私の命題のひとつは、「まちが健康でなければ、そこで暮らすひとは健康にならない」ということである。
まちづくり自体は専門ではないため、専門の先生のお話をお伺いしながら少しでもまちづくりをわかるようになりたいと思っている次第。
6/28 建築家水島信氏の『日本とドイツの都市は何故違うのか-日本の都市政策における空白部分』のご講義を
聴く機会をえることができた。
講義では、ヨーロッパのまちづくりの良い点を写真を示しながら解説くださった。
水島氏に引きつけられた。たいへん感銘を受けた。
今回は、日本とドイツの都市は何が違うのか、何故ちがうのかを学んだ。
秋には、では、何をすべきかの講義がある。いまから、楽しみである。
まちづくりに関心のある皆様、次回は、いっしょに行きませんか?
以下、講義を受けて、考えたこと。
*「何がちがう」→「なぜ、違う」→「何をすべきか」
*パリの公園をいかに増やすかという考え方、公園は市民生活に結びつく大切なもの
*ヨーロッパでは、やるなら、お金をかけてまちづくりを行う。その分、できたまちづくりの住み良さで、市民に還元している
*ヨーロッパでは、伝統を受け継ぐ、慣習ではなく。
*まちづくりは、住民が住みよくなることと商店街が繁盛することを目指すべきとしてつくられている
*美しくあることは、十分条件。住みよくなることが、街が美しくなることにつながる。
*よい建物は、まちを浄化する
*街区は、そうなる理由があって、そういう形になっている。歴史のつみかさね。例、清水、シエナ
*日本は、つくりやすさ優先でつくられている。
*日本は、住民側を向かず、企業側の利益を優先する方を向く
*壁面をそろえることが、効率はあがるであろうが、美しいことではない。
*日本は、自分が自由が最優先、ヨーロッパは義務からはじまる。自分だけ主張したら街が死ぬ。
*都市計画法は、独と同じ。
*建築家が、都市計画を描くことと、「土木ー行政ー政治」のライン。
どうにもならない。
でも、誰かが、歴史を変えようと始めなければ、。
やろうと思った人が、やる。
手をつないで、マジョリティになっていく。
いつか、動く。
日本を元通りにもどす。
*日本の復興も、建築家ー行政がまずは描き、住民の意見を聞き、修正を描けていく中で作り上げる。
****以下は、講義のレジュメ*****
日本とドイツの都市は何故違うのか-日本の都市政策における空白部分
:水島 信氏(バイエルン州建築家協会 Architekt)
「日本が何故ドイツと違うのか」という問には、先ず、日本とドイツの都市及び街並みの「何が違うのか」を知らなければならない。それで、「何故違うのか」の原因を探ることが出来る。そして、出来れば、「何をすべきか」というその違いを解消するための提案をするべきであるだろう。
「何が違うか」という日本の街の都市計画的弊害はその目的意識を持って歩けばすぐに目に留まる。
ガスタンクの周辺、高圧送電線の下に住宅が並んでいること。
落ち着いた伝統的な街並みに突如として“近代建築”が割り込んでいること。
傾斜地の緑を削り取るマンションや、低層な住宅地に高層のマンションが建設されていること。
歴史的な街並み、自然緑地帯、そして住宅地を分断して貫通する幹線道路。
この様に、自分だけ良ければ良いと思わせるような(ドイツの)常識では考えられない建物が、景観、街区の纏まりや隣人の迷惑を無視して建設されていることは、書き出せば切りがないほど日本の各地に散在する。それらの政策結果の因果関係を分析すれば、
法と政令の解釈とそれの対応の違いと
政策文を実務に移行する時の手法の異なりのドイツと日本の基本的な差が見えてくる。
ドイツと日本はこれ程までに「何故違うのか」の基本的な原因は三つあると考えている。
一つは都市を形成する最小単である建物、特に西洋建築の範疇に入る建物のクヲリティーに欠陥のあるものが多いこと。
二つ目がドイツと日本の都市計画制度と住民意識の隔たり、つまり民主主義の認識の格差があること。
そして、
三つ目は、これが一番大きな問題点であるが、日本の都市行政の計画法と造形手法とがドイツのそれとに大きな格差が存在することである。
法制度が異なるから都市造形も異なるという当たり前のことではあるが、日本で一般的に述べられている「都市」という概念が、専門的に西洋の都市に比較して日本のそれは「村」又は「町」という定義がなされている事や、都市の成立の仕方、その住民の権力者に対しての自治権の獲得の仕方等の歴史的背景の異なりがあるから、日本では住民が自分の町に対してのアイデンテティーを持てないのかもしれない。しかし、例えそうだとしても、共同体に属して生活するという概念が一般の常識にはないためだろうが、自分の町の劣悪の変化にも関心を持たないか、気が付いていたとしても長いものには巻かれろというのには疑問を感じる。そして、その住民のおとなしさに乗じて、行政側、特に地方自治体は行き当たりばったりと思える都市政策を行い、自分たちの街を総体的に造形するとか、都市計画の重要な部分である街の景観を整えるというための政策能力がかなりの部分で欠落していることに気付いていない現状である。そのことが纏まりのない街区や秩序を伴わない集宅地の拡散という都市問題を生み出している。
