私がコロナのワクチンの3回目を打った日付を、サラリと言えるのは、それには理由がありました。
2022年3月11日にモデルナのワクチンを打ったのですが、その時診察してくださったお医者様が言いました。
「このワクチンの副作用が一番強く出るとしたら、明日で、明後日はケロリです。」と。
確かに翌日の12日、私は寒気と怠さに苦しんでいましたが、熱を測ると37.2ぐらいで、さして高くもなく、言うなれば、体にこもった熱に苦しんでいたように思います。
それが一日中続き、私はゴロゴロとずっと布団の中に居ました。
夜の9時過ぎだったでしょうか。
家の電話が、リーンとなりました。
思わず時計を見る私。
電話に出た夫が、「ああ、ハイハイ。今、横になっていますが代わりますね。」と言いました。
それで私は姉の蝶子さんからだと分かり、そして「来た!!とうとう来てしまった。」と思ったのでした。
やはり思った通りでした。
「今、スノウさんの旦那さんから連絡が来て、急変したって。今は落ち着いたからって。でも今日か明日からしい。」
「明日、行くわ。」
「横になっているって言ったけれど、大丈夫なの ?」
「大丈夫よ。単なるワクチンの副作用だから。お医者さんが言うには、明日はケロリだそうよ。その言葉を信じて、私は行くわ。」
2021年の10月11月、そして2022年の1月と、なんとなく通いなれて来たスノウさんの家に私たち三人は向かいました。
家に着くと、既にスノウさんはまったく意識のない状態でした。
ツレアイさんが、「耳は聞こえていると思うので、声を掛けてあげてください。」と言いました。
それで私は、前からずっと思っていた事を言いました。
「私たちはさ、確かにいろいろと相いれない事もあったよね。でもそれは親たちの育て方とか生まれて来たタイミングとかでさ、たまたまそうなっちゃっただけだと思うの。
次に生まれた時にはね、また姉妹になって、もうくだらないことは全部捨てて、最初から親友のように、子供の時から、一緒にいっぱいいっぱい遊ぼうね。」
私の番が終わって、「どうぞ。」と振り向くと、蝶子さんも名都さんもすでに滂沱の涙。
「もう、言う事がない。」と蝶子さんは言いましたが、それでもたぶん何か言ったと思います。
いつもなら、そういう言葉も私は逃さず聞いて、私の中に記憶として残したりするのですが、何か自分の一番言いたかった事が言えて、私はホッとしたのかも知れません。まったくその時蝶子さんが名都さんが、何を言ったのか覚えていないのです。たぶん聞いてもいなかったのかも知れません。
まだ、私には言いたい事があったのです。
ふたりがスノウさんの傍を離れた時、私はまた彼女に話しかけました。たぶん彼女がずっと聞きたかったと思われるその言葉を私は言いました。
「スノウさん、お父さんはね、あなたの事を一番綺麗な娘だと思っていて、とっても自慢に思っていたよ。
スノウさん、お母さんはね、あなたの事を一番強く想っていたよ。そして一番の自慢の娘だったよ。
スノウさん、二人はね、あなたの事を凄く凄く愛していたよ。」
そして、もう言うべき事もなくなった私は、
「良い子だね、あなたは本当に良い子だね。」と、彼女の頭を撫ぜていました。
ある時、実家にて名都さんとスノウさんは私の枕もとで飲んでいました。酔っぱらった二人の声が大きくて、彼女たちが眠りにつくまで家中が眠られず、ずっと経ってから、スノウさんに義兄には、謝っておいた方が良いと言った事があるのです。ああ、あの話ねと、中には分かって下さった方もいらっしゃるかもしれませんが、寝たふりしながら聞いていたあの二人の酔っぱらいの話を、私は忘れたことはなかったのです。
この日、義兄が母の事も連れてきてくれていました。
最後に母も連れてくる事が出来て良かったと思いました。その母が帰る時に、皆も一緒にと言う雰囲気にちょっとだけなりましたが、
私がまだ帰らないと言うと、義兄が
「お父さんの時と同じような気がするの?」と聞きました。
「うん。」と私は頷きました。蝶子さんも名都さんも帰りませんでした。
ワクチンの副作用は、翌日が一番ひどくて、その翌日はケロリと言いましたが、それでも私は少々疲れてしまいました。
みんながスノウさんの周りにいた時、ひとりちょっとだけ離れた椅子に座っていました。
この時スノウさんの息は、痰がのせいかちょっとゼイゼイしていました。何とか少しでも楽にならないかとみんなで努力をしていたのです。その時、名都さんが
「泣いている。」と言いました。
えっ、と思って立ち上がりかけたけれど、なんだか切なくなって、また座ってしまいました。
だけど、また名都さんが「息をしていない。」と言った時は、さすがにベッドの所に飛んでいきました。
