森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

精霊の守り人第四回/「決戦のとき」

2016-04-10 15:45:29 | テレビ・ラジオ

けっきょくどんなに自分を虚飾の鎧で包んでも、人は人以上にはなれずに、自分の無力さに怯えその無力さに打ちのめされるのだろう-。

「精霊の守り人」は別にそう言うことをテーマにした物語ではない。

だけれど藤原帝を目当てに歪んだ視点で見てみると、こういう感想になるのだ。

 

帝には帝の生まれながらの使命がある。

建国神話はしょせん神話に過ぎない。それなのにこの国はその神話に縛られている。その建国神話からして偽りに過ぎないのに、帝はその虚飾の伝説を守り次に伝えていかなくてはならないのだ。

後継の者が病に倒れて、どんなに水晶の玉を用いてキンキンの舞を踊り狂っても、0に0を掛けても0を足しても0に過ぎないのと同様に、何の力にもならない。

ただ無邪気でしかなかった皇太子が死んでしまうと、どんなに忌み嫌っていてもチャグムを呼び戻さなくてはならない。

それでもどうしてもそれを心のどこかで許せない帝は密かにジンにチャグムを「清める」と言う命を与えていた。

そして一方では、息子を失ってうちひがれ憔悴した容貌の帝にふと心を許すニノ妃にチャグムの代わりをそなたが生むのだと迫るのだった。

闇の世界に囚われてそこから抜け出せないままの帝。

 

精霊の卵産み終えて無事に戻って来たチャグムが、父の帝と対面し、

「父君のお力のおかげで助かりました。」と言う。

「魔物を倒せたのは父君がジンを遣わしてくださったからです。」とも言う。

最大の嫌味かー!?

いや、それは違う。

チャグムの言う通りなのだ。

チャグムを帝が忌み嫌わなかったら、彼は王宮に居て、そして誰も彼を守れずにラルンガに引き裂かれてしまっていたと思う。せいぜい過去の文献を調べに調べたシュガがその卵を空に向かって投げたと言う結末になるのが関の山である。

卵も卵を宿した者も助けるための、自分でも気が付かない負の使命を帝は持って生まれてきたのだ。

負の使命を持つ者の苦しみや悲しみを人は早々には気づき憐れむことは出来ない事なのだ。

 

夏至の祭りの時、帝と皇太子が再び人々の前に立つ。

その時誰もが待ち望んでいた雨が降る。

民の多くはそれが帝の神である証であり、その力にひれ伏し随喜する。

人々の喜ぶ姿に満足するチャグム。

 

チャグムが戻った時に帝の掛けた言葉は

「良く戻った。」と言う優しいものだった。そして何か憑き物が落ちたような優しい顔だった。だが音楽が怪しい。

また帝は雨に喜ぶ民をじっと見ていた。その顔からは何を考えているのか全く分からない。

人々が喜ぶその雨は帝にとってどんなものだったのか。

民たちと同じように歓喜の雨に感じたのだろうか、それとも胸に突き刺す冷たい雨だったのだろうかー。

 

やっぱりこの帝は藤原竜也で良かったと思う。美しき帝は良い所がまったくないのに、嫌いになれずに哀れにさえ思う。

だけれど、(申し訳ないが)例えば温水氏などがこの役をやったならば、そう思えたかは疑問である。

 

(↓ まだ、続くよ。)

精霊の守り人 (新潮文庫)
上橋 菜穂子
新潮社

このドラマ、原作を知っている人からは、かなり厳しい評価を得ているみたいです。だからやっぱり原作はドラマを見てから読もうかなと思っていました。

原作知らずの私には、かなりの満足度が高い作品になりました。

なんたって「新ヨゴ国」と説明が入り、バーンと遠くに描かれるその王宮が映し出された段階で、相当の満足。映像が凄いじゃないですか。

そしてバルサのアクションに満足。

俳優がみんな良いのに、なんかつまらないと言う感想も読みました。それって、相当期待値が高いんだと思いました。(私はもともとドラマに対しての期待値が低い人なのかも。)

私的には、今までこんなドラマをドラマで見た事がなかったので、きっと未来にはこの作品が踏み台となってさらに良いものが出来ていくと思うと、またワクワクするんですよ~。

 

