やっと今年の一冊目が読み終わりました。なかなか読書時間が取れなくてと言うのは、自分への言い訳で、「取らなくて 」と言うのは正直な所です。読み出したら二日で読めるのですから、何とか努力して1年に児童書は抜かして24冊ぐらいは読みたいものです。
本の帯の紹介文をそのままいただきますと、下記のようなお話です。
新種の桜造りに心傾ける植木職人、乱歩に惹かれ、世間から逃れ続ける四十男、開戦前の浅草で新しい映画を夢見る青年――。
幕末の江戸から昭和の東京を舞台に、百年の時を超えて、名もなき9人の夢や挫折が交錯し、廻り合う。切なくも不思議な連作物語集。
この物語を読み終えた時、私は自作の詩で「約束」と言うものがあるのですが、その詩の事を思い出してしまいました。→一応、ここです・・
ソメイヨシノの花が青空の下に、わぁあと咲くと、なぜだかその桜の木が人々の様々な思いを一気に受け止めているような気になってしまうのです。
いろんな事があったよね。いろいろな思いがあったよね。
だけどその花びらが風に舞うと、すべてが飲み込まれていってしまうような錯覚に陥るのです。
染井吉野の桜の木を作った植木職人の話から始まり、人々が微妙に絡み合い時が過ぎていく、この物語には同じ感覚があって、引き込まれてしまいました。
人々の人生は、時には劇的でありながら、突き放したようなものがあって、平坦に描かれているような気がします。時の流れの前には、すべてはささやかな出来事であるかのように。
私は高校生の頃、この「茗荷谷」ーみょうがだにと言う地名が最初読めませんでした。その事からやけに気になる場所になってしまい、池袋に行った際、地下鉄丸の内線に乗ってその駅に降り立ったことがあります。そのことから巡りめぐって、今の夫との出会いがあって、今に至ったわけですから、なんとなく懐かしい場所だったりするのです。
まあ、その話は懐かしさで書いてしまった完全な蛇足ですが、何かが何かと絡み合って時の歯車は回っていると言う符号にも一致していたなと思いました。
五話「隠れる」6話「庄助さん」7話「ポケットの、深く」は、私が一気にのめり込み読み進めてしまったエピソードです。絡んでいるささやかな部分も切なくて、そうきたかと胸に残ります。
震災で潰れてしまった家を、再興していた緒方の胸の奥には何があったのだろうと物語の大筋でないところでも心が引っ掛かりますが、何気に奇談になっている「隠れる」は、その物語にも出てくる「赤い部屋」よろしく江戸川乱歩の中に出てくるような、主人公になっているのだと思います。が、私はなぜだか、耕吉という男が太宰治のイメージと重なってしまったりするのでした。
勝手に湧きあがって来るイメージが、本を読むスピードをあげてしまったのかも知れません。
「庄助さん」のきらきら光っている青年は、大島弓子の描く青年そのものになっていました。「ポケットの、深く」に出てくるタッちゃんはどうしても大沢たかお。
敢て三話を取り上げましたが、どのお話も棄てがたいものがあって時間がたつほどに煌いてきます。
生きていれば必ず誰かに何かを残している私達。残っていく想いはどんな思いなのでしょうか。
染井吉野満開まで、あとわずか。そんな桜の木の下で様々な思いが聞こえてくるこんな物語。今の季節にお薦めします。
茗荷谷の猫 木内 昇 平凡社 このアイテムの詳細を見る |
・・・・最後に出てきた老人は緒方なのかしら。彼は桜の化身みたいな感じでした。