1960年代は、アフリカが植民地支配から次々と独立し、「アフリカの時代」といわれた。南アフリカ共和国の新政府誕生を最後に、アフリカ大陸はすべてアフリカ人のものとなっている。豊かな資源を手に、希望に満ちた前途に踏み出したはずであった。しかし、半世紀たっても、多くの国で人々は貧困にあえぎ、国民同士の殺し合いまで起きている。アフリカの国の多くは農業輸出国であった。しかし腐敗した指導者たちは農業など関心を払わなくなり、その結果、アフリカは農業輸出国から、輸入国に落ち込んでしまった。所得の損失は年間700億ドルになり、それは、年間200~300億ドルの先進国からのODAなどではとうてい埋め合わせのつかない額である。
今、アフリカの多くの国が、政府の過ちのために国づくりを失敗し、停滞の袋小路に入っているのである。アフリカ人が悪いのではなく、アフリカの政府が悪いのである。サハラ以南アフリカ48カ国で、政府が順調に国づくりを進めているのはボツワナぐらいである。ガーナ、ウガンダ、マラウィなど10カ国程度は、政府に国づくりの意欲はあるのだが、運営手腕が未熟であり、進度が遅いが、まだましと言える。アフリカで最も一般的なのは、ケニア、南アなどの多くの国で、政府幹部が利権を追い求め、国づくりが遅れている。最悪なのは、ジンバブエ、アンゴラ、スーダン、ナイジェリア、赤道ギニアなど、指導者が利権にしか関心を持たず、国づくりなど初めから考えていない国もあるのである。
なぜ、国づくりが放置されるのか。理由の一つは、国家への帰属意識が薄い多部族国家である点がある。帝国主義の時代には、武力で勝る先進国が、国家形成の遅れた社会を侵略し、自国の領地として植民地支配した。ねらいは植民地の資源の持ち出しと、植民地の市場化であった。そのなごりとして出来た国境線は、地理や自然、住民の構成に関係なく、宗主国同士の力関係で引かれた。そのため数多くの多部族国家を作り出した。「植民地政府と闘う」という共通の大きな使命感がある間は、部族対立はその下に隠れ表に表れることはなかった。しかし、使命が達成されてしまうと、部族の利害がもろに表面化してきたのである。
多くの場合、国の選挙は出身部族の人口比で決まってしまう。その結果、国益より部族益が優先され、指導者は、自分の部族に属するもの、地縁・血縁者に国家利益を分配し、それによって自分の地位の安定を図っている。その結果、国づくりが放置される。
さらに悪いことに、指導者が私物化した巨額の公金は海外の銀行に貯蓄され、国内の市場に出回らない。貯財した金が社会資本として回転しないため、経済の進展もない。
もうひとつの理由は、アフリカの独立政府指導者に強い危機感がなかった。国家形成を急がねば、武力侵攻を受けて社会が滅ぼされるかもしれないという、外部からの攻撃に対する危機感がない。そのため、指導者は、形骸化した国家の中で安住し、国民国家形成に真剣に取り組もうとしなかったのである。
このような腐敗した体制は、なかなか変わるものではない。指導者は、巧妙に「敵」を作り出すことで自分への不満をすりかえる手法をもちいる。目の前の責任を回避し、権力の延命を図る。ルワンダの大虐殺もジンバブエの経済崩壊も、まさにそうして起きた。
現代では、武力に勝るからといって、国家形成が遅れている国にあからさまな侵略はできないが、合法的に、武力を用いず「資源持ち出し・市場化」をする「新植民地主義(ネオコロニアリズム)」が蔓延り始め、経済発展を阻害している。
さらに、部族差別があり、コネ万能で、努力が報われないという社会において、国づくりの中核となるべき中産階級や、教育を受けた医師や法律家などの専門職が国外に流出していく。若者が母国に絶望するような状態がある限り、アフリカから海外へのそうした「押し出し圧」が弱まることはない。
負のスパイラルからどうすれば、アフリカは抜け出せるのであろうか。今の日本のアフリカ政策には、長期的なビジョンがなく、役所ごとにばらばらで連携がとれていない。無償の物資をぽんと与えるだけ、相手国の指導者を喜ばすだけの援助では、すべてのアフリカ人は、幸せにはならないであろう。
私が思うに、すべての子ども達が教育を受けられること、健全なジャーナリズムが育つこと、そして、自分達のものであるというオーナーシップを大切にした、人々の自立を支援する援助、この三つが、大切だと考える。
