「緑子への手紙」で、流れとして、この映画の感想を書かないわけにはいかない。毎度お馴染みの二番館で観た「ロミオとジュリエット」と「卒業」。青春のと言うにはあまりにも青すぎる、思春期の入り口にいた頃観た映画だった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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好きなものにエールを送る、私のポリシーは今も昔も変わらない。教室で「ねぇ、昨日さぁ、お姉ちゃんと映画行ったんだあー。」なんて言い方は絶対にしない。教室の片隅の席で、ぼんやりしている私はいきなりワっと泣いた。そしてハラハラ涙を流した後に「どうしたの。」と心配してくれる友達に「だって、昨日見た『ロミオとジュリエット』はね・・・、もう思い出しただけで涙が・・ああ・・」
ちょっと演技入っている私!?
だけど定期テストを今週に控えた月曜日、アパッチと言うニックネームの担任が険しい目つきで入ってきて、開口一番こう言った。
「昨日の日曜日に映画館に行った人、このなかに何人いますか。」
バラバラと手が挙がる。「ぱらぱら」ではない、「ばらばら」だ。(私のパソコンでは見えづらいなあ)
「あなたたちは何を考えているの!!!」
―だって、今週で終わってしまうもの。― と声が上がる。
振り向くと、緑子も行っていた(緑子は私の中学時代の友人、仮名だけど)。
知ーらない、あたし。
ところが、見た人の中で奇妙なことを言い出す人たちが多数現れだした。「ロミオとジュリエット」を観に行ったけれど「卒業」の方が良かったと言う意見だ。実はそれが多数派。レナードに夢中な私は、今更裏切らないが、なんとなく辛い。私だって「卒業」は良かったよ。サイモンとガーファンクルの音楽、ドライブのシーン、ラストの結婚式場から恋人を奪うシーン。涙が出ましたよ。でも、なんで「ロミオとジュリエット」が「卒業」に負けなくてはいけないんだ。何かが変。その頃は言葉を巧く使えなかった。今なら笑って言える。
「何で、二つを比べなくてはいけないの?」
二つとも桜と梅の花がそれぞれ好きなように、好きな作品だ。ただ「卒業」については「サウンド・オブ・ミュージック」と共に、見た年代で見たところが違うと言うテーマでいつか又加えて書きたいと思う。(いつかはいつか、ずっと、たぶん後) 「卒業」は、その内容を知らない人でも、そのラストだけを知っている人も多いのではないかと思う。上に書いたこととダブってしまうが、音楽の素晴らしさなくしては語れないと思う。 だが、「ロミオとジュリエット」の音楽が素晴らしくなかったわけではない。
―What Is Youth―こんな所で視聴できます。
若さとはつかの間の炎
乙女とは欲望を秘めた氷
この世は移り行く バラは花開き、やがてしぼむ
若さも愛らしい乙女も同じこと
甘い微笑みの 花開く季節が来れば 恋人よ 愛し合おう
結婚を考えるもよし 駆引きに明け暮れるもよし
でも僕は上手に切り抜ける
キューピッドは誰でも狙ってる
たわむれに歌を歌おう
死はたちまちやって来て 僕達を沈黙させる
蜜よりも甘く胆汁よりも苦い
恋はけっして飽きない気晴らし
蜜よりも甘く胆汁よりも苦い
キューピッドは誰でも狙ってる
私は今でも、この曲を聞くと涙が次から次へと溢れてくる。薄暗い教室で友達の前で涙した時と同じだ。あれは、計算ではなかったのだ。語ろうとすると涙が溢れ、切々と涙で語ってしまう。言葉は飲み込まれてしまう。
この映画は、何処を切り取っても美しい一枚の絵画になってしまう。全て全てのシーンが美しい。街並みが綺麗だ、衣装が美しい。ロミオもジュリエットも若くて美しい。そして、俳優達の発声が素晴らしくて、心に染み渡っていく。シェイクスピアは古典だ。イメージ的にも格調が高い。見ていて、ああこれがシェイクスピア劇なんだなと、教えられたような気がした。時代が変わっても、そこにある若さゆえの一途な想いは同じである。長く生きることにより付ける事が許される老獪な智慧の鎧も、身にまとうこともなく無防備ゆえに、若さは愚かで儚く真っ直ぐすぎて悲しい。
二人の最後の別れのシーンで、ロミオが「Adieu」と言って、朝もやの中を消えていくシーンが忘れられない。
>死はたちまちやって来て 僕達を沈黙させる
蜜よりも甘く胆汁よりも苦い
恋はけっして飽きない気晴らし ・・・・・・
―命短し、恋せよ乙女♪ と同じ意味ですよね。
実際の恋はなくても、自分の人生には恋をして生きていきたいものだと思う。
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