新しい年が始まりました。
最近ブログ生活も滞っていましたので、
新年のご挨拶も含めて、1日の夕方にブログを再開させようと思っていました。
ところがその日、横浜の実家から帰る途中の高速の上で、あの地震のニュースが流れてまいりました。
最初、ナビのテレビの音から緊急地震警報の音が流れました。自分のスマホが鳴っていなかったのに、一瞬勘違いして、こちらでも地震が来てこれから地面が揺れるのかと身構えてしまいましたが、それがテレビからなのだと気がついて、そしてその後に伝えられた震度7と言う数字に愕然としました。また大津波警報にも。
「そんな・・・・今日は1月1日、お正月なのに・・・・」などと思っても、災害は容赦ありません。
家に帰ってお気楽に、「おめでとう」を言えるような雰囲気ではなくなってしまいました。
そして2日の日の羽田の飛行機事故のニュースに、またも気持ちが暗くなりました。
思わず、「いったいどうしちゃったんだろう。2024年はどうなってしまうのだろうか。」と思ってしまう自分がいました。
この不安な気持ちは、私だけが感じたものではなかったのではないでしょうか。1月1日と言う日付が、その不安を呼び込んだのです。そしてその翌日の大事故と言うのも。
だけどすぐに思い直しました。
2024年の幕開けの時に、その大災害と大事故が起きたけれど、それがこの1年の象徴のようだと決めつけてはならないのだと。
被災地の皆様におかれましては、これからも大変な日々が続いてしまうと思います。
だけどそうでない者たちは、元気に生きて経済を回し、支援する側にしっかりと回らなければならないと思います。
そして気持ちの上でも、心によぎる不安をはねのける明るさを持たなければならないと思うのです。
はねのける力は明るさばかりではなく、強い意志だったり、知恵だったりもするかもしれませんね。
ところで1月2日、このブログ生活も18年が過ぎました。
そろそろ飽きてきても確かに無理はないなと思いつつ、やはり私にはブログは大切な場所だと思い直し、初心を振り返ってみました。これからもゆるゆるとやっていくつもりなので、またよろしくお願いいたします。
その2006年2記事目。
短いので、そのまま再掲します。
『昨日の夜8時頃、横浜から帰ってきた。高速の上から視界に入る風景を見ていると、いつもこの東京という街が愛おしく思われる。多くの人々がコツコツコツコツと築き上げていった人間の巣。広がるビルの海に人々のさまざまな思いが沈んでいる。また、夜は一段と美しい。12月31日の夜10時頃横浜に行った。両日とも道路はすいすい、快適なドライブだった。でもどちらかというと、31日の夜景のほうがきれいだったな。まるで、宝石箱の中を走り抜けていくみたいだった。
ふと、この街が崩れていくシーンを想像してしまった。「ファイト・クラブ」のラストシーンのように。
-私たちは、地球からこの大地を借りている単なる間借り人かも知れないけれど、どうかお願いです。いきなり返せとは言わないでください。だって健気じゃあないですか。この築いてきたものを見てくださいよ。たとえ返す時期が来ていたとしてもどうかどうかお許しください。ー
そう、祈らずにはいられなかった。でも、その日の夜も何処かで地震が起きていたな。』