(愛知県新城市下吉田 国指定名勝・天然記念物 日本の滝百選51番)
宇連川の支流、阿寺川にある滝である。この日は本長篠駅からバスに乗り滝に向かった。運転手さんと長々話をしながら県境の集落を廻り、滝の入口に到着した。
巣山礫岩:くいちがい石
甌穴
七滝は中央構造線上の礫岩断層崖に流れる水が七段の滝となっていることから、こう呼ばれるようになった。下から高さ9mの霹靂の滝、13mの虎繍の滝、7mの龍攘の滝、25mの長霓の滝、2mの雄飛の滝、4mの素練の滝、2mの敲壺の滝の計62mからなる。その中で虎繍の滝は深さ4m、長霓の滝には深さ7mの歐穴(おうけつ:ポットホール)がある。
河鹿渕
(北海道旭川市)
三年振りに訪れる。駅が改築されたばかりであり、旧駅舎が解体中であった。些か市街地ドーナツ化感はありながらも、北海道第二及び北日本第三の都市であり、商業店舗が多くみられた。
忠別川沿いの旭川駅 一万人分の名前のある駅舎内壁 アイヌ文化情報センター 解体中の旧駅舎 平和通買物公園
旭川常盤ロータリー
(関連記事:旭川平成二十一年)
(愛知県南設楽郡鳳来町門谷 1983年再訪)
かつて田口線の傍にあったこの墓所も、隣接する県道の整備や、旧鳳来寺駅の取り壊し等、訪れる度に移動をしている墓所である。 仙千代は奥平貞能(おくだいらさだよし)の子で、元亀二年(1571)奥平氏は武田信玄に降伏し、仙千代は武田氏の人質となった。然し、天正元年(1573)奥平氏は徳川家康に属したため、武田氏に人質になっていた十三歳の仙千代はこの地で処刑されたのである。
(福岡県糟屋郡志免町志免 国指定重要文化財)
明治39年(1906)に設置された、国有の炭鉱である。昭和18年(1943)には、現存する地上8階地下1階、高さ54m,RC造の竪坑櫓が陸軍によって築造された。これは採炭夫の昇降、石炭や資材の搬入出を地上の1000馬力巻上機で行う、ワインディング・タワー(塔櫓捲式)の昇降施設 である。終戦後は運輸省及び日本国有鉄道の所有となったが、エネルギー革命による売山闘争「志免闘争」を経て、昭和39年(1964)に閉山となり、聳え立つ櫓と自然丘陵化したボタ山(捨石集積場)が今に至るまで産業遺産として残されている。
(西原硬山:ボタ山)
(第八斜坑口)
(北海道上川郡美瑛町新星)
美馬牛から東に向かって歩いて行くと、起伏のある広陵な耕地が広がってくる。かつて陸軍演習場であったこの地を、戦後農地として開拓し新星と名付けられた土地である。訪れたこのときは遅い春であったため彩りは少ないが、最盛期には多くの花ばなと共に美しい北の大地を魅せてくれる。
(岩手県遠野市土淵町土淵)
河童淵に隣接する、延徳二年(1490)開創の曹洞宗の寺院である。常堅寺が火災になった際、火消しをした河童が狛犬になったという伝説がある。
(河童狛犬:頭頂部に皿がある) (十王堂)
(旧早池峰山妙泉寺仁王像)