社伝によると、長島萱町の田村氏の屋敷神として祀られた稲荷社が始まりという。後に長島中町の曹洞宗盤龍山花林院前に遷座し、下町を含む長島三町の鎮守となった。また、長島城二ノ丸櫓東隅には杉峠稲荷社があったが、明和三年(1766)長島藩主増山正贇(よし)により現在地への遷座が行なわれた。大正3年(1914)花林院前の稲荷社と秋葉社が合祀され稲荷阿岐波神社と改称された。毎年夏には旧秋葉社の祭礼として石取祭が行われている。
(三重県桑名市長島町西外面 2008年10月3日)
社伝によると、長島萱町の田村氏の屋敷神として祀られた稲荷社が始まりという。後に長島中町の曹洞宗盤龍山花林院前に遷座し、下町を含む長島三町の鎮守となった。また、長島城二ノ丸櫓東隅には杉峠稲荷社があったが、明和三年(1766)長島藩主増山正贇(よし)により現在地への遷座が行なわれた。大正3年(1914)花林院前の稲荷社と秋葉社が合祀され稲荷阿岐波神社と改称された。毎年夏には旧秋葉社の祭礼として石取祭が行われている。
社伝によると、長島萱町の田村氏の屋敷神として祀られた稲荷社が始まりという。後に長島中町の曹洞宗盤龍山花林院前に遷座し、下町を含む長島三町の鎮守となった。また、長島城二ノ丸櫓東隅には杉峠稲荷社があったが、明和三年(1766)長島藩主増山正贇(よし)により現在地への遷座が行なわれた。大正3年(1914)花林院前の稲荷社と秋葉社が合祀され稲荷阿岐波神社と改称された。毎年夏には旧秋葉社の祭礼として石取祭が行われている。
(三重県桑名市長島町西外面 2008年10月3日)
光岳寺が徳川家康の母伝通院菩提寺であったため、伝通院の念持仏で最澄作の木造沓履(くつぶみ)地蔵菩薩像を寄進されたものという。その像を安置する堂宇である。前方には丸掘りの石地蔵が安置されている。
(三重県桑名市長島町西外面 2008年10月3日)
下総国関宿(千葉県野田市)において浄土宗弘経寺として創建したのが始まりという。慶長七年(1602)徳川家康の母伝通院の菩提寺となり、家康の異父弟で関宿藩主松平康元が庇護した。康元の子忠良が美濃大垣に移封した際、康元の孫憲良が信濃小諸に移封した際に移転し、慶安二年(1649)憲良弟康尚がこの地に移封になった際現在地に移転した。
(東京都台東区上野)
東北線秋葉原御徒町間の高架下にある商業施設で、2k540は東京駅からの距離を表す。大正9年(1920)から昭和30年(1955)にかけて築造された高架橋の下を利用した施設である。
(岐阜市長良福光 2008年10月1日)
長良川右岸の岐阜運動公園として昭和16年(1941)に整備が開始されて以降、岐阜県の各種競技施設として拡充され、昭和63年(1988)には、ぎふ中部未来博会場となり、平成3年(1991)以降は全施設の再整備が行われた。
長良川右岸の岐阜運動公園として昭和16年(1941)に整備が開始されて以降、岐阜県の各種競技施設として拡充され、昭和63年(1988)には、ぎふ中部未来博会場となり、平成3年(1991)以降は全施設の再整備が行われた。
(東京都港区南青山)
戦前、陸軍第一師団司令部があったこの地は、戦後、引揚者住宅の建設を経て昭和45年(1970)に都立公園として整備されたものである。麻布聯隊区司令部のあった区立青葉公園と隣接する。
(愛知県稲沢市平和町横池 2008年9月12日)
平成元年(1989)尾張大國靈神社儺追神事(国府宮はだか祭)で奉納される大鏡餅を当時の中島郡平和町奉賛会が奉納し、その記念に平和町役場敷地内に設置された大鏡餅の記念碑と庭園。