新しい日々の一日目。新しい本のページをいつもと同じように午前0時がやってくるいつものように今日が明日に変わるだけだけれど新しい365日がやってくる 新しい年を迎えると言うことはたとえ......
上の囲みは昨年の1月1日に投稿したものです。
そこを開いていただけると、またその一年前の1日の記事にたどり着くと言うツリーになっています。
その2015年の「新しい本のページを」の中の、
「新しい年を迎えると言うことは
たとえば新しい本を手に取った時に
よく似ていると思う。」
と言う文を読んで、自分の書いたものでありますが、再度そう思いました。
ともすれば流されてしまう毎日。意識を持たなければ一年という単位でも流されていく事もあると思います。
昨日が終わって、今日が来るだけ。それでも一年の初めには「2016年」と言う本は閉じて、新しい「2017年」と言う本を綴っていきたいと思います。
※ ※
その1日目は、毎年と同じように、早朝に家を出て横浜でひとり暮らしをしているラッタさんを迎えに行き、父の墓参りに行きました。
そしてその後は実家に行き、楽しいひと時を過ごしました。
近頃実家でのお正月での恒例になった事は、父亡き後の母の新年の挨拶とビンゴ大会です。
新年の挨拶と言うのは、一族みんなの前で乾杯の前の挨拶をすることですが、
「いいよ~、やらないよ~。」とか言うくせに、母の挨拶はいつもちゃんとしていて頷けます。
「今年は酉年。鳥と言っても鳥はいっぱいいるのです。あなたは何の鳥になって羽ばたきたいですか。私は鶴になって大きく羽ばたきたいです。」
本当は酉年の鳥は鶏の事を指すのです。
でも83歳になっても、鶴のように美しい鳥になって羽ばたきたいなんて立派な事だと思いました。
ビンゴ大会は3人欠席でも14人も一族のメンバーがいるから成り立つ企画だと思います。
参加者は皆1000円以上の景品を持ち寄ると言うのが、参加条件です。
いわゆるプレゼント交換のようなものですが、そこに少々のおまけを付けて差を付けます。でもプレゼント自体が何になるかはお楽しみです。
3時過ぎに実家を出て、帰りは例年通りの4人です。
お昼にいっぱい食べ過ぎたので、夜は要らないくらいに感じましたが、それでも四人で囲むお鍋の湯気からは幸せの暖かさを感じる事が出来ました。
いつもは夫と二人で見る「相棒」もラッタさんも一緒に見ました。
1月1日は、そんな一日でした。
今日は良く晴れて、元旦の朝日も美しかったです。
走る車の中から撮りました。
眩しくて、写真を撮った後、目をつむると太陽の残像の黒い点が10個ぐらい瞼の裏に映っていました。
そして夕日。
朝日と夕日の間、
そして
夕日と朝日の間、
丁寧に生きよう。
一生懸命に生きよう。
朝日を見て、夕日を見て
そう、私は思ったのでした。
もうお正月も2日ですね^^;
お正月の間に流れる時間は特別感があって大好きです
昨日の朝は珍しく10時まで寝ていました
いつも7時に目覚ましと早起き競争をするのですが
やはり気がゆるくなるんですね
それでこんな時間にも平気で起きていられるという怠惰ぶり^^;
これだけ年を食うと勝手に丁寧に物事を扱えるようになりますね
最近気が付いたのですが 呼吸が整ってきたというか
殆ど一日中同じ呼吸で過ごしているようです
多分歌う事で呼吸に意識を持つことで日常にもそれが活かされているようです
息を止めると一瞬動作が止まって不都合が起きますね
包丁を持って物を刻んでいる時に息を止めたりすると手元が狂って
思わぬけがをしたりしますから^^;
こんな場合には余計慎重に呼吸に無意識に意識が行っているらしいのです
それで冷静に調理が進むという感じですかね
お母様 立派ですわ さすがkiriyさんのお母様!
この意識を持ち続ける80代ってあまりいませんからね
気持ちがお若いのでしょう^^
あ 貸主さんを思い出しました
彼女も順序立てて話が出来る人で意識も相当高い人でしたよ^^
ああ そろそろおねむですわ
途中ですが<(_ _)>オヤスミナサイ
今年もどうぞよろしくです(-ω-ゞラジャ⌒☆
そうね、ここから変わらなくてはいけないような気がします。
呼吸のお話、奥が深いですね。そして考えさせられました。
私の呼吸は、一日でいろいろと変わっているような気がします。のんびりとすこぶるゆっくりだったり、ものすごく早かったりとか(焦る事も多くて)。
でも呼吸を整えて一日中同じ呼吸でいることは大切な事なのですね。
これからもいろいろな事を教えてくださいね。
今年もよろしくお願いいたします。