竹宮惠子氏の自伝です。
サラリと読めますが、内容が軽いからと言うわけではなく、インタビューによって書かれているからだと思いました。
なんとなく竹宮惠子氏は、こんな風に明るくちょっと早口で、さらっと話す方なのではないかと想像しました。
竹宮氏は2020年に退職するまで京都精華大学マンガ学部学部長であって、時には講義などもたくさんしてきたと思うので、彼女の話をじかに聞いてきた方も多数いらっしゃると思います。本当の所はどうなのでしょうか。
考えてみたら、あまり彼女をテレビなどのメディアで、今は見かけないかも知れませんね。
大学でのお仕事が忙しかったからだと思うのですが、これから先は分からない事だと思いました。
例えば「100分de名著」とかに。
でもそうすると、やっぱり竹宮惠子氏の場合は「風と木の詩」は欠かせない作品として語られるわけで、昔だったらちょっと難しいなと思われることでも、今なら自由に語り合えるかもしれませんね。
彼女が自負する新しい「扉を開けて来た」と言う部分は、彼女が自負していい部分だと確かに思うわけで、確かに同性愛のリアルな部分まで描き出していたのは、他の方でもいらっしゃったと思うのですが、ことのほか短編で、ここまで少女たちの支持を受けて長期で連載し、BLと言う新たなジャンルを作り上げたのは、彼女の功績が大きかったと思うのです。(文が長い !!(^_^;))
「ミッドナイトスワン」の感想の中でも書いたと思うのですが、私たち以下の年齢の女性には、あまりジェンダーの人たちに偏見がない人が多いのも(たぶん)、この時代の作品のブームが、その気質を産んだからだと思います。
竹宮惠子氏の好きな作品は多数あります。
ただ今は、それは語るのは止めておこうと思っています。
(中途半端になっている「私の漫画史」が復活したら書く予定。)
そう言えば、下に載せた本も買いました。この本を買ったから、ようやく録画したまま入りっぱなしになっている録画を消す事が出来ます。
でも私、「買って安心B型」なもんで、少々積読かも知れません。「一度きりの大泉の話」もまだ未読。
前書きの段階で、ちょっと気になる部分があって、一度読んだ「少年の名はジルベール」を先に読み直したい衝動にかられたのでした。その時、この新作であるこの本の事を知ったのです。レビューで同じような内容と思われた方もいらっしゃったようですが、ちょっと違うような気がしました。
続きは本の紹介の下です。
やはり「扉はひらく いくたびも」の方は、インタビューによって引き出されたものだからでしょうか。「少年の名はジルベール」の方が、赤裸々な感情が書き連ねてあったように思いました。「風と木の詩」が誕生してくるまでの、心の吐露ですから。
「扉は・・・」の方が、大泉サロン時代の事も、萩尾望都氏との蜜月時代から破局までサラリと淡々と語られています。それは人生のある時代として捉えられているからかも知れません。
その人生のある時代、嫉妬で苦しみ出口のないスランプで苦しんだ地獄のような時代だったのかもしれません。
でもだからこそ、その嫉妬の火を燃やし、傑作が生まれてきたのかも知れないと思うのです。
それは過ぎ去った過去の話ー。
確かにここまで歩んできた長い時代の一部の時間にすぎないのだと思います。
イヤ、でも、「秘密は封印された壺の中」の方が良かったのになと、心のどこかでそう思います。伝記を書くにあたっては、そこを隠して通過できない時代だったのだと思います。だけど、言葉にして残したら、二人の過去にそういう時代、そういう出来事、そういう気持ちがあった事が人々の記憶の中に永遠に続くからです。
だけど、話したからこそ次に進める事もあるのでしょう。
この伝記は、その一部の時代の事を多く語っているのではないからです。生い立ちから家族の事、そして大学での学部長時代の事など興味深いものになっています。
私は氏の多くの作品が未読です。
「紅にほふ」と「吾妻鏡」はぜひ読んでみたいと思います。
そして
また、この先、竹宮惠子氏には辛口の新作を書いていただきたいものだと思います。