最終回のラルンガとの戦いも迫力がありました。

最後にチャグムに弟子にしてくださいと頼まれたバルサは、この先も二人で旅をつづける事を夢見たに違いありません。ふと今までのチャグムの旅を思い出します。たった四回しかなかったのに、二人の旅の想い出のシーンはたくさんありましたね。

そしてバルサは知るのです。

ジグロが臨終の床で言った、バルサとの旅は楽しくて幸せだったと言った事は真実であったと。

そして最初はただキィキィとうるさく泣きわめくだけだったチャグムも本当に成長しました。

 

その別れのシーンは、切なかったです。

ただチャグムがトロガイに抱き着いた時は、その目が泳いでいて笑えました。高島礼子さんは凄いです。だけどどうしてこの役が彼女に行ったのか、未だに謎。この先の物語の中でトロガイの過去シーンとかが出てくるのでしょうか。変な所が楽しみになって来てる私です。

 

だけどこの先と言ってもですね、来年の1月なんですものね。

先が長いよ~。

 

あっ、そうそう。

「誰がなんと言おうが、この国を助けたのはバルサ、お前だ。」

うんうん、と頷く私。雨降る空を見上げながらひとり呟くダンダ。シーズン1の最終回らしい良いシーンでしたね。

「花燃ゆ」で東出君の事をちょっとだけ嫌いになっていました。

でもこのダンダは彼に凄くあっていて、「嫌い」の文字をゴシゴシと消しました。

 

第二シーズンでは帝もだけれどダンダも出ないのかも?

そんなところも気になる所ですね。

 

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はなもも

2016-04-09 13:58:16 | お散歩&写真日記

この花を、結婚してこの千葉の東葛地区にやって来るまで、私は知りませんでした。

なんて可愛い綺麗な花なんだろうかと一目見て虜になってしまいました。

 

白・赤・ピンクと花をつける花はいかにも欲張りな私好みなのかも知れません。

そしてワタクシの彼岸の岸辺にはこの花が咲き乱れて欲しいと思っているのです。

 

 

近所の小さな公園には桜ではなくこの花が咲いているのです。

 

この花桃の木は、この地域ではよほど愛されているみたいで、あちらこちらのお庭に咲いています。中にはほれぼれするような大木も。

人様のお庭の木なので、なかなかレンズを向けるなどは出来ない事ですが、この季節は街中を歩く楽しみが桜以外の花でもあるのです。

 

やはり春は花たちのお祭りですね。

 

 

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水曜日に生まれた子供たち

2016-04-08 11:45:15 | 家族スナップ

4月6日は「コンビーフの日」だったらしいのですが、私にはそんな事は、まあ、どうでも良かったわけです。

なぜならこの日はルート君の誕生日。

朝、

「いくつになったの?」と聞く私。

もう子供の年を聞かなくちゃ、良く分からない・・・・と言うか、普段は忘れていたいのです。

だっていつの間にか大きくなってしまって、嬉しい事なのかも知れないけれどなんか寂しいのですよ、それが。

 

ところで子供の誕生の記憶と言うのは、言うなれば私が母になった日の記憶です。

ルート君が生まれた時、私やラッタ君はねー。

 

今年の4月6日は水曜日でした。

そして20数年前のルート君が生まれた4月6日も水曜日だったのですよ。

今では親なんか「オヤオヤ」と言う雰囲気のラッタ青年の3歳の頃は、私にべったりでママ大好きっ子だったのです。それが入院中には一人で横浜の父と母の家に預けなくてはならないわけで、私もとっても不安だったのです。

病院に行く途中で、手を繋いでるラッタ君に言いました。

「今日の夜は『ドラゴンボール』があるから、おばあちゃんたちと一緒に見るといいよ。」って。

そして母にも一緒に見てあげてねと頼みました。

夫はそのアニメが放送される時間には帰宅していませんでしたので、いつも二人で欠かさずにそれを見ていたのです。私もまだまだ若くて、今の子供たちと大差ない精神状態でしたので、子供の為にと言うよりも自分も好きで見ていたんじゃないかと思います。

その『ドラゴンボール』の放送日が水曜日だったので、私はルート君が生まれた曜日を忘れる事が出来ないのです。

そしてついでながらラッタ君は何曜日に生まれたのかと言うと、これもまた水曜日だったのです。

 

