな事を考えさせられます。

これからは老人社会じゃないですか。

そしてうちのマンションだって独居老人率が高いのです。みな明日は我が身じゃないですか。

議会中にいねむりばっかりしている議員なんか要らないから、介護する人を増やしていくのは急務じゃないですか。

それに知恵を絞っていくのが政治なんじゃないのかしら。

 

まあ、思っていたものとは違ってしまいましたが、ともかくも姑に無事に100歳を迎えさせることが出来て、嫁として私はほんのちょっとだけホッとしたのでした。

 

 

 

 

 


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