このような都市形成は、住民のリスクや街の共有財産である景観と環境などを考慮する事もなく、ましてや、自分たちの街に対してのビジョンも持たず、確認申請で建設許可を出さなかった時の、煩雑な手続きや責任を取らされる事を回避するだけのために、建設の自由という大義名分の隠れ蓑で、建設する事が最善であるという、その場しのぎの都市政策の結果であると言える。ドイツの都市計画局は自分の町の都市問題を先取りして、その解決方法の是非を住民に問いながら計画を推進する。住民も自分の住む街の在り方の決定へ積極的に参加する。行政の強引な決定と施行にはその圧力に反比例した大きさで必ず住民の反対運動が起きる。自分たちの住む町に対する行政責任と住民意識の在り方に大きな隔たりがあることが、ドイツの都市と日本の町が大きく異なる最大の原因である。
「何が違うのか」ということと「何故違うのか」ということは結果と原因との関係である。しかし、重複することもある。「日本とドイツは・・・という違いがある」と事実のみを記述するか「日本とドイツが違うのは・・・という違いがあるからである」と表現するかで事実の記述か理由の説明になる。
例えば、
市民の自分たちの街に対する意識がドイツと日本では大きく違うということ、
行政がおらが町の形成に対して責任を持つドイツとそうではない日本の行政の態度の差があるという事実、
単体の建設物の設計を行う場合でも、街区形成を考慮するドイツの建築家とそうではない日本の建築家との相違点を指摘できるが、
同時に、これらの事実がドイツと日本の都市の異なりを生じさせる原因でもあるという説明も出来る。
日本では一つの敷地に独立した建物を造形する能力を所有する建築家は多く存在する。しかし、その建物の独自性を強調することには長けているが、その敷地の周辺の街区の建物との協調性を重んじるというデザインには重点が置かれていない。
デザインは周囲の調和を考えながら、しかも独自性を表現するという、又裂きのような難しい課題があり、従って比較的おとなしいデザインの建物を設計することを課せられているドイツの建築家の立場とは大きな違いがある。
その建築家の置かれた立場の違いも日本とドイツの都市が何故違うのか原因の一つであるといえる。
今回はここまでの報告になる。
欠点のみを指摘するの、いわばケチをつけるのは簡単なことであるし、それだけでは何の進歩もない。その欠点を改善するための提案をしなければ民主主義の基本に則さない。そこで、何をすべきかの提案をしたいと考えて準備している。今のところその内容を次のように考えている。
まず、日本の都市計画政策に沿って、連繋市街地、特に中心市街地と住宅地形成のされ方に関してと、交通網と道路、都市公園と公共空地等の都市施設の日本の実情がドイツの基準からみて如何に違うのかを指摘し、その原因を探り、それを修正する手法の提案をする。
次に、ドイツと日本の大きな違いの根源的原因である都市計画政策手法に関しての提案を試みる。自身がドイツの政策しか知らないから、日本の現状の解決策の一例としての提案をするのは必然的にドイツの都市計画を規範とする方法を採るが、日本の現状を認識した時から、地区計画が規範としたBauletplan(建設指針計画)の手法を浸透させることが、日本の都市計画が改善されるはずであると考えているからである。そのためにはイの一番に、都市の将来的ビジョンを明確に示さない用途地域制を土地利用計画図に発展させる
べきであると考えている。そのもとでB-プラン(建設計画図:日本語訳は地区詳細計画図)は効力を持つ。それと同時に、各省ごとに縦割りされた都市計画事業の権限を、予算の権限をも含めて一括して自治体に移行させるべきである。でなければ、この制度は機能しない。ただこれには先に解決しなければならない種々の条件がある。
最後に、縦横に分割された都市政策やその政策の類型の煩雑さをB-プラン手法で簡潔にしたい。
つまり、建設指針計画の手法で日本の都市計画事業の分有割拠のシステムを一括的でかつ総合的な制度に変更できる可能性を探ってみる。その場合、ドイツの手法をそのまま日本に持ち込まない様に気をつけたい。簡単な例を示せば、イタリアの街で重要な都市機能を担っている広場のその活気のある風景を見て、日本にもこれを導入すれば日本の街に活気をもたらすと考えるのは大きな勘違いである。何故なら、広場(Piazza)の発生したイタリア都市の歴史的背景が、基本的に広場がない日本の歴史的背景とは全く異なるからである。イタリアの広場と住民の生活との日常的な結び付きは日本にはない。従って、重要なのは、欧州の例を如何に日本語に翻訳して、日本の街づくりに適応させるかという手法を見出すことであると考えている。
この提案は日本の事例を基にしてするのが最善であるが、現在のところこの機会に巡り合えていないので「何をすべきか」は未完である。今回は出来る限り「何をすべきか」の方向性を考えながらの「何故違うか」という日本とドイツの現状比較の中間報告で、「何をすべきか」が完結した時点でその纏めを報告させて頂きたいと希望している。