ふたりの子供は帝王切開で生まれました。私は生まれる時代を違えたら、最初の子供の時に子と母と二人揃って死んでしまったと思います。今の時代だからこそ、私は母になれたのです。

10月に生まれたラッタ君は、手術日の予約をしました。いつがいいかと聞かれてもさっぱり分かりません。カレンダーを見ると「大安」の文字が。その日を言うと、その日だけは予約がいっぱいだと言うのです。それで早朝手術と言う事を知っていたので、「先勝」の日を選んだのではなかったかしら。

それでその日も水曜日だったのです。

まあ、これも「だから何?」と言うお話だったかもしれませんね。

 

だけどふと気になって、自分は何曜日に生まれたのだろうかと思いました。

今って、こんな風に母(私)の記憶に頼らなくても、チャチャってpcで1分で調べられるんですものね。

ああ、それはそれで便利だけれど、なんかなって感じ。

因みに私は金曜日生まれで、夫は火曜日に生まれたのでした。家族そろって水曜日生まれだったらネタとして面白かったのですが^^

 

ところで私が出産した病院では、帝切は全身麻酔で行います。これを楽と思っちゃいけませんよ。後からが本当に大変なんですよ。でも自然分娩とどちらが大変なのかは争う気もないので、スルーしてくださいね。(時々、不思議な事にリアル知人の中にはムキになる人がいるんだよね。大変さの勝負なんて意味ないよね^^)

麻酔から覚める時、熱い(暑いじゃなくて)寒い痛いが同時に来て、最初の時には自分がどこにいるのか分からなくてパニクリました。

でも二人目の時にはさすがに慣れていたのか、目が覚める時に夢を見ました。

熱風が体を包み凄く不愉快な感じなのに、それでも風は髪を後ろになびかせて、自分が砂漠に近い村にいるのが分かりました。

でも村にいると言っても、その村の上を飛んでいるのです。

「すごーい !!」

私は叫びました。

「やったー !!」

私は斗雲(きんとうん)に乗っていたのです。

夢であっても嬉しかったですよ。

 

一方、お留守番のラッタ君の生活は、母曰く。

「おじいちゃんが使おうと思って、モスボックスを組み立てておいたのだけれど、一日中それをひきづって家中を歩き廻ってたよ。ふと見るとモスボックスの端っこが擦り切れていたの。さっさっとそこを見えないように向きを変えて知らんぷりをして置いといたわ。」

 

私は可笑しくてなりません。

ラッタ君、ドラクエごっこ。

ひとりで冒険の旅に出ていたのでした。

棺を引きずりながら。

 

 

 

 

 

 

 

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ふたりでお花見を。

2016-04-06 10:29:00 | 家族スナップ

4月1日は一番下の妹が、猫のあんずに会いに我が家にやって来ました。どうせなので私が駅まで迎えに行き、公園の中を通ってついでにお花見をしようと言う事になりました。

呑気な私は、朝になってバスの時間を調べました。

時刻表を見て愕然!!

1時間の中に1本もバスがないのです。

嘘でしょう・・・・・

でも無い。

きっとその時間帯は需要がないんですよね(ノД`)・゜・。

― なんか、田舎だな。うちんとこ。

 

最近、ずっと自転車に乗っていません。考えてみると数か月ぐらい・・・

いきなり30分近く乗るのが、なんとなく怖いので駅まで歩いて行く事にしました。

だけど実は歩くのも久しぶりだったんです。

30分ぐらい歩いたら疲れて来て、ちょうど妹が駅に着いた時間だったので、電話を掛けてこっちに向かって来てと言いました。

ところが私の言い方が不親切だったみたいで…と言うのもあるけれど、妹はけっこう方向音痴でどうしてそっちに行くんだと言う方向を選択してしまう傾向が・・・・ってそれ、私と似てる。姉妹の証?
ああ、ろくでもない証です。

けっきょく妹に余分に歩かせて、私もやっぱり歩く歩数はたいして減らず、会うだけでふうふうと言ってしまいましたが、会えたのでめでたしめでたし。

 

 

なんだか歩いて疲れたので、花より団子と言うわけで、この公園の茶室で栗入りぜんざいを頂きました。あまり甘くなくて上品な美味しさで、母の作るお汁粉を思い出してしまいました。

 

 

そう言えばあれはいつの事だったのでしょうか。昨日からその記事を探しているのですが見つかりません。日常日記は、自分のブログ内でも埋もれちゃうことがあるので探すのが大変です。もしかしたら書かなかったのかしら・・・・

 

ずっと前にも、母と姉妹がやはり我が家にこの季節にやって来た事がありました。同じコースです。

でもあの時は小雨で風も強かったのです。

大きな池の傍で、姉が髪を押さえていました。

そのうち、持っていたスカーフを三角に折って頭に巻きました。

そんなに髪に気を遣う人だっけと思ったら

「強風でカツラが池に落ちたら困るもの。これ、高いしね。」と言いました。

そうでした !

