(神奈川県横須賀市田浦町)
明治37年(1904)に開業した田浦駅は、丘陵間の低地である谷戸(やと:長野=田切、岐阜=洞)に挟まれた場所にあり、ホームが隣駅より1両分短い10両のため、上下線共先頭1両がトンネル内に進入して停車する。横須賀方の七釜トンネルは四つ並び、下り線は明治22年(1889)、上り線は大正14年(1925)、左側の複線トンネル二つは昭和18年(1943)旧海軍施設専用線として掘削されたものである。
(えんどうじ商店街 名古屋市西区那古野 2006年7月28日)
名古屋街道から美濃路に変わる四間道(しけみち)に隣接するこの商店街も、また七夕の季節となった。
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(神奈川県足柄下郡箱根町)
前回芦ノ湖を訪れた際に見えた富士は雲に隠れていたが、連休ということもあり多くの観光客で混雑していた。桟橋には先日就航した水戸岡デザインの海賊観光船「クイーン」と代わって引退する「バーサ」が並んでいた。
(神奈川県足柄下郡箱根町)
小田原駅を起点とし、箱根湯本駅を経て強羅駅までを結ぶ山岳鉄道線。大正8年(1919)に箱根湯本ー強羅間が開業し、昭和10年(1935)には小田原まで全通した。昭和25年(1950)1,435mmの標準軌である箱根登山線を平坦区間である小田原ー箱根湯本間を三線軌条にし、1.067mmの狭軌である小田急線を直通運転させた。平成18年(2006)箱根湯本を境に運行形態を分断し、小田原ー箱根湯本間の三線軌条は廃止された。
(名古屋市中区金山 2006年6月26日)
平成11年(1999)31階建の金山南ビル竣工と共に開館した名古屋ボストン美術館は、同ビルの最も床面積の広いフロア3ー5階、延床面積4,700m2を使い、アメリカのボストン美術館から美術品を借りる形で展示する施設である。二年次以降来館者の低迷で赤字運営となり、ボストン美術館への寄付金等債務が重なって、存続問題が発生している。
(契約期間満了の2018年で閉館)
(岐阜市鷺山 2006年6月11日)
岐阜市都市計画事業鷺山下土居地区区画整理事業における、都市計画道路約山下土居線建設に伴う緊急発掘調査が先月から行われていた。長良川右岸、鷺山丘陵の東に位置するこの地は、弥生時代末から近世以降の複合遺跡であることが分かっている
(神奈川県足柄下郡箱根町仙石原 富士箱根伊豆国立公園)
標高700m,箱根火山のカルデラである仙石原は、神山の噴火により、それまで存在した火口原湖が分断され、湿原や草原になったという。仙石原の地名由来は、豊臣秀吉臣仙石秀久が小田原征伐の際に陣を敷いたことによるとされる。
(岐阜県美濃市広岡町 国登録有形文化財 2006年5月31日)
美濃駅が開業したのは1911年、当時は美濃電気軌道上有知(こうずち)駅であった。1923年、省線(1949-国鉄)越美南線美濃町駅開業により現在地に移り、新美濃町駅(1949-美濃駅)として現存する駅舎が完成した。そして新関~美濃間廃止に伴い駅が廃止されたのは平成11年。その後岐阜軌道線が全て廃止されたのは平成17年のことである。美濃町線で使われていた新製車両は近隣各地へ譲渡されたが、老朽車両は解体され一部の車両がここに保存されることとなった。
1926年製510型512(丸窓)、1957年製590型593(旧塗色)、1970年製600型601(馬面)と、痛々しい解体途中救済車の870型(旧札幌市電)が保存されている。
(東京都江東区大島)
旧中川右岸のこの地は、かつては川に挟まれた湿地帯で大きな中洲のような地形であったことから大島(おおじま)と名付けられたという。また、運河である小名木川の中川口に番所が設けられ水運で栄えた。
(岐阜県美濃加茂市川合町・可児市川合 2006年5月31日)
木曽川と飛騨川の合流点に、昭和14年(1939)大同電力と東邦電力の共同出資である愛岐水力によって築造された、幅308m,高さ34.3m,20門のゲートを持つ重力式コンクリートダムである。ここで取水された水は、隣接する右岸側の関西電力美濃川合発電所と左岸側の今渡発電所のタービンを回す。