中学3年のある日の月曜日のホームルームの時間、Ⅰ先生が言った。
「昨日、『ゴジラ』をテレビでやっていたけれど、見た人はいますか。」
―あっ、見た。夕方テレビをつけたらやっていた。白黒で、ゴジラの顔が怖かった。ストーリーも暗く地味だったが、海の中で死んでいくと言う設定のゴジラが渋くて、面白かった。
俺見たぞ。俺も、私も。クラスの大半が日曜の夕方のテレビ放映を見ていた。
―おいおい受験生だぞ、勉強しろよ。、、、って、私もか。
その後、Ⅰ先生はとうとうとその感想を語った。
その感想は、あまりにも大真面目なものだった。私は斜めに構えフンと思った。中学生はいつだって、残酷で怖い未熟な生き物だ。誰かの熱い想いが、時にはうざい。
が、聞いていないかというとさにあらず。
その頃、ゴジラはすっかり子供達の友達だった。強くて怖いゴジラが好きだったのに、何を勘違いされたのか、人気が出ると、その頃まだ子供だった私達のアイドルに仕立て直されてしまっていた。
時にはシェ―をしたり、ミニラ相手にスパルタ父さんを演じたり、挙句に「怪獣島」なるところで管理されてしまったりで、散々な扱いだ。
ちなみに私が一番最低と思う怪獣映画はこの「オール怪獣大進撃」だ。 すっかり、お子ちゃま映画のヒーローになってしまっていたゴジラなのだが、もうその頃の私は、お子ちゃまでなかったから、時勢の流れに耐えられないものを感じたものだ。〈映画好きの子供を馬鹿にしてるぞ〉
でも、「ジュラシックパーク」を観ても、アイデアとして目新しく感じなかったのは、「怪獣島」を知っていたからか~・・なんちゃって。
話を元に戻すが、その時のⅠ先生の「ゴジラ」の感想は、いつの間にかそっくりそのまま私の感想になってしまったように思う。水爆実験の果てに誕生してしまった「ゴジラ」と言う怪獣。その「ゴジラ」を倒すべく使用された新兵器(オキシジェン・デストロイヤー)。その開発者は、その兵器が新たな人類の脅威にならぬように自らもゴジラとともに消えていってしまう。
Ⅰ先生はそれを科学者の良心と言っていた。先生はその「良心」に感動したと言っていた。
そうだったのか。私は、違うシーンで頭が一杯だった。ゴジラというと
「もう、間に合いません。さよなら、みなさん。さよなら、」と言いながら、最後の最後まで放送を続けたアナウンサーの姿に感動して涙が誘われる。
逃げたらいいのに。思わずそう思ってしまう、そのシーン。だけど、報道マンの使命に殉じる姿に心打たれない人はいないのではないだろうか。
この映画は、1954年に作られた。先の大戦が終わってまだ10年経っていなかった。
ある日突然現れたものに、都市を理不尽にも破壊される恐怖、逃げ惑わなければならない恐怖、命を脅かされる恐怖は、その警報、疎開、被爆に表現され、当時の人々の記憶にある恐怖に呼びかけるものであったかもしれない。
自分の選んだ道に殉じるというのも、人々の記憶に新しく、感動を呼んだのかもしれない。戦争を知らない私達には、日本人の遺伝子の中に組み込まれていると言ったら、いかにも私らしい大げささだとは思うが・・・
「ゴジラ」-この映画は、平和の願いがこめられた日本が誇っていい素晴らしい映画だと思う。
生徒さんたちも一段落付いたんですね、良かったです。
年の離れた兄がいたので、ゴジラはみんなのヒーロー的存在であってはいけない、って力説しているのを何度も聞かされました。
あくまで恐れられるような存在でないと、と。
私が子供の頃映画館でやっているのは既にそういう“みんなのゴジラ”と言った作風のものばかりでした。
よく日曜の昼過ぎくらいとかに昔の怪獣映画ってやってませんでした?
大魔神とか。
昔に作られたモノクロの作品の方が、迫力もあるし、内容も半端じゃなかったですよね。
ゴジラはやはりこの第一作目が一番だと思います。
何だか観たくなってしまいました。
この「ゴジラ」のファンは結構いるらしいですよね。この映画の始まり方は、アメリカ版も踏んでいたように思います。安易にその姿を見せず、徐々にその片鱗を見せていくと言う手法を取っていたと思います。
「映画だい好き」は記憶やwikipediaでその確認などをして書いているので、たまにはまた、観てみたいようなきがします。
そういえば、「夏目友人帳」は注文しました。待っているところです。