あまりにもそのカツラが良く似合っていたので、いつも私は忘れてしまっていたのです。

あの頃は姉はまだ乳がん治療の後遺症で、まだ髪の毛が生え揃ってなかったのでした。

スカーフを、今時そのように頭に着けると言うのを見たことがありませんが、ちょっと可愛いなと私は思いました。

そして思わず

ポーレチカポーレ、それは愛の言葉~♪

と、ロシア民謡を口ずさんでしまう私。そのスカーフファッションは、昔のロシアの女性を連想させたからです。

小雨の中、周りには誰もいません。私たち家族だけ。私たちはみんなで小声でその歌を歌ってしまいました。

スカーフをみんなが持っていたら、同じようにして写真を撮りたかったです。

写真を撮る時、そのスカーフを取ろうかと、きっと姉は言ったのではないかと思います。でも「今」と言う時代の想い出にそのまま撮りました。

みんないろいろな時代を乗り越えて生きているのですね。

 

この文を読んで、私たちがカツラを被っている姉を茶化していると言う風に捉える方がいらしたら、それはまったく真逆ですと、敢えて書いておきますね。

 

誰もいない貸し切りのような公園で、大きな桜の下で写真を撮っている二人の妹を見て、なんて可愛いのかなと私は思いました。そしてみんなでそのロシア民謡を歌いながら大きな池の周りを歩いたことは、なんとなく心が温かくなる私の家族の想い出です。

 

桜には、そんな風に見た人との思い出を重ねる事が出来る力があるのではないかと思います。

 

 

1日の花は、まだちょっとな感じでしたが、暖かな一日でしたので、平日ながらお花見の人たちが結構いました。

二人で歩く夫婦とすれ違うと、なんだか羨ましい気持ちになりました。

またいつか 夫と二人で公園を歩くなんて事は来るかしら・・・

 

 

またいつか、二人でお花見が出来たら良いね。

 

 

 その公園を抜けて、妹と一緒に回転寿司でランチをしました。

おやつは我が家で。

 

 

妹は猫たちと戯れて帰っていきました。

お花も綺麗で16000歩も歩いた一日でしたが、かなり「ダイエットは明日から」の一日でもあったと思います。

 

 

 

 

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2016年の4月1日は金曜日。

2016-04-05 00:58:34 | 梢は歌う(日記)
 
今年の4月1日は水曜日。
 4月1日、火曜日 4月1日、月曜日。今朝実家にて「今日は4月1日だ。」と私が言うと、父はそれには返事もしないで「みんなに1千万ほど配りたいと思...
 

 

上の囲みは昨年の4月4日に投稿したものです。上に見える文章がオカシイのは、この囲みの記事を開くと、またその前の年の記事が囲みとして載っていて、そこを開くとさらにと、2013年からこの4月1日の記事はツリーになっているのです。

そして私がそれらの記事を読み進めていると、最後は泣くと言う決まりになっているみたいです。

 

2013年には父は生きていて、その最後の日々の想い出が本当に昨日の事のように思い出されてくるのです。

だけれどあの実家帰りの往復の時、食事を作って私を支えてくれたラッタ青年は家を出て、今は横浜の住人です。

3人と猫二匹の家で、私は3年分歳を取り、あまり元気とは言えないけれど、それでも精一杯に生きているのですよ・・・・って、誰に言っているのかって言うと、やっぱり父に言ってるのかもしれません。

「ねえ、パパ。うちのパパ(夫)が、もう大変なんだから。本当に疲れちゃって~。」って、川向うに逝ってしまった父に愚痴ってみたいものですよ。

 

父は遠くに行ってしまったなんて、未だにちっとも思えない私。未だにではなく、逆に3年経った今だからそう思えないのかも知れません。私たちの時計はどんどん進んでいる。だけど父の時計も止まってはいないで、私たちの人生の船に乗っているような気がするのです。

