かずみは少し固いソファの上で目を覚ました。
煌々とついている明かりと、やかましくがなり立てるテレビのどうでもいい喋り声が煩い。今はいったい何時なのかと時計を見ると、もうすぐ11時半になるところだった。
まだ夫の和雄は帰っていなかった。そんなに遅くなる仕事についているわけではない。ちょっと飲んできた、ちょっと友人と話しこんでしまったと、こんな時和雄は言うけれど、和雄にはそんなに頻繁に付き合ってくれる友人などいない事を、かずみは知っていた。
だからと言って、何をしているのかなどと興味もない。ちょっと飲んできたと言われれば、そうなんだと言葉通りに思っている自分が不思議だと、時々かずみはそう思う。興味を持たない事、それが自分を守るプロテクターなんだと無意識の意識が告げてはいるが、それを認識する事が出来ないでいた。
テレビの音は相変わらず煩いが、煩いゆえに何も言葉に還元されず、ただの機械音に他ならない。冷蔵庫の唸る音、ファンヒータの自己主張。部屋の中の機械音は、窓の外の風の音と同じだ。
静かだ。
かずみは思った。
私はたった一人だ。
何かの振動が、グッグッと音を立てて自分に迫ってくる。、そんな感じがした。
かずみはジィーッと電話機を見つめた。
「リーン」
頭の中で電話のベルがなる。もちろん本当のベルの音はそんな音ではない。
「もしもし。」
かずみは妄想の中で受話器をとる。
「そちらは相沢さんのお宅ですか。」男の声が言う。
「はい、左様でございます。」
「こちらは警察ですが・・」
「えっ、今なんて・・」
「相沢和雄さんはそちらのご主人ですか。」
「ええ、左様でございますが・・」
と、その時ドアのところでガチャガチャと音が鳴る。和雄が鍵をあけ入ってきたのだ。現実の和雄を目の前にかずみの妄想は消えた。
「ああ、おかえり。」そっけなくかずみは言った。
「ご飯は?」
「食べてきたよ。」
「そうね、こんな時間ですものね。」
「疲れた。もう寝る。」
「あら、お風呂にも入らないの。」
「今日はいいや。」
「湯船に浸かるだけでも、疲れが取れるのに。」
「いいよ、早く寝たいから。」
まるでかずみの前から逃げるように和雄は寝室に消えてしまった。
テーブルの上の用意されていた食事、湯張リされたバスタブ、転寝していたけれど待っていたかずみ・・・
和雄にとって、何も意味を成さなかったものたち・・・
わけの分からない失望感に苛立ちながら、かずみはソファに座り続けていた。転寝のせいで、ぜんぜん眠くなくなってしまっていた。何かしなければと思いながら、何も出来ずにただ座っていた。
―あの時・・、
と、かずみは思った。
―ドアが開いたから、私はがっかりしたんだわ。かずみは自分の失望感の分析を無意識にしていた。
「リーン」
その時、頭の中で電話のベルが再び鳴った。
「もしもし」
「相沢さんのお宅ですか。」
・・・・さっきの続き、と、かずみは心の中で呟いた。
「相沢和雄さんが事故に巻き込まれました・・・」
「えっ、ああ、じゃあどちらの病院に・・・」
「いえ・・・、―の遺体安置所に。あの、身元確認に来て・・・」
なんだか良く聞こえない。ドキドキしてわけが分からない。すぐ行くというようなことを言って受話器を下ろすと、突然冷静になってきた。入ってくる保険金と、退職金の額がサッと頭に浮かんだ。とりあえず何とかなるわと、考えなければならないことは考えたように思った。
かずみは静かに微笑んでいた。
かずみは微笑んでいる妄想の中の自分を、ソファに座りながらじぃっと見つめていた。
ふふふ・・・
思わず笑いがこぼれた。さもテレビのへたくそなお笑いに反応しているかのように、ゲラゲラと笑い出した。
「何、楽しそうだね。」と背後で声がした。
驚いて振り向くと和雄が立っていた。
「どうしたの。」
「うん、トイレ。」
「もう行ったの。」
「うん。」
「じゃあ、早く寝なさいよ。明日もいろいろあるじゃない。」
かずみは母親のように優しい。
「う、うん。君はまだ寝ないの。」
「もうすぐ寝るよ。このテレビが終わったら。」
「じゃあ、お休み。」
―もう、寝るよ。シュミレーションが済んだから。
かずみは立ち上がる事も出来なかったソファからスクッと立ち上がり、力強く伸びをした。