父上様
今日はお父さんの誕生日ですね。
名都さんが言っていましたが、命を繋いでいたらなんと91歳だそうですよ。
残念ながら、お父さんは83歳で今生ではカウントすることを止めてしまったわけですが、それでも私たちが生きて、お父さんの事を思い出す限り、その歳は数えられていくわけですね。
・「秋薔薇と十月桜2020」と言う記事の中に書いたことですが、
>『11月13日は亡くなった父の誕生日で、その前後の土曜日には、母と姉妹と叔父夫婦と横浜で暮らすラッタさんなどと一緒に、父の墓参りに行き、その帰りに街中温泉によって、集まった事を楽しむ会をしてきました。
だけど今年はすっかりそれさえも忘れ、その日に出掛ける予定を立ててしまいました。
姉妹たちからも、その話はまったく出ません。母でさえ、今年の初めまでずっと続けていた祥月命日の墓参りを止めてしまっていました。
やっぱり2020年は、普通と言えるはずもない一年なのでしょう。』
だけどちゃんと夕方名都さんから、ラインにメールが入りました。
「今日はお父さんの誕生日だよね。」と。
そしてみんなでその話をしながら、お父さんの誕生日の事を思いだし話し合ったのですよ。
大丈夫 !
まだお父さんは私たちの中で生きていますよ。
この前、実家に帰った時に、
「お父さんが時々夢に出て来て、それは意外と怖い夢なんだけれど、だけどいつも大事な事を教えてくれるよ。」とお母さんに言いました。そしたら、お母さんが
「花ちゃんを頼りにしているんだよ。これからもよろしくね。」と言われました。
お父さん。
本当はお父さんが夢に出てくると、私はとっても怖いんです。だって、もうこの世の人ではないと知っているから。でもお母さんの話を聞いて、やっぱり時々、いやごくごく稀で良いので(相変わらず正直です、私)、やはり夢に出て来て、大事な事のヒントをくださいね。
お父さん。
私、この前、日光に行ったんですよ。その時、あまりにも風景が美しくて、だから、お父さんの事を思い出しました。お父さんだったら、この風景をどんな絵に描くのかしらと思ったものですから。
あなたと今なら、絵の話がしたかったです。そして私の撮った写真を、お父さんに褒めてもらいたかったです。
「写真が綺麗だね。」とお父さんに言われると、私は本当に嬉しく思ったのですよ。お父さんが亡くなった年、私はしばらくの間、何かにカメラを向けただけで、これからは誰が褒めてくれるのだろうかと思ったらめそめそと泣きたくなって、涙を零していたのです。
だけど今日、私は栃木の前から行きたかった所に行き、またその後1000段の階段を上って来たのです。
今もあの時と同じような事をして暮らしています。やっぱり時々褒めてもらいたいなぁと思いながら。
今年はお墓参りには行けなかったのですが、お正月には家族で行きますね。
あっ、そうそう。今年は一族で集まる新年会は無しですよ。寂しいお正月になりそうです。
2020年は大変な一年だったのです。
いつかこの疫病も収まって、またいつか賑やかなお正月迎える日が来ますように。
私たちは四人でずっと賑やかに、ワイワイと仲良くやっていきますから、お父さん、安心してね。
じゃあ、またね。
お元気でいらっしゃいましたか。
>忘れないこと、思い出すこと。それってとても大切なことだと思います。
本当にそう思います。
今年は、普段はあまり会わなくなってしまったお友達とかにも、連絡などを取り合いました。
過ぎて行ってしまった人ばかりでなく、時にはお付き合いが軽くなってしまった友人たちの事も、深く思う時間などを持つことも大事な事なのかなと思いました。
いつも、ありがとうございます。
忘れないこと、思い出すこと。それってとても大切なことだと思います。 ^^
男の子と父親の、ひとつのドラマを垣間見たようなお話ですね。
最後の日々に息子さんとの濃密な時間を持てて、お父様も幸せなお気持ちだったと思います。
>父は花子さんのご一族同様今も我家の我家族の中で生き続けています。
私こそ、素敵なコメントをありがとうございました。
我家で父の話をするのは私が一番多い。
小学生の高学年頃からずっと衝突しあって独身時代は母が、結婚してからは主に妻が私と父の通訳と言うのか間に立って伝言していました=直接話す事は無かったです。
入院して3週間で亡くなりましたが
その最後の日々は父と二人っきりになる時間もあり濃密な時を過ごす事が出来ました。
父は花子さんのご一族同様今も我家の我家族の中で生き続けています。
いいお話をありがとうございました。