 

私たちの目を通して同じ桜を今年も見ようね、パパ。

 

1日の日はエイプリルフールだと言うのに、これと言った面白い嘘も思い浮かばず、今年は私的にはそのイベントは無し。

アメーバーのピグで今年も遊ばせてもらって、夜はヘラヘラしてました。

その事を今年もブログに書いたので、読みたい人はどうぞ←この書き方でいいのか!?
いやいや、ピグをやっていない人から見たら、なんじゃこれはって言うものですよ、本当に。

「今日はエイプリルフール」

 でもね、本当に面白いんですよ。こういうのを見ていると、人間って本当は大人も子供も変わりがなくて、歳を取っていく振りをしてるだけなんじゃないかなって思えてくるんです。

「ああ、あたしゃ、もう歳で。」って言うのが最大の嘘なのかも。

いや、最大の願望かー!

 

 

1日の日は妹が猫のあんずを見に、わが街にやって来たのでした。

その時のお話は、また他の桜の画像と共におしゃべりさせてくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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精霊の守り人/第三回「冬ごもりの誓い」

2016-04-03 16:10:56 | テレビ・ラジオ

<藤原帝目当てで見始めたので、視点がずれた感想を書かせていただきます。>

 

帝がどんどん壊れていきます。

見た目でも目の下の隈が、彼が病んでいる事を物語ってしまうのでした。きっと何日もまともに寝ていないに違いありません。

帝は神経質で穢れを嫌い恐ろしい人です。だけれど宮廷に、彼の本当の味方などいるようには思われず、チャグムの母の二ノ妃すら息子の為には蛇にも魔女にもなりそうな怪しげな雰囲気を醸し出し、彼女が利用している聖導師は、妃の心をくんで皇太子を病に陥れた模様・・・・・・

皇太子の病が手を尽くしたが無理で、医者は一の妃と共に帝にすがるしかないのだと言うのでした。

つまりちょいちょいと治してやってくれと言うのです。なぜなら彼は神と信じられているからです。

でも彼にはそのような力もなく精神的に追い込まれてしまっているのでしょうか。

 

力なきものが、その力に頼られる苦痛。

本当にそれは物凄いものがあると思います。

でも彼は彼の祖先がそうであったように、気弱でちっぽけなただの人間だったと思います。なぜなら、身近で精霊の卵を宿し、不思議さ全開になった者は我が子なんですよ。それを上手く利用する事も出来たはずです。それなのに、排除すると言う選択を取ってしまい周りの者の忠告にも耳を傾けることは出来ません。

 

この国の開国の真実はきっと聖導師は知っているのですね。

なんか物凄い癖モノなんじゃないかと疑っています。

 

かつて遠い昔、聖導師に帝が操られたように、彼もまた何かで操られようとしているんじゃないかなどと思ってしまいます。

チャグムに宿ったものが水の精霊の卵なのでか分かりませんが、水を穢れたモノと忌み嫌い、喉の渇きを癒すために真っ赤な果実を食す帝。

ただ静かに食べているだけなのに、何かの心臓を食べているかのように不気味です。

たっちゃん、良いお仕事をしています^^

 

自分の力はインチキ。そうは言っても正統な後継者であったならば、いくらでもその伝統的政治を儀式絡みにして守っていくことは出来るはず。

それでも身近に本当の力のようなものを宿った者を、息子でありながら粛清しようとする帝。皇太子が病気になると、息子の心配の本心は後継がいなくなること。彼には息子たちへの愛は微塵もないのです。それは彼が同じように愛されて育ってこなかったゆえに愛を知らないのだと、容易に推理できるような気さえしてしまいます。

 

三年後には帝もチャグムもハッピーエンドだと良いのになと、ちょっと難しい願望を抱いているのですがどうでしょうか。

 

それでは視点を戻しまして、普通の感想を少々書いておこうと思います。

さりげなくバルサとジグロの旅の物語は、ジグロの死をもって終わってしまいました。二人の旅の途中でジグロは8人の仲間を殺しました。バルサは彼に

「私は8人を助けるから。」と誓いを立て、彼の贖罪の気持ちを癒そうとします。

ジグロはそんなバルサに

「助ける事は殺すことよりも難しい。」と告げるのです。ジグロにとってバルサとの生活は、とっても張りの有る幸せなものだったのでした。

誰かたった一人でも愛されて守られると言う事は、とっても暖かい素晴らしい事なんですね。

 

