・約8年 その16の続きです。
スノウさんとの思い出を語りだせば、なんたって付き合いも長いわけですから、たくさんあるのです。
先日は夫とお好み焼きを食べに行きましたが、その時も、スノウさんが浅草でも世田谷のお店でも焼いてくれたなと思いだし、しみじみとしてしまいました。
彼女との「ポーの一族」の話などは、本当は語りたいところです。
ですが、想い出は溢れる泉のようなものなので、いつかまた聞いてくださる時が来ればいいなと思います。
だけど、このお話だけはしたいと思っているものがあるのです。大した話ではありません。
きっとスノウさんが生きていてこの話をしても、「そんな事があったかしら。」と言ったと思います。
「花ちゃんはライバルだから」と言ったスノウさん。
確かに学校の成績は勝ってたよ。
次女だからね、家族への貢献度も高く発言権も強かったかも。
だけど最初からいろんなところで負けてたんだ。
今では、夜はすっかりとドラマタイムですが、昔は夜の散歩が好きでした。
昔とはどのくらい前かと言うと、独身の頃からです。あれは高校生だったか大学生の頃、夜になると様々な想いが心の中で暴れ出す事がありました。
そんな時、その苦しさから逃れたくて、夜の道をただ歩いていました。
今思うと、かなり危ない行動だと思います。
しかも、その頃の私の好きな場所は、歩道橋の上だったのですから。
これも今思うと、かなり迷惑な行為だったかもしれません。
深夜ではなくても、歩道橋の上から若い女性が下を見下ろしているのですよ。
ドキリとしたドライバーの方もいらしたかもしれませんね。
だけどその頃の私は何も考えずに、来る車行く車の白と赤のライトを、ぼんやりと眺めているのが好きだったのです。
と、そこに向こうから青年を2人引き連れている女の子がやって来るのが見えました。
青年たちを両脇にやって来るその子は、まるで若き女王に見えました。
「あれはさ・・・」
「でも私はさ・・・」
と風に乗って声がチラチラと聞こえてきました。
私は歩道橋の上から
「スノウさん、やるなぁ。」と見ていました。
そう、その女の子はスノウさんだったのです。彼女だと分かっても、私は歩道橋を走って降りていくなんて事はしませんでした。なぜなら一緒にいた青年たちに、少々驚いていたからです。
かつて中学の生徒会の執行部にいた先輩たちで、彼らは私の目から見たら、いつもキラキラしていました。
その頃からジャニーズ張りのイケメンで、頭も良くて医者の息子である男子を中心に、顔はちょっと濃くて、だけどいろいろな事に興味を持ち実行する人と、メチャクチャ頭が良くて、確かに眼鏡くんではあったけれど、早稲田に合格したものの、それは繋ぎで、翌年には東大に入っていったと噂があった人。その時医者の息子はいなかったかもしれませんが、それでも私にとっては高根の花を、しかも引き連れたように歩いてきたのだから、「凄いな」と思わざるを得ません。
その頃は「花より男子」などと言う漫画はなかったわけですが、私はその頃の漫画の何か(忘れてしまった(^_^;))を連想しました。木原敏江だったか一条ゆかりだったか !?
学校の一番目立つグループと普通の少女の絡みと言うのは、少女漫画の定番なのですよね。
家に帰ってからスノウさんに、その事を言うと、
「へぇ、あの人たちが ? あー、確かに頭は良いかもね。」と気のない返事。
スノウさんは、この先の人生でも、彼女のツレアイからも
「彼女、人脈、広くて凄いからね。」と言われるような友好関係があったようです。
だけど私の目から見たら、中学生時代は自分で演劇部などを作り、文化祭などで自作のお芝居を演じそれなりに好評だったようですが、友達などそれほど豊かではなく、寂しい人間関係に見えていたのです。それと言うのも、かつての学校という組織がそれを思わせたように思うのです。あまり勉強に熱心でない生徒を、無視し排除し押しつぶそうとする能力のない教師が昔は紛れていました(きっぱり!)。そんな者に、彼女は苦しめられた時代があったと、私は思っています。
だけど人には良い出会いと言うものがたくさんあると思いますが、その出会いと言うのは人とばかりではなく、ある種の組織、つまり何かのサークルなどと言うものもあるような気がします。
彼女は、ある時から、子供会や何かそういうグループの集まりの時に、ゲームや遊びを提供して楽しませるというボランティアに参加したのです。
先に書いた、キラキラ男子先輩たちともそこで知り合ったみたいです。
ある時、近所の公園で子供会の集まりがあり、それをスノウさんたちがそのイベントを進めるのだと聞いて、応援の意味を込めて蝶子さんと見学に行きました。実は心配だったのです。
ところが、多数の小学生の輪の中心になって、スノウさんは大きなハリのある声で
「みなさーん、今日は・・・・」とゲーム進行をしていました。
そのイキイキとした姿を見て、私は驚き蝶子さんと顔を見合わせてしまいました。
「スノウさん、凄いね。いつからあんなことが出来るようになったのかしら。」
そこに居たのは、私の知っている寂し気でちょっとさえないスノウさんではなかったからでした。
中学生時代は、その「寂し気な」と言う印象も、それは私の思い込みだったのかも知れません。それとも後に彼女は変わっていったのか。
ある時、母が言いました。
近所のスノウさんの同級生のお母さんからお礼を言われたのだそうです。
「心配して出掛けて行った娘が『楽しかった~。次も楽しみ。スノウさんのお蔭』と言っていたのですよ。」と。
ある時から、スノウさんの中学校の同級生は、数年に一回、クラス会を開くようになったのです。
この時、なんとなく遠慮して距離のある人も巻き込んで、みんなが「楽しかった」と言う場所を作ったのは、彼女のホステス気質がかなり貢献したと思います。
アーア、生きてるうちにもっと褒めてあげれば良かったなと、私は思いますよ。
でもね、きっと
「でしょう~。」と言う得意げな顔で、彼女は言ったと思います。
ふーんだ。やっぱり褒めなくて良かった(笑)
大丈夫。きっと他の人にいっぱい褒められていたと思うから。