2月5日は映画をはしごしたのですが、その2本目はこの映画でした。
「映画.COM」に載っていた、徐昊辰と言う方の評論に
「ペマツェテン監督は、北京電影学院で初めてのチベット族出身の学生だ。昔のチベットでは、映画製作は遠い夢だった。しかし、子供の時に野外上映で出会った映画は、ずっとペマツェテンの頭のどこかにあった。大学を卒業し、文学者として活躍していても、いつか映画を作りたいと思っていたそうだ。2005年に長編映画監督デビューしてから16年、ペマツェテンは、もはや今の中国映画界においてなくてはならない存在となった。そして、日本の劇場初公開となる本作「羊飼いと風船」は、まさに現時点における監督ペマツェテンの集大成だ。」とありました。
私はそれを読んで、ちょっとしみじみとしたのです。
ブラット・ピット主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」の中で、まだ少年だったダライ・ラマが自分の宮廷に小さな映画館を作り、瞳をキラキラさせていた事を思い出したからです。
今の私たちにとっては、映画は自分の隣にある普通の文化です。コロナ禍でハリウッドの映画などが入ってくる数が減ると、まるで国風文化再来かのように、日本映画が頑張っていることが分かると言うものでしたね。
私たちにとって普通の文化である映画が、ある所に住む人たちにとっては、この映画を見て「とうとう、ここまで来たか。」と言う感覚に襲われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
映画の感想も、この方の評論の続きを「お読みください。」で良いのかなと思ってしまったくらいなのですが、少々自分の言葉で、もっと軽い内容の事を書き足しておきたいと思います。
因みにこの評論の続きは、→ここです。
世界のあちらこちらに行きたいと思っても、それは不可能な事です。チベットの空と大地の境目がないような風景には、本当に心が洗われました。もうチベットには行かないですんだねと言うのが私と友人との共通の感想になりました。
生と性とは切り離す事の出来ない事です。
子供が産めない羊は、たっぷりと食事を与えられて太らせて市場に連れて行かれます。
そして与えられた運命は・・・・・。
それを家を継いでいく長男は、胸を痛めつつしっかりと見ています。
ヒロイン、ドルカルは4人目の子供を妊娠してしまいます。子供たちが枕の下に隠してあった避妊具を風船にして遊んでしまったからなのかも知れません。
折しもその時に、義父が亡くなってしまうのですが、彼らの宗教感では、亡くなったものは身近なものとして生まれ変わってくると言う考えがあるのです。中国の一人っ子政策で、4人目を産めば罰金です。でも夫は、父の為にもたばこも酒も止めるから産んで欲しいと懇願するのでした。
ドルカルは悩み苦しみます。
これはチベットのジヨンだなと、私は感じました。
と言う記事に書いた「ジヨン」の事です。
酒もたばこも止める事は大変な事だと思いますが、問題はその程度の事ではないのですよね。
しかし、その世界の中で育っていたら、そして今度生まれてくる子供は義父の生まれ変わりかも知れないと思ったら、どんなにそれが苦痛であっても、私は産むのではと思ってしまうのですが。
ドルカルはどんな結論に達したのかー。
それはもしもこの映画を見る機会がありましたら、確かめてくださいね。
そうそう、軽いお話でしたね。
私、このドルカルってお洒落だなと思いました。
衣装さんが頑張った !?
まあ、そうかも知れませんが、とても豊かとは思えない生活でも、ものを大切にしお洒落をし、生活を大事にする。やっぱりそんな生活を感じる事が出来て、この映画がテーマから外れた所でも好きになりました。