チャグムはバルサとジグロの話を聞いて、まだ自分は何と戦っているのか分からないが、強くなりたいとバルサの指導を求めるのでした。

そして精霊の卵を宿した事をもう恐れないと誓うのです。

なぜならその卵を宿したおかげでバルサとダンダと会えたからです。

 

いつかチャグムが王宮に帰ったら、城の外で学んだことが多くて良きトップになるのではないかと思いました。

精霊の卵を狙うラルンガの姿が現れました。

精霊の卵に導かれるように青池に向かう一行。

そこでラルンガから逃れたチャグムは、卵に支配されたかのように体が青く光ると、どこかに消えてしまいます。

 

また来週、とっても楽しみです。

でも一部のラストで、しばらくはオヤスミ。さみし~。

 

精霊の守り人 (新潮文庫)
上橋 菜穂子
新潮社

 

レビューではみんな褒めていますね。凄く気になる一冊になりました。

 


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#あさが来た 、終わりましたね。

2016-04-03 10:13:17 | テレビ・ラジオ

毎日の暮らしの中の出来事は、「唐突に起きる」と言うものもあるかもしれませんが、たいがいはああなってこうなってと、いろいろと繋がっているものだと思います。

この「あさが来た」は、そのああなってこうなってだからこうなって行ったと言うような繋がりがちゃんとしていたように感じたドラマでした。

一番最初のシーン。

木に登って落ちたと言うのは、ただこのあさと言う少女がお転婆でとんでもない少女だと言う印象を与えるためのモノだけではなく、後に凄く大事な伏線であったことが明かされるのでした。

あさがヒロインの物語ですが、その姉はつとのダブルヒロインでしたよね。

この二人の許嫁は実は逆であり、この木登りの件が原因で山王寺屋からの苦情で許嫁が変わってしまった二人。

 

運命が変わってしまったと言っても良いかもしれません。

いいえ、そうなることが運命だったとしか思えなかった二組の夫婦。

あさと新次郎。はつと惣兵衛さん。

本当にこの二組の夫婦は良かったですよね。

あささんにもいろいろな事があったのですが、はつさんの波乱万丈っぷりには、こっちがメインヒロインでも良かったんじゃないかと思えるような凄まじさでしたね。

 

姑の菊さんは、本当にキツイ姑だったと思います。でもこの人の最後のシーンの

「あの山が山王寺屋なんですなあ。」には泣かされました。

家を守らなくてはいけない。この時代の女たちにも課せられた使命をこの人なりに果たそうとしていて、そして時代の波に乗り切れずに潰してしまった事に対して苦しみ続けた人生だったのかも知れません。

でも自分たちがいて頑張っているところにお家の歴史が続いているのだと気が付いて、そして去って行く事が出来て、本当に良かったと思いました。

新次郎の49日から帰って来たはつ。

寂しいなあと私は思いました。

姑も舅も、最愛の夫も長男もいない家。にぎやかだったのになあ。

でも「おかえり~」と次男夫婦が大きく手を振って迎えます。そして嫁に二人目の子供が生まれる事を知らせるのでした。

「山王寺屋はまだまだこれから。」と微笑むはつ。

白蛇さんと言う無表情な印象だった夫に嫁いだお嬢様の一代記。

はつと惣兵衛さんの物語も本当に好きでした。

 

お菊さんの事を書いたので、あさの姑よのさんの事を言いますと、彼女はこの時代の良き姑の見本のような素晴らしい人でしたね。でしゃばらず夫には可愛らしく、突拍子もない嫁に驚かされても決して意地悪などをしなかったし、姑だからと威張りもしなかったですよね。働く嫁を支えて孫の面倒をみて、時には迷う嫁の背中を押していました。

よのさんもしっかりと家を守っていましたね。

 

そして二人の舅さんたちも良かったです。婿養子だったゆえに少々控えめだった栄達さんは、それでもはつの味方で見ていてホッとする暖かみがありました。近藤正臣さんの正蔵さんは、安心して見ていられる芸達者。病気の床で、新次郎の三味線に耳を澄ますシーンは良かったです。