例えば、意欲あるアフリカの若者に渡航費の資金を融資し、日本の遊耕地で農業を営んでもらう。その生産物で資金返済と自国の家族への仕送りをする。もちろん、日本の農業技術を習得した段階で彼等には母国で農業を営んでいただくのである。このような、日本とアフリカの両者にためになる援助はできないだろうか。「国の独立」から「人々の自立」へ、アフリカの新しいダイナミズムの流れを日本からも生み出したい。
参考文献:
『アフリカ・レポートー壊れる国、生きる人々』 松本仁一著 岩波新書
今、アフリカの多くの国が、政府の過ちのために国づくりを失敗し、停滞の袋小路に入っているのである。アフリカ人が悪いのではなく、アフリカの政府が悪いのである。サハラ以南アフリカ48カ国で、政府が順調に国づくりを進めているのはボツワナぐらいである。ガーナ、ウガンダ、マラウィなど10カ国程度は、政府に国づくりの意欲はあるのだが、運営手腕が未熟であり、進度が遅いが、まだましと言える。アフリカで最も一般的なのは、ケニア、南アなどの多くの国で、政府幹部が利権を追い求め、国づくりが遅れている。最悪なのは、ジンバブエ、アンゴラ、スーダン、ナイジェリア、赤道ギニアなど、指導者が利権にしか関心を持たず、国づくりなど初めから考えていない国もあるのである。
なぜ、国づくりが放置されるのか。理由の一つは、国家への帰属意識が薄い多部族国家である点がある。帝国主義の時代には、武力で勝る先進国が、国家形成の遅れた社会を侵略し、自国の領地として植民地支配した。ねらいは植民地の資源の持ち出しと、植民地の市場化であった。そのなごりとして出来た国境線は、地理や自然、住民の構成に関係なく、宗主国同士の力関係で引かれた。そのため数多くの多部族国家を作り出した。「植民地政府と闘う」という共通の大きな使命感がある間は、部族対立はその下に隠れ表に表れることはなかった。しかし、使命が達成されてしまうと、部族の利害がもろに表面化してきたのである。
多くの場合、国の選挙は出身部族の人口比で決まってしまう。その結果、国益より部族益が優先され、指導者は、自分の部族に属するもの、地縁・血縁者に国家利益を分配し、それによって自分の地位の安定を図っている。その結果、国づくりが放置される。
さらに悪いことに、指導者が私物化した巨額の公金は海外の銀行に貯蓄され、国内の市場に出回らない。貯財した金が社会資本として回転しないため、経済の進展もない。
もうひとつの理由は、アフリカの独立政府指導者に強い危機感がなかった。国家形成を急がねば、武力侵攻を受けて社会が滅ぼされるかもしれないという、外部からの攻撃に対する危機感がない。そのため、指導者は、形骸化した国家の中で安住し、国民国家形成に真剣に取り組もうとしなかったのである。
このような腐敗した体制は、なかなか変わるものではない。指導者は、巧妙に「敵」を作り出すことで自分への不満をすりかえる手法をもちいる。目の前の責任を回避し、権力の延命を図る。ルワンダの大虐殺もジンバブエの経済崩壊も、まさにそうして起きた。
現代では、武力に勝るからといって、国家形成が遅れている国にあからさまな侵略はできないが、合法的に、武力を用いず「資源持ち出し・市場化」をする「新植民地主義(ネオコロニアリズム)」が蔓延り始め、経済発展を阻害している。
さらに、部族差別があり、コネ万能で、努力が報われないという社会において、国づくりの中核となるべき中産階級や、教育を受けた医師や法律家などの専門職が国外に流出していく。若者が母国に絶望するような状態がある限り、アフリカから海外へのそうした「押し出し圧」が弱まることはない。
負のスパイラルからどうすれば、アフリカは抜け出せるのであろうか。今の日本のアフリカ政策には、長期的なビジョンがなく、役所ごとにばらばらで連携がとれていない。無償の物資をぽんと与えるだけ、相手国の指導者を喜ばすだけの援助では、すべてのアフリカ人は、幸せにはならないであろう。
私が思うに、すべての子ども達が教育を受けられること、健全なジャーナリズムが育つこと、そして、自分達のものであるというオーナーシップを大切にした、人々の自立を支援する援助、この三つが、大切だと考える。
例えば、意欲あるアフリカの若者に渡航費の資金を融資し、日本の遊耕地で農業を営んでもらう。その生産物で資金返済と自国の家族への仕送りをする。もちろん、日本の農業技術を習得した段階で彼等には母国で農業を営んでいただくのである。このような、日本とアフリカの両者にためになる援助はできないだろうか。「国の独立」から「人々の自立」へ、アフリカの新しいダイナミズムの流れを日本からも生み出したい。
参考文献:
『アフリカ・レポートー壊れる国、生きる人々』 松本仁一著 岩波新書