今の私に財力がないがために、我が家と我が家の分家墓所の間にある、別姓同氏族の秋山家墓所(松山秋山家一門)に、塀や進入路等で迷惑をかけてしまっている。
果たしていつになったら、先祖達が行ってきたことに追いつけるのだろう。
(島根県大田市大森町 世界文化遺産 重要伝統的建造物群保存地区)
山陰線大田市(おおだし)駅に到着。大森地区行きのバスまで暫く時間があった。付近を散策しようかと思ったとき、同じ行き先と思われる女性が、「よろしかったらタクシーで相乗りしませんか?」と声を掛けてきた。この方と同行することになった。
大森地区の入り口に到着。付近には貸し自転車がたくさんあったが、行きが登りで帰りがサーッとでは、情緒が味わえないと思い、徒歩で散策することにした。付近は思いのほか鄙びており、それとは逆に訪れる者は多い。
高橋家は銀山の山組頭の住宅で、茶室を設け、付随する建物では酒造なども行っていたという。
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(愛知県春日井市玉野町)
昭和3年(1928)に開業した料理旅館である。かつてはテレビコマーシャルでも「定光寺の千歳楼」として知られていたが、次第に売上も半数に落ち込んでいった。平成15年、二年後の愛知万博を控え改装を計画するも、その途中で6億円の負債を理由に破産し廃業した。間もなくして、RC造り五階建ての建物のガラスや内部が侵入者により破壊、放火され始め、平成20年には五度目の不審火により事務室、浴室を焼失し、更に無残な姿となった。
(2007年9月20日)
(熱で曲がってしまった鉄柵)
夜の中央線のしなの号で多治見から名古屋方向に向かい、トンネルとトンネルの間で「千歳楼」というネオンが見えると、愛知県に入ったことが分かったが、もうその文字も灯ることはない。
(島根県大田市久手町波根西 市指定文化財)
鎌倉時代まで、波根湖という潟湖が存在した。然し、水はけが悪く大雨の度に氾濫したため、徳治元年(1306)領主有馬一政とその子宗茂が七年の歳月をかけ、湖と日本海波瀬海岸の間にある岩の丘陵を幅50m,高さ30mにわたって切り割り、排水路をつくった。そして、掘削の記念として高さ約20mの塔状に岩を残し、その岩の上に一本の青松を植えたのである。 松は昭和51年に枯死し、二代目も平成6年の台風によって倒れた。現在の松は三代目である。
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