このシーンの対になっていたのか、病床で三味線を弾く新次郎。その音に家族全員が耳を澄ますと言うシーンは良かったですよね。

 

脇の方々の愛の物語にも泣いたり笑ったりしました。

雁助とうめの物語。

思ったよりしつこかった・・・・・・すまぬ。

雁助が去った後のあさとの相撲のシーンはテレビ前で本当に泣きました。

でもその後のしつこさがあったから、晩年までの茶飲み友達ならぬ生存確認的ペンフレンドになれたから良かったかなと・・・・・・まっ、いいか。

亀助とふゆの物語はコメディ。これはスピンオフで4月23日に「割れ鍋に綴じ蓋」をやりますね。

 

このドラマで人気急上昇になった五代様のディーン・フジオカさんの事は、きっと別の方がたくさん書いてくれるんじゃないかと思うので、私はスルーでいいかなと・・・・ ^^

でもこの人が出てくると、維新前維新後の時代の活気のようなものを感じて、やっぱりこの人は良かったですよね。

と、このようにひとりひとりの事を言っていたら、いつこのダラダラした感想は終わるのかって感じですね。

 

実は私の中では「カーネーション」のようには萌えなかったし「あまちゃん」のように盛り上がることは出来なかったんです。あまり深い感想もなくて朝ドラクラスタではいつの間にかなくなってしまったし、BSと地上波で二回見ると言う習慣もなくなってしまったんです。

別にどこも悪くないですよ。突っ込みたくなることもそんなにないし。でもちょっとつまらなく感じる時もあった。ただそれだけです。

そう言えば「八重の桜」でも、新島襄が寄付金集めや布教に勤めている時や、大学のあれやこれやに奮闘してる時は、なんだかつまらなかったのです。

 

新しい時代を築くドラマの中で、私的には奮戦記が寄付集めになってしまう大学開校物語には萌えないのかも知れません。

あの時代の先人たちの地道な努力があったから、いろいろな道が拓けたと言うのに

あさ的に言ったら

「なんてことを~。」と言う所かも知れませんね。

 

最終回でもきっと作者が言いたかった事をあさの言葉を借りて勉強会で語られました。

良い事を言っていたのだけれど、まったく頭に入ってこなかったんです。

ドラマでは「語る」と言う手法を使って語るのは難しい事なのかも知れませんね。

朝見ているので、まだなんとなくボーっとしているもので、会話でや物語で見せてくれると嬉しかったような気がします。

 

あさはいろいろ頑張ったけれど、やっぱりこの物語はあさと新次郎の夫婦愛の物語だったんですよね。だから最終回までちゃんと新次郎は出てきたんですよね。

婚礼の日に雨が降り、嬉しい時には雨が降ると言った新次郎。

その葬儀の時に一人「寂しい」と庭でなくあさの頭上に優しい雨が降り始めました。

このシーン、本当に泣けました。

 

最終回で新次郎に向かって走り出すあさ。あのシーンは暗にあさのこの世からの退場を暗示していたのかと思いましたが、あさは新次郎が亡くなってから15年後に亡くなるらしいです。ドラマでは6年後とかもしくはそれから1年ぐらい経っても7年後なのであれはイメージなんですよね。

ここまで一緒に歩いてきたぞと言うー。

このドラマの中ではたくさんの人が亡くなっていきました。一代記と言うのはそう言うものなのだと強く思いました。

生きる道は出会いと別れの連続なのですね。別れの悲しみは常の事。だからこそ出会いを大切にしたいと思いました。

 

このドラマをいつもは会社出勤に間に合わずに見ていなかった夫が、毎日病院で楽しみに見ていました。ワタクシ、思わず「まれ」じゃなくて良かったと思ってしまったのは本音です。

それからAKB48の「365日の紙飛行機」が本当に良かったですよね。あの歌、を聞いて元気な朝が始まりました。そして元気なあさの物語が始まって、元気をもらった毎日だったと思います。

 

最後に玉木さんも波留さんも老いた演技が上手いなって思いました。でも新次郎さんは享年63歳(?)、あささんは69歳・・・・・・・えーえーえー?

昔の人は老けていたよねって解釈でいいのかしら。

私的には、あの老け方の方がびっくりぽん !

(いや、あれがその年代の真実なの?buruburu)

と、話が余計な所に落ちて以上終了です ^^ 

 

 

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