この時、名都さんが「心臓マッサージ!」と言い、私が「しないのよ。」と言った話は別に書きました。
あまりにもあっけない最後の様子に、皆が眠っただけではないのかと思ったほどです。
するとツレアイさんが、スノウさんの肩をポンポンと叩いて
「ママちゃん、ママちゃん」と呼びかけました。
だけど私は手を取って脈を探し、そして首筋を触って、やはり波打っていないか探してみました。
「悲しいけどさ、やっぱり脈ないよ。それにさっきまで部屋中に聞えていた息の音が、今は全くしないもの。」と私は言いました。
この時、私はスノウさんの頬に残っていた涙のあとを見て驚きました。脳の腫瘍の為に、右目はかなり前から潰れてしまっていたのです。涙はその右目から出ていたのです。
かなり後から思い出したのですが、人が死んでいく時には、体の悪い所がすべて治っていくと、真実は知らない事ですが聞いたことがあるのです。もしかしたらその右目の涙は、目が治ったという知らせだったのでしょうか。ただ私には、その時は、スノウさんからの「ありがとう、さようなら」のメッセージに感じたのでした。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」と名都さんが、泣いていました。それまで気丈だった娘ちゃんもベッドに顔を埋めて泣きだしました。
「いきなり来たなぁ…!」とツレアイさんは、その驚きの方に戸惑っていたように感じました。それに彼に泣いている暇など無かったのです。
お医者様にさっそく連絡してきて頂かなくてはならないからです。
それにそれが終わったら、葬儀社に手配を考えなくてはならないのです。
バタバタと動き出しました。
泣き虫kiriyはこの時、号泣してたかと言うと、まったく泣きません。その時泣いているように見えたら、みんなが泣いていてなんとなくバツが悪いので泣いているように見せているウソ泣きです。私は別れや悲しみに鈍感な人で、そういう感情は、一旦波が静かに引いて行き、そして後から後から押し寄せて来るのに似ています。
お医者さんが来るまで、ツレアイさんがぼそぼそと語りました。
「介護する時、着替えさせたり体を拭いたりで、顔の距離がどうしたって近くなるじゃない。その時、彼女が『パパさん、ハンサムだね。』って言うからさ、『そうだろぅ』って言ったんだ。」
「良い話だね。」と私が言うと、
「うん、それをよすがに生きていこうと思う。」と彼はまた言いました。
ジーンとしました。
そうこうしているうちに若いホームドクターがやってきました。若いと言っても40代後半ぐらいだと思います。
「皆さん、お会いする事が出来たんですね、良かったと思います。昨晩急変した時に、旦那さんが焦って救急車を呼んでしまっては、皆さんは会ってお別れする事が出来ませんでしたよ。」とその方は言いました。
死亡診断をするのに、邪魔なのでやはり隣の部屋で座っていました。
そのドクターは、ツレアイさんがこちらの部屋に来ても、まだ一人スノウさんの横に立っていてカルテを見ていました。
そして静かに横たわる彼女に話しかけました。
「3月4日で61歳になる事が出来たんですね。良かったですね。」と。
その言葉が聞こえて来て、私は思わず振り向いてドクターの背中を見ていました。
すると彼は、
「約8年、お疲れさまでした。」と優しく声を掛け一礼をしたのです。
私は思わず立ち上がり、彼が帰っていくまで座らず
「どうもありがとうございました。」と深くこうべを垂れました。
「約8年」は妹の闘病の記録と言うよりは、私の人生の中での大きな出会いと別れのお話です。
昨日から書き始めたのに、結局は日にちを跨いでしまいました。昨日が、スノウさんの命日だったのです。
私はこの記事を1年かけて書きました。
計算していたわけではなく、掛かってしまったのです。
だから私にとっては「約9年」の物語・・・。
スノウさんの本当の名前は「ユキエ」と言うのですよ。
「ゆきちゃん」、本当はこの名前の方がずっとずっと可愛らしかったですね。
だけどこの「ゆき」は「雪」ではなくて、「幸」で「え」は「枝」なんです。
彼女の幸せな枝に、多くの人が小鳥になって止まった事でしょう。
もうゆきちゃんは、この地上には居ません。
その枝に止まった小鳥たちのたくさんの想い出の中と、そして心の中にしか。
「約8年」を今までお読みいただけて、ありがとうございます。
想い出は先に書いたように枯れる事のない泉のようなもので、尽きる事もないのですが、ゆきちゃんとの出会いと別れの物語は、これにて終わりです。
繰り返しではありますが、本当にありがとうございました。