森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

馬鹿で愚かで阿呆な私をゆるして。

2025-01-14 16:56:48 | 梢は歌う(日記)

「馬鹿」も「愚か」も「阿呆」もほぼ同義語だと思うけれど、そんな言葉を重ねたくなる今の私の気持ち。

 

子供の頃、母が言っていました。

死んだときに、足の裏に名前を書くと、次に赤ん坊として生まれた時に、足の裏にその文字が残っている子どもがいる。

その文字を消すには、前世の墓の土で擦らなければならないのだと。

我が母上は、そんな戯言が得意な人だったのです。

はっきり言って、面白かったけれどね。

 

そんな下らないことを、この歳になって思い出し、是非ともそれを実践したいものだと、あの母にしてこの子ありレベルの戯言を思ったりするのでした。

でも書くのは名前ではなく

「歯を大切に ! 」ですよ。

戯言母に育てられた環境も良くなかったかもしれませんが、私自身も若い時にいくらでも、その後の人生を変えるチャンスがあったと思うのに、それほどは意識してなくて、この歳の私の歯はボロボロです。

(でもちゃんと歯医者さんには通ったけれどな(ノД`)・゜・。
やっぱり意識薄い母のせいだったと思う・・・・。←ちょっぴり本音。)

 

2024年の1月1日、年が明けた真夜中、歯を磨いたら、右上のブリッジがガクッと半分外れたのです。

やばいやばいと押し込んで数日持たせ、歯医者の休みが明けた頃に都合よく外れたので、治しに行きました。

だけどその時、もうこの歯たちはダメなんだと思っていたのです。でも結局4回ほど外れたらつけ直しで12月の半ばまで持ち、ほぼ一年歯の命を長らえたと思います。

ポジティブに考えたら、それはそれで良かったと言えたのかも知れません。

だけどとうとうダメになってその歯たちを抜くことになりましたが、10年以上飲んでいるステロイドの副作用予防に骨の薬を飲んでいて、抜歯の為にはその薬を止めなければなりません。

それで年をまたいで、今日3本抜いてきました。(ブリッジだったので)

歯を3本を抜くなどと言うと、おばあさん道まっしぐらという感じですが、致し方なしです。

(顔に皴がないから許してとか言っちゃったりして。太っているからお顔がパンパンとしていて皴が、年齢の割にはないの、私(笑))

 

そして抜きました。

「ミシミシと言いますよ。」と先生。

ミシミシ・・・・

「はい。1本抜けました。次に行きますね。」

ミシミシ・・・

私の心はズキズキ・・・・

 

「結構、歯の周りも腐っていて汚かったので・・・・・」とかなんか言ってました。

クラクラしていたので、「それ、大丈夫なんですか。」と言いたかったけれど、聞けませんでした。

止血している間、先生は他の患者さんの所に行き、私は椅子に座って、自分の抜けた歯・・・・というか歯の残骸をじっと見ていました。

全く歯の形を成していない欠片たち。

汚らしい歯の残骸たち。

今日スマホを充電していて、持っていくのを忘れてしまいました。

持っていたら、その惨めな血だらけの歯だったものたちの写真を撮っておきたかったな。

実は愛おしかったのです。いくら何でも持って帰りたいとは、さすがの私でも言えませんでした(フツーそうだよね(;^_^A)

 

だけど私は心の中で、その歯の残骸たちに思わず言いました。

「こんな姿にしちゃって、馬鹿で愚かで阿呆な私をゆるして。」と。

 

 

人生は「ふりだしに戻る」や「いくつ前に戻る」が無いすごろくのようなものでしょう。

前に進むしかないのですよね。

(でもまだ血が止まらないのですけど)

 

※ トップ画像は、義母の作品です。

 


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