尊には尊の別れ方がありましたね。
爽やかとは言いがたい、切ない別れ方でした。
「送りましょうか」と尊が言っても、「やめておきます」と右京は答えます。
「やっと一人に慣れてきたところですから。」
ひとり並木道を歩いて行く後ろ姿の右京。
その傍らを尊の車が通り過ぎていきます。
短いクラクションの音が、別れを告げて。
チャララ~♪ チャララ~♪
「相棒」のテーマ曲が切なく流れて、思わずジワ~と目が潤みました。
別れというものは、どんな時でも切ない悲しいものですよね。
シーズン7の19話「特命」で、ひとりで村を捜査していた右京の所へ尊が初めてやって来て、自分の車に乗せるのでしたね。そしてラストは、車の尊と歩いて行く右京に別れていくと言う対比がすごく良かったような気がしました。
尊が
「もう、僕はあそこにいる資格が無い。」と言った時に
「特命は居るのに資格がいるのか。」とラムネ様。
グッドなお答えだと思いました。
何でもいいから人事に掛けあってと尊は頼みましたが、その尊の想いは翌日には右京の耳に入っていました。
ラムネ様が一人で抱え込まず、一人で判断もせずに右京に伝えたのも良かったですね。
彼らは大切なチーム。納得にいかないことをするわけはないのです。
國村隼さんは準レギュラー化もありそうな予感。そうすると、尊もこの先スペシャル的には出てくる可能性もあるかもしれませんよね。‥‥・と期待します。
ところで、今回のお話の感想も少々書いておきたいと思います。このおはなし自体が、とっても切ないお話だったと思います。
確かに人が人を作り出すなんてことは、道義的には許されるものではないかもしれません。でも、茜の気持ちもとても分かるような気がしてしまうのです。自分の子供を失って、その子供が幼くて、まだ記憶という器が数年分しかなかったら、たとえ別の人格であると分かっていても、もう一度その子供を産んであげたいと思うのは、母であったらそう思ってしまう人は多いのではと思います。もちろん、普通は思いもよりません。悲しみにくれるだけです。だけどすぐ身近に、それを可能にしてくれる人が居たとしたら、早々道徳的では居られないと思ったりもするのです。
だけど、この物語には子供を失ってしまった母親が二人居ました。子供を失ったもう一人の母、嘉神郁子(真野響子)は残された娘とお腹の子供を守るために、殺されてしまった子供の人格をねじ曲げて供述するのです。
定職にも付かず宗教に凝って、暴言を吐き家族を苦しめていたと。
罪と罰。
その子供を作ったことは罪であっても、みんなが守ったその子は、結局は運命に裁かれてしまいました。子供に罪があったわけではないので、可哀想だと思いました。命は命。
だけどその命を守るために、違う命を奪ったことは決して許されることではなかったと思います。それでも何をしてでも、茜はその子供を産みたかったのだと思いました。
幸子が「一年は一緒に入られると思う。塀の中だけど・・」といった時、茜の口元に浮かんだ幸せそうな笑。
時に、母と言う名の女はモンスターにもなってしまうものなのかもしれません。
だけどそうまでして守りたかった子供を失ってこの後、彼女は塀の中で何を思って生きていくのだろうかと、切ない気持ちになってしまいました。
被害者の母であり加害者の母でもある郁子、そのアイラインが流れて、彼女の黒い涙が強く印象に残りました。
手を出してはいけない事への罰は、あまりにも大きかったと思いました。
それでも人は時には、それが罪であっても、出来ることならば可能にしてみたいと願うのでしょう。
取り戻すことの出来ない過去の償いをしたいという願望から。
尊がクローンに対して、一人違う不道徳的な発言をした時に、彼が会いたい人が誰であるのかは、みんなすぐに分かったことだと思います。やっぱりこのシーズン最初の「贖罪」は大いなる伏線でしたね。
という訳で、
チャララ~♪ チャララ~♪ チャンチャン♪ チャンチャン♪ ←バックミュージック
相棒Ten の私の感想も、終了です。
皆様本当